彩月堂をご存知でしょうか。
        そう、大通りにある、骨董とか古美術品を扱うお店です。
        わたしはそこで十年ばかり看板娘をしておりました。

        十年といえば、それなりの長さでしょうか。いえ、人によってはあっという間だと仰るかもしれませんね。
        わたしは人間ではないので、そのあたりの感覚はどうも曖昧なのですが・・・・・・結構「あっという間」だったような気もします。



        はい、わたしは人ではありません。
        わたしは十年間、彩月堂の店先に飾られていた、一体の人形です。









     看板娘のモノローグ









        もともとわたしは、ある大名のお姫様の持ち物でした。
        彼女には、とてもとても大切にしていただき、おかげでわたしはこうして自我を持つことができました。人形は、みんながこうやって心を持てるわけじゃない
        んです。長い時間大切に扱われて、持ち主に愛されて、はじめて感情が生まれるんです。だから姫様にはとても感謝しています。今もお元気でいられると
        よいのですが・・・・・・


        小さかった姫様がすっかり綺麗な娘さんになり、ちらほら縁談も舞い込みだした頃でした。この国が、大きく動き出したのは。
        ある日わたしは桐の箱に入れられて、しばらくの間、蓋が開けられることはありませんでした。おそらく一年ばかり経ってからでしょうか、久しぶりに箱が開
        いたとき、わたしは自分が住み慣れたお屋敷とは別の場所にいることを知りました。

        わたしが箱に仕舞われている間に、国の仕組みはすっかり変わって、時代は「明治」になっていました。大名とか侍とか、そういう肩書きはもう無くなった
        のだということを耳にしました。
        新しくわたしの持ち主となった、彩月堂の主人の話を聞くところによると、姫様と御家族の方々はお屋敷を引き払って奥様のご実家のほうに移られるとか
        で、わたしをはじめ家財を幾つか手放さざるを得なかったそうです。そういえばわたしを箱に仕舞うとき、姫様はとても哀しそうな顔をしていらっしゃいまし
        た。あの顔を思い出すと今でも胸が痛みます。人形だって、そういうときはちゃんと痛みを感じるんです。


        新しい持ち主、彩月堂の主人は、商品の目利きに関してはたいへん厳しい方でしたが、それだけ仕事にちゃんとしている人だったのでしょう。御家族や御
        近所の方に対してはとても優しくて、店の評判もなかなかのものでした。

        わたしは、彩月堂の店先のいちばん目立つところに飾られました。
        道行くひとがわたしに目をとめて、主人になにやら話しかけているのを幾度も目にしました。ありがたいことに、それは大概にして賛辞であり、「是非売って
        ほしい」という方もいらっしゃいました。


        しかし、主人は首を縦には振りませんでした。
        わたしはいわゆる非売品というもので―――主人はわたしを「看板娘」として、店の顔にしたのでした。


        最初のうちは、この「看板娘」という立場が少し不満でした。そりゃあ、いろんな人に褒められるのは悪い気はしませんでしたが、お屋敷にいた頃は姫様に
        人間の友人のように扱ってもらったり、抱きしめられたり髪を梳いてもらったり、膝の上に乗せられてお話をしてもらったり―――そういうふうに可愛がって
        もらっていたものですから、もうあんなふうに過ごすことはできないのかと思うと、寂しくもあり物足りなくもあったのです。

        しかし、じきにわたしは往来をゆく人々を観察することに楽しさを覚えるようになりました。
        時代が変わって、街をゆく人々の様子も変わりました。髷を結った人が減ってきて、洋装の人が現れて、異人さんがもの珍しげに店を覗いたりして―――
        少しずつ変わりゆく街や人々の様子は驚きと発見に満ちていて、眺めていて飽きることはありませんでした。流れ行く季節を、吹く風の匂いや暖かさ、冷
        たさで感じたりするのも、わたしの新しい楽しみになりました(しつこいようですが、人形だってそのくらいわかります。なんとなく、ではありますが)。




        そうやって日々を過ごしているうちに、わたしは「リボンさん」に逢ったのでした。



        初めて逢ったときは、ずいぶん綺麗な男の子だなぁと思いました。
        年の頃は六つか七つくらい。長い黒髪を高い位置できゅっと結って、道着姿で肩には竹刀袋を担いでいました。肌は抜けるように白くて、頬はほんのり桃
        色で、ぱっちりとした大きな目は黒檀のような深い色をしていました。そして、その目でじいっとわたしのことを見つめていました。

        実際、店先に立ち尽くして、わたしのことを熱っぽい瞳で見つめてくる女の子は沢山います。でも、男の子がというのは珍しいことだったので、その子のこ
        とはとても印象に残りました。しかし数日後、その剣術少年は花柄を散らした着物を着て、髪に大きなリボンを飾って店に現れたのです。

        これには、驚きました。
        だって、これまでわたしの周りには剣を嗜む女の子なんてひとりもいなかったものですから。まさかあの子が女の子だなんて、思いもしませんでした。
        彼女は飽きずにわたしのことを見つめて、そして主人にわたしの事を尋ねて、残念そうに肩を落としました。「ごめんなさい、あの子は売り物じゃないんで
        すよ」というお馴染みの台詞が聞こえましたが、わたしは久しぶりにその事を残念だと思いました。
        凛々しい剣術少年かと思いきや、リボンの似合う可愛い女の子。そんな個性的な子のところで暮らすのは面白そうだなぁと思ったものですから。


        それからわたしは、その子を「リボンさん」と呼ぶことにしました。
        時折店の前を通りかかっては視線を投げかけてくるリボンさんは、友達と連れ立って歩いているときもあれば、顔立ちの似た母親と並んでいたり、同じよう
        に竹刀袋を担いだ父親と一緒のこともありました。

        いくつもの季節が過ぎて、リボンさんはだんだんと娘らしくなってゆきました。
        彼女はいつも快活で、明るく笑っていることが多くて、往来の人の流れの中からでもすぐにその姿を見つけることができました。けれど、その明るいリボン
        さんが沈んでいた時期が二度ばかりありました。主人が悔やみの言葉を口にしていたのを聞いて知ったのですが―――それはリボンさんの母親と、そし
        て父親が亡くなったときのことです。
        父親の訃報を聞いたときは、ひとりぼっちになってしまった彼女のことがとても心配でした。哀しみに沈む彼女は、それでも気丈に振る舞って、日毎に明る
        さを取り戻していきました。わたしは安心するとともに、無理をしているのではないかと痛々しくも思いました。


        そして、父親が亡くなって一年ばかり過ぎた頃でしょうか。
        緋い髪の剣客さんを伴って歩いている彼女の姿を、わたしは目にしました。


        リボンさんはやはり明るく笑いながら、わたしのことを「このお店の看板娘なのよ」と、連れの剣客さんに教えていました。
        その時、彼女を見て、「何か、変わったな」と思いました。
        なんだかとても―――きれいになっていたのです。

        もともとリボンさんは愛らしい顔立ちの娘さんでした。しかし、そういう造作のことではなくて、今までとは違う、なんとも優しい雰囲気が加わって、今までよ
        りもっときれいに感じられたのです。
        溌剌と、元気に振舞うのはいつもどおりなのですが、隣の剣客さんにむける表情にははにかむ色が見え隠れして―――


        そして気づきました。ああ、リボンさんはこのひとのことが好きなのだな、と。


        恋をして、大切なひとができたから。そのひとの幸せを心から願っているから。
        そんな、内面の輝きが彼女をよりきれいにしたのでしょう。

        リボンさんと剣客さんの間には、互いを慈しむような柔らかい空気が流れていました。わたしはそれを感じて、彼女の恋に幸福な未来が待っていますよう、
        こっそり祈ったのでした。もう彼女が、ひとりぼっちになるようなことがありませんように、と。







        さて、わたしがふたりの姿を目にしてから、三月ほど経った頃の事です。
        少し、気になるお客様が店を訪れました。


        どこぞの貴族様に侍女としてお仕えしているという、切れ長の目が印象的な女性の方です。
        仕えている奥様が古い美術品を蒐集しているそうで、なにかよいものがあったら奥様をお連れしたい―――ということで、まずは下見にいらしたのですが、
        その日は暑い日で、暑さにあたったのか気分が悪くなった彼女は店の奥で少し横になり、快復を待ちました。

        じきに具合は良くなり、店の品物をゆっくりご覧になって「ご面倒をおかけしました、よいものが沢山ありましたので、次は必ず奥様と伺います」と礼を言っ
        て辞されたのですが―――その帰り際、女性はふとわたしに視線を向けました。


        その視線が、異様、だったのです。


        看板娘を十年やってきて、わたしは沢山の視線を浴びてきました。憧憬をこめた視線もあれば、値踏みをするように見てくる人もいます。しかし、彼女の目
        からはもっと違う―――なにか、よくないものを感じました。
        また来ると言っていたけれど、できればもう来ないでほしい。わたしは看板娘にあるまじきことを念じながら、彼女の後姿を見送りました。





        しかし、その女性はすぐに再訪しました。
        今度は、お客様という形ではなく。店じまいをした後の夜、月が傾き始めた頃にでした。


        毎日、店を閉めた後は、わたしは店先から奥へと移動させられ、次の朝を待ちます。その日もいつもの定位置でうとうととまどろんでいたのですが(あ、人
        形だって眠ります。目は閉じられませんけど気持ちの問題です。)、ふいに、騒がしい気配にはっとしました。
        店の奥には、店主と家族が居住しています。騒がしい気配はそちらのほうからで、けれどもすぐに静かになりました。
        そして、奥から黒っぽい服装をした人間が三人、ぬっと現れました。彼らは音もなく、店内を縫うように動き、迷いのない手つきでいくつかの品物を選び取
        ってゆきます。

        勿論、まともなお客なわけがありません。わたしはどうすることもできず、彼らが―――どう考えても盗人の彼らが、静かに店を荒らしてゆく様子を眺めて
        いるしかありませんでした。と、そのうちの一人が、わたしに目をとめました。
        顔は頭巾ですっぽり隠していましたが、身体つきからいって恐らく女性で―――そこで、これは昼間のあの女性だと、わたしは気づきました。頭巾から僅
        かに覗く切れ長の目、わたしを見るあの視線は間違いなく彼女のものです。

        きっと、彼女は斥候として日中、店を訪れたのでしょう。店内の様子を窺い、盗むべき商品に当たりをつける。彼らが店の奥―――裏口から侵入したという
        ことは、彼女が具合が悪いと言って中に上がりこんだ際に戸口に細工でもしたのかもしれません。
        わたしがそんな事を考えていると、女はすいっと手を伸ばし、無造作にわたしの胴体を掴みました。


        わたしが人間だったら、大声で悲鳴でもあげて暴れて抵抗したことでしょうが、残念ながら人形の身ではそれはかないません。持ち主を自分で決められな
        いのは人形の宿命ではありますが、それにしたって泥棒の手に落ちるのなんて願い下げですのに―――
        わたしの無念など素知らぬ様子で、彼女はわたしを持って裏口へとむかいました。そこには大八車が停めてあり、運び出した骨董とともに先客が乗せら
        れていました。
        後ろ手に縛られ、猿轡をはめられた少女―――彩月堂の主人の、娘さんでした。何をされたのでしょう、目を閉じてぐったりとして、ぴくりとも動きません。
        盗賊の一味は、骨董を盗むだけではなくお嬢様を誘拐しようとしていたのです。

        わたしは積み込まれた荷物の一番上の隅に、ぽんと乗せられました。荷物を覆うようにぱさりと布が被せられ、視界が奪われます。
        そして、がたりと大きく車体が揺れ、大八車が動き出しました。



        夜の街を、さほど急ぐわけでもなく、大八車は悠々と進みます。途中、何度か人とすれ違う気配を感じましたが、誰も不審に思うことなく行き過ぎていきま
        す。盗賊たちは、既に黒ずくめの扮装を解いているのでしょうか。それなら、周りの誰もが異常に気づかないのも無理のないことです。

        これから、お嬢様とわたしはどうなってしまうのかしら。
        店主たちは無事でいるのかしら。
        ああ、お願いだから、誰か、早く、気づいて―――

        必死でそう念じていたら、また、誰かとすれ違ったようです。
        いくつかの足音が大八車のすぐ横を通り過ぎて―――そして、声が聞こえました。



        「剣心、今の・・・・・・」



        聞こえたのは、ほんの一瞬。
        すれ違う声はすぐに後方に流れてしまいましたが、間違いありません、それはリボンさんの声でした。

        そして間もなく、軽い足音が大八車を追いかけてきて―――
        突然、ぱっと視界が開けました。


        目に映ったのはわたしの知っている顔。リボンさんと一緒にいた、あの剣客さんです。
        大八車を追ってきた彼は、引き手と伴走する盗人たちに誰何の声もかけずに、走りながら不意打ちに荷台の覆い布を剥ぎ取ったのです。

        異変に気づいた盗人たちは、ぎょっとして足を止めました。急停止した車ががくんと大きく揺れ、反動でわたしの身体は荷台から落ちそうになりましたが、
        とっさに剣客さんに抱きとめられました。露わになった荷台には、盗品と、お嬢様の姿。剣客さんは眉をひそめ、盗人達の「貴様、何者だ?!」という怒声
        が夜気を震わせました。
        彼らが駆け寄ってくる気配。剣客さんは注意深くわたしを荷台に戻すと同時に、刀の束に手をかけました。

        そこから先は―――荷台に仰向けに乗せられたわたしには、何が起きているのかは音でしか窺い知ることはできませんでしたが―――金属同士がぶつ
        かり合う硬い音に、呻き声と、どさりと大きなものが倒れる音。そして「剣心ー!」と、剣客さんの名を呼びながら近づいてくるリボンさんの声が聞こえまし
        た。それに続いて、荷台を覗き込んだ、リボンさんの顔がわたしの視界に映りました。



        そうしてわたしは―――お嬢様とわたしが、助かったことを知ったのでした。







        実際のところ、助かったそこから先もなかなかに大騒ぎでした。

        剣客さんは盗人たちのうち男ふたりを一瞬にして倒し、例の女が大暴れするのを閉口しつつも取り押さえたところで、リボンさんともうひとり連れの少年(門
        下生だそうです。利発そうな男の子です)が追いつきました。そして警察に通報したり彩月堂に走り賊に縛り上げられた店主たちを助けたりお嬢様を診療
        所に担ぎ込んだり・・・・・・あの夜は誰もが寝る間もない程の慌ただしさでした。


        警察の調べによると、あの賊は同じ手口で関西の方を荒らしていた盗賊団の一味だったそうです。
        金品を盗むだけではなく人身売買のような事にも手を染めていたそうで、お嬢様を拐かそうとしたのもどこかで売り飛ばすつもりだったのでしょう。まさに、
        間一髪というやつでした。
        その、危ないところを救ってくれたのは―――剣客さんとリボンさんでした。

        彼らはあの晩、お友達のお店で遅くまで過ごしていたそうで、その帰りだったそうです。あのとき、夜道を走る大八車とすれ違った時、リボンさんは手にし
        た提灯のあかりに照らされた車の荷台の―――そこを覆った布の端から、ひらひらとはためくわたしの振袖をみとめたのです。
        覆い布からはみ出した小さな袖。しかし、十年間、幼い頃から彩月堂の店先を通るたび必ず立ち止まり、じっとわたしを見つめていたリボンさんは、それを
        見間違うわけがなかったのです。

        リボンさんは剣客さんに異常を告げて、剣客さんはそれに素早く応じて、わたしとお嬢様は難を逃れました。あちこちで被害を出していた盗賊をお縄にでき
        て警察のひとたちも大変喜んでいたようですが、それ以上だったのは当然、彩月堂の主人です。何しろ、盗んだ物を取り返した上、一人娘を救ってくれた
        わけなんですから。


        主人は、畳に頭をこすりつけんばかりに低頭して剣客さんたちに感謝の言葉を繰り返しました。どうしても礼をしたい、とも言っていましたが、剣客さんもリ
        ボンさんも親しい間柄である主人から金品などを受け取るのは心苦しいようで、それを固辞しました。
        しかし、それでは主人の気がおさまりません。彼は一瞬考えたのち、おもむろに立ち上がってわたしを抱き上げました。



        「それでは・・・・・・うちの看板娘を、養女に貰っていただくというのはどうでしょうか?」



        十年間ずっと、リボンさんが「片想い」をしていた看板娘―――つまり、わたしを譲ると、主人はそう申し出たのです。


        リボンさんは驚きに大きく目を見開いて、そして、隣にいる剣客さんの顔を見ました。剣客さんは彼女の顔を見て、優しい笑顔で頷きました。
        リボンさんは、剣客さんに微笑みを返して―――その笑顔を、まっすぐわたしへと向けました。








        そうして、わたしは神谷道場へと貰われていきました。


        看板娘として街の人々を眺める暮らしもよいものでしたが、リボンさん―――いえ、今ではもうリボンはつけていないからこの呼び名はおかしいですね。薫
        さんが新しい主人になってからわたしは改めて、誰かに特別愛されて大切にされてこそが、人形の本領であることを思い出しました。

        わたしが道場に来て最初の冬が来て、やがて年があけて程なく、薫さんは赤毛の剣客さん―――剣心さんと祝言を挙げました。
        小さい頃から知っている女の子の花嫁姿を見られるというのは感慨深いものですね。その頃から門下生も増え始めて、この家はどんどん賑やかになって
        ゆきました。

        更に次の年の夏には、ふたりの間に男の子が生まれました。今がいたずらざかりの年頃で、小さい手に竹刀を持ってあちこちを駆け回っていますが、いま
        いちわたしに対しては興味が薄いようであまり遊んでくれることはありません。それがちょっと残念でしたので、次に生まれてくる赤ちゃんは女の子がいい
        かなぁと密かに思っています。

        まだ剣心さんには内緒にしているみたいですが、どうやら先頃そんな徴候を感じたようで―――薫さんはわたしを抱いて、こっそり「あなたの新しいお友達
        ができたかも」と囁いてくれました。そうだったら素敵だなぁと、今からわくわくしています。


        ずっと昔から知っていたあんなに小さかった女の子が、可愛い娘さんになって、花嫁さんになって、そして母親になって。
        ひとが変わってゆく様子とは、なんて不思議で、興味深いことなんだろうと、この家に来てから何度もそう思いました。
        わたしはこれからも、彼女と剣心さんと、成長してゆく子供たち、家族の折々の暮らしを見つめ続けてゆくことでしょう。







        すっかり長くなってしまいましたが、これが、わたしが神谷道場に来るまでのいきさつです。


        ここは、沢山のひとが訪れる、笑いの絶えない暖かい家です。
        いつか、あなたも訪ねにきてくださいね。













        了。







                                                                                        2013.11.16







        モドル。