昔々、とある国のとある町に、二つの名家があった。
両家は代々仲が悪く、事ある毎にいがみあってきた。
しかし、そんな仇同士の一人息子と一人娘―――年若き少年少女が偶然に出会い、恋に落ちてしまう。
ふたりは結婚を望んだが、両家の親族はそれを許しはしなかった。
懇意の僧侶に「彼との愛を貫きたい」と相談した少女は、ひととき仮死状態になれる薬を渡される。
これを飲んで死を装い、棺に入るとよい、と。
そして目覚めた後、迎えにきた少年とともに二人で町から逃げるとよい、と。
薬を飲んだ少女は棺に入れられたが、しかし僧侶が授けた計画は、少年に正しく伝わらなかった。
少女が本当に死んでしまったと思いこんだ少年は、嘆き悲しみ棺の前で自害する。
仮死から目覚めた少女は、少年の亡骸を目にして、短剣で自らの胸を突き、愛しい人の後を追った。
若きふたりの死に両家は後悔し心動かされ、長きにわたる対立に終止符が打たれることになった―――
その物語を、蒼紫は皆の前で一息に語った。
普段は必要最低限の事しか喋らない彼ではあるが、必要とあれば能弁にもなれる。よく響く低い声での語り口は実に見事で、一同は引き込まれた。そし
て一番うっとりと聞き惚れていたのは、既に話の筋を知っている筈の操であった。
その話こそが、蒼紫が流したもうひとつの「噂」。
もとい、西洋の有名な「芝居」の筋書きである。
「近松みてぇな悲劇だなぁ」
「悲恋は悲恋でまた人気というのも、東西問わずなのね」
左之助と恵が、話の感想を述べる。そして操は「さて、問題です」と、人差し指をぴんと立てた。
「この物語と、今回の件の共通点は?」
一同は、なんとなく顔を見合わせて―――代表よろしく、弥彦が手を挙げた。
「死んだと思って棺桶に入れられた人間が、実は生きていたこと」
「はい正解!」
操は、ぱぁんと小気味良く手を打ち鳴らす。
自発的に死んだと思わせたのと、否応なしに思いこまされたという違いはあれど、「棺桶に入って、葬儀まであげた人間が生きていた」という点は同じであ
る。
蒼紫は、この西洋の物語を流布させることによって、町の人々の頭に「死んだと思っていた人間が、実は生きていたということは有り得る」という考えを植
え付けたのだった。
「忍の薬でもそういう効果のはあるからねー。一時的に仮死状態になれる薬」
「実際には刺殺を装われたが、町の者たちはそれを知らないし、刺された状態の遺骸を直接目にしたのは関係者だけだ」
ならば、「あそこにあった遺体は、医者や警察を欺く程ものすごく手のこんだ人形でした」という事実を公表するよりも、「この芝居のように仮死にされて、
棺に入れられてしまったんだな」と、想像してもらったほうが波風は立たないだろう―――それが、蒼紫の考えだった。
「確かに、あの人形のことは説明できるものでもないし、聞かせたくもないわよね・・・・・・夢に出そうなおぞましさだったもの」
医者という仕事柄、流血沙汰や酷い怪我などは見慣れているはずの恵が顔をしかめる。狂気の産物といえる屍人形の存在は、知る者は少ないに越した
ことはないだろう。
ともあれ、蒼紫は「横恋慕の果ての誘拐劇」と「死んだはずの少女が生きていた物語」というふたつの噂を広めることで、人心を操作した。
結果は―――先程の人々の大歓迎が、すべてを物語っている。
「本当に・・・・・・ありがとうございました」
薫は、改めて蒼紫に頭を下げた。
自分はあの騒ぎのなか連れ去られて暫くは薬の所為でぐっすり眠りこんでいて、目覚めてからも軟禁状態が続いていたから、その頃東京で皆がどうし
ていたかは知る由もなかった。
けれども、今の「噂」の件を聞いただけでも、蒼紫やその他の面々も、自分を奪還するために―――そして町に帰ってこられるために、力を尽くしてくれ
ていたことがわかる。
蒼紫は相変わらずの無表情で「たいした労ではなかった」と答えたが、きっとそれは嘘だろう。彼に代わって、操が満足げに大きく頷く。
「ほんとにねぇ・・・・・・今回はこのひと大活躍だったわよね。トリ頭はなんの役にも立たなかったし」
「あぁ?なんだよお前も見ただろうが。島での俺の戦いっぷりをよ」
「その前の話よ。この子が死んで剣さんがあんなになった後、無責任に出奔したのはどこの誰?」
恵の舌鋒は容赦なく、左之助はうぐっと言葉に詰まる。薫は「わたし、死んでなかったけれど・・・・・・」と控え目に訂正を入れつつ、「剣心がどうかしたの?
あの後、なにかあったの?」と訊いた。左之助は話の流れを変えるべく、その質問に勢いよく乗りかかる。
「そーなんだよ!酷かったんだぜぇ、嬢ちゃんが死んだ後のあいつの壊れっぷりときたらよー」
だからわたしは死んでなかったんだってばと心の中で突っ込みを入れつつ―――薫は左之助の話を傾聴することにした。
それは、薫の知らない、落人群での剣心の話だった。
6 へ続く。