「恋はか弱いものと君はいうのか?

     恋は、荒々しく、無情で、残忍で、棘のように人の心を刺すものなんだ」








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        それからが、一騒動だった。



        怒号こそあげなかったものの、剣心の激昂は誰の目から見ても明らかだった。
        「剣さん抑えてください!興奮すると傷が開きます!」「お前ちょっと奥で横になってこい!そのどす黒い顔色は気味悪ぃぞまともじゃねーぞ!」と事情を
        知っている一同は慌てふためき、事情を知らない妙は「うち、何や変なこと言うた・・・・・・?」とおろおろと困惑した。

        とりあえず、このままだと憤死しかねない様子の剣心は、恵の「傷に障りますから休んで落ち着いてください」の一言により、宴席から退場することとなっ
        た。薫に付き添われて部屋を出る間際、剣心は「すまぬが、誰か妙殿にちゃんとした説明を」と地の底から響くような凄味のある声で言い捨てていった。
        「いいのかよ、説明して・・・・・・」と弥彦が嘆息し、燕が「やっぱり、わたし話しておくべきだった・・・・・・?」と途方に暮れたように呟く。
        ともあれ、ちゃんと事実を伝えるのが本人たっての希望であったので、一同は細心の注意をはらって言葉を選びながら、妙にこの度の「正しい」経緯を
        解説することとなった。


        神妙な顔で耳を傾けていた妙は、いつか剣心から過去を打ち明けられた際の皆と似たり寄ったりの反応を示したが、この度は「答えを見つけた剣心は無
        事に薫を取り戻しました」という話の結末がついたのが、救いとなった。


        「剣心はん、苦労したんやねぇ」とエプロンの端で滲んだ涙を拭った妙の姿に、ほっとした一同は揃って肩から力を抜いた。









        ★









        剣心と薫が不在のまま宴会は中締めとなり、妙と燕の二人は帰宅した。
        そして残った面々が杯を手にしながらの、二次会を兼ねた「説明会」が始まった。
        無論、議題は妙をはじめとする巷の人々が、今回の件をどう認識しているかについてで―――語るのは、蒼紫と操だ。


        「噂で人心を操作するのも、立派な忍びの技のひとつなわけよ。でね、この度蒼紫様は、ふたつの噂を流したの」


        今回の事件で、町の人々は「薫が不慮の死を遂げた」と信じ、葬儀まで行ってしまった。
        それを覆し、「実は薫は生きていました」と人々を納得させるため、蒼紫が思案し実行したのが―――「噂を流す」ことだった。



        まず、ひとつめの噂は、事件の真相について。



        「雪代縁は、姉の仇を討つために東京に現れた」
        「彼は剣心に絶望を与えるために、道場を襲撃し薫を殺害した」
        「が、実は薫は生きており、剣心によって救出された」
        ―――これが、この度の事の次第である。


        これをこのまま町の人々に話せば、それはそれで皆「ああそうだったのか」と納得するだろう。何しろ、それは紛うことなき事実なのだから。
        しかしそうなると、剣心が縁の恨みを買った、その理由―――剣心がかつて、自分の妻を手にかけたところから、説明しなくてはならない。
        それは、剣心にとっては語りたくない過去だ。いくら彼自身が己の罪から逃げも隠れもしていないとはいえ、仲間にすらずっと打ち明けられずにいた、彼の
        心に刻まれた、深い傷となった過去である。

        「で、蒼紫様は優しいから、そのあたりの事をバラさなくても大丈夫なように、事実を脚色した『噂』を創作して、町に流したの」
        操は胸を張ったが、その台詞に恵は小声で「優しい・・・・・・?」と呟き眉間に皺を寄せる。
        「さっき妙が話してた誘拐云々ってのが、その脚色した噂ってわけか」
        左之助が、呆れているとも感心しているとも取れる声を上げ、蒼紫はいつもの無表情で頷いた。


        「剣心の古い知り合いの雪代縁が異国から訪ねてきた」
        「薫に横恋慕した縁は道場を襲撃し、薫を殺害したと見せかけて、彼女を誘拐した」
        「薫が生きていることを知った剣心は、彼女を救出した」
        ―――それが、蒼紫が作った筋書きだった。


        「神谷薫は、不特定多数の人が集まる場所に友人知人が多かったから、話が広まるのは迅速だった」
        「剣術道場とか、赤べこみたいなお店屋さんとかねー。それに警察の人たちも手伝ってくれたし」
        「ああ、それは信憑性も増すでしょうね・・・・・・」
        「ん、ひょっとして斎藤も関わったりしたのか?あいつ昔は密偵とかやってたんだろ?そういうのも得意そうじゃねーか」
        左之助の問いに蒼紫は答えなかったが―――もしそうだとしたらますます剣心の機嫌は悪くなるだろうな、と。その場にいた皆が内心で呟いた。

        ともあれ、縁は「姉を殺されたのと同じ絶望を与えるために、剣心から薫を奪いました」という、純然たる復讐のため犯行に及んだのだが、町の人々は
        今回の事件を、「横恋慕したので、剣心から薫を奪うため誘拐しました」という恋愛沙汰として認識した―――ということらしい。




        「すっげー捏造・・・・・・」
        弥彦の素直な感想に、恵は「捏造もいいところだけれど、納得はされるでしょうね。世の中の犯罪の大半は、お金か色恋が原因だもの」と苦笑いする。
        「それに、『誘拐された最愛の女性を戦って取り返してきた』なんて、素敵な展開でしょー?だからこそ、この噂は皆に歓迎されて、あっという間に広まっ
        たってわけ」
        さすが蒼紫様、と。操は自分のことのように誇らしげに語る。

        「確かに、芝居みてぇな筋書きだよなぁ。しかも結末がめでたしめでたしと来りゃあ、皆喜んで納得するだろうよ」
        先程の、人々の歓迎ぶりを思い出しながら、左之助が言った。操は「でっしょー?!」と満足そうに頷いたが、直ぐにその眉を曇らせる。
        「・・・・・・それなのにさぁ、緋村は何が気に食わなくてあんなに怒ってるわけ?あんな尋常じゃないキレ方してる緋村、はじめて見たんだけど」
        操にしてみれば、そこが疑問で、また不満でもあった。
        せっかく蒼紫様が完璧な筋書きを作ってくれたのに、何故彼は激怒しているのだろうか―――と。


        しかし、年長組としては、剣心の怒る理由は理解できた。
        左之助と恵はなんとなく顔を見合わせて、そして左之助が「・・・・・・まぁ、妬いてんだろ、つまりは」と、端的に述べた。


        「え、なんで?別に妬くところなんて何処にもないじゃん。あくまで噂は噂で作り話なんだし、実際には横恋慕云々なんてなかったわけだし」
        首を傾げる操に、恵はどう説明したものかと思案する。そして「たとえばの話よ?」と、前置きしてから、その一例を挙げた。
        「わたしとこの人は、以前揃って観柳邸に身を置いていました。それは知ってるわよね?」
        そう言って、恵はぴっと人差し指を蒼紫に向ける。
        「うん」
        「そして、観柳が逮捕された際、わたしとこの人は屋敷から姿を消しました」
        「・・・・・・うん」
        それは実際に数ヶ月前にあった出来事で、そのあたりの事情は操も承知していた。「これのどこがたとえなんだろう」と、意味がわからずも、とりあえず操
        は素直に頷く。

        「その事について、この人と美貌の女医が恋に落ちてしまったので、ふたりで手に手をとって駆け落ちしました・・・・・・って噂がたったら、あなたどう思う?」
        「何それむかつくー!!!」
        傍らにあった杯を蹴倒す勢いで、操が立ち上がる。恵は「だから、たとえばの話よ」と、予想どおりの反応を見せた操をいなし、左之助が小声で「自分で
        美貌とか言ったか?」と突っ込みを入れる。

        「わかったでしょ?好きな相手が絡んだそういう噂が立っただけで、もう充分面白くないものなのよ。たとえそれが、嘘八百の作り話だとしてもね」
        「うん、わかった、よーくわかった・・・・・・ところで、今のも創作なんだよね?」
        「だからさっきからそう言ってるでしょ・・・・・・この人と駆け落ちだなんて、そんな馬鹿げたこと絶対にありえないから安心なさいな」
        「ちょっと!その言い方は蒼紫様に対して失礼だよ!」
        「このたとえは失敗だったか」と、恵がげんなりと首を横に振ったところで、からりと襖が開いた。そこに立っていたのは、薫である。



        「よう、嬢ちゃんおかえり。剣心はどうしてるよ?」
        一同の視線が集まり、薫は少し困った顔で「・・・・・・拗ねてる」と言った。その返答に、皆が爆笑する。
        「す・・・・・・拗ねてるってか。それで済むなら安いもんだよなぁ。まぁ嬢ちゃんも座れよ、噂の解説を聞いてたところだからよ」
        「うわさ?」
        首を傾げた薫に、恵がざっくりと「ひとつめの噂」について説明する。ひととおり話を聞いた薫は、渋柿でも食べさせられたような顔になった。
        「・・・・・・なんか、ずいぶん事実とかけ離れているんだけど・・・・・・」
        「まあそれで他のひとたちは納得できたんだからいいじゃないの。むしろ嬉しくないの?剣さんが激怒したってことは、それだけ妬いてるってことなんだ
        から」
        「あ、たしかに、それは・・・・・・」
        薫の頬にぽーっと血がのぼり、恵が「腹立たしいわねその反応」と顔をしかめる。


        「じゃあさ、いきさつの捏造はわかったけれど・・・・・・薫が死んでなかったことについてはどうしたんだ?どうやって納得させたんだよ?」
        「それが、ふたつめの噂だ」


        弥彦の疑問に蒼紫が簡潔に答え、操がすかさず補足する。
        「蒼紫様はね、欧羅巴に古くからあるお芝居について、このあたりの人たちに広めたの」
        「芝居・・・・・・?」
        「とーっても、情熱的で悲劇的なお話なんだ・・・・・・」




        操はうっとりした瞳で、両手の指を胸の前で組み合わせた。















        5 へ続く。