「そんな馬鹿なことを!今のこの苦しみも、やがては楽しい語り草になるに決まっている」

     「ああ、でも、私には何か不吉な予感がいたします」








     3








        「どれもこれも出来たてやからね!さあさあ食べて食べて!」



        妙と燕は、やはり京都のときのように、皆のためにたっぷり食事を用意して待っていてくれた。

        近所の者達の「おかえり」の歓待は長く続いた。やがて彼らが「よかったよかった」を繰り返しながら帰宅した後、一同はようやく道場に腰をおろし、安堵の
        息をつくことができた。
        そして、疲弊した身体はそれ相応に空腹を訴えている。怪我人もいるが、「床で休むより先にまずは栄養補給をせねば」と、皆は次々に箸をとり料理の皿
        に手を伸ばす。食材を持ち込み、道場の台所を使って煮炊きしたばかりの料理はどれもこれも美味しくあたたかく、一同は妙たちの心遣いに感謝しつつ
        勢いよく箸を進めた。


        「・・・・・・そういえば」
        燕から肉の串焼きが乗った皿を受け取りながら、弥彦は首を傾げた。
        「前に剣心がしていた、幕末の頃の話って、妙にも教えたのか?」
        「ううん、教えてないよ。わたしが勝手に教えるのって、なんか駄目な気がしたから」
        「そっか・・・・・・そうだよな」

        薫の帰還を、泣いて喜んだ妙。京都のときも今回も、こうして皆の食事を作って待っていてくれる程に、彼女とは親しくつきあっている。きっと剣心も、妙に
        は過去のあれこれを知られてもかまわないと思っているだろうが―――だとしても、燕は「これは軽々しく人に話すことではない」と判断したのだろう。弥
        彦は燕の気遣いに心の中で感謝しつつ、改めて生まれた疑問に首をひねる。


        先程、薫の姿を見た妙は、「話には聞いとったけど・・・・・・」と言っていた。
        それは、誰から聞いた、何の「話」を指すのだろう?

        そして―――妙をはじめとした街の人々が、薫が生きて帰ってきた事実を、こうもすんなり受け止めているのは何故だろう。
        蒼紫は一体どうやって、剣心と縁との間にある事情や屍人形のからくりについて語ることをせずに、人々を納得させたのだろうか。



        「おい剣心もっと食えよ。食わなきゃ治る怪我も治らねーぞ?」
        「食べているでござるよ、ただ、左手だとどうにも箸が上手く使えぬので・・・・・・」
        「だったら薫さんに食べさせてもらえばいいじゃん!ほら薫さん、緋村に『あーん』って!」
        「ちょ、ちょっと操ちゃん!できないわよそんなの皆の前で!」
        「ってことは、俺たちがいなきゃやってくれるのか!おいよかったなー剣心!」

        左之助と操に茶化されて、剣心と薫は真っ赤になる。「食べさせろー」「俺たちにも見せろー」とはやし立てる声があがり、台所から料理の追加を運んでき
        た妙が、その様子に目を細めた。

        「やっぱりええねぇ、皆が揃うと賑やかで」
        「ああ、ごめんね妙さん、お台所まかせっぱなしで・・・・・・」
        「かまへんよー。薫ちゃんを取り返してきたんは剣心はんたちやもの。うちは待っていただけやから、せめてこんくらいの事させてほしいわ」
        「まあまあ、妙も座れって!ほら、酒は大勢で飲んだほうが美味いんだからよ」
        左之助に促されて、妙も「ほな、お言葉に甘えて」と笑って腰を下ろす。彼女の杯に酒を注ぎつつ、薫は改めて「ごめんね、この度は心配かけて・・・・・・」と
        謝罪したが、妙はぶんぶんと首を横に振った。
        「そんなん!薫ちゃんは悪いこと何もしとらんもの!悪いのは、望みもないのに勝手に薫ちゃんに懸想した犯人やろ?」


        妙のこの発言に、その場の皆の箸または杯を持つ手がぴたりと止まった。


        彼女の言う「犯人」にかかる言葉に違和感を覚えた一同は、一斉に妙の顔を見やる。
        その、異様な空気に、妙は「どうしたん?」と怪訝そうに首を傾げた。



        「・・・・・・あの、妙さん」
        「はい?」
        「ちょっと、質問なんだけれど・・・・・・妙さんって、いえ、妙さんや他の近所の皆って、この度の犯人のことについて、どんな事を知ってる・・・・・・の?」
        一同を代表し、薫は一言一言を確認するようにして、妙に訊いてみた。
        妙は不思議そうに目をしばたたくと、「剣心はんの、昔の知り合いやろ?」と、答えた。
        「あ、堪忍な剣心はん、なんや、お知り合いのこと悪う言うてしまって・・・・・・」
        「いや、それは・・・・・・知り合いというか、その・・・・・・」


        どうも、妙の言う犯人―――縁に対する認識は、実際に起きたことと微妙に齟齬があるような気がする。
        そう思った剣心と、同じことを考えた皆の視線が、今度は蒼紫へと集まった。


        今回の事件で、死を偽装されて拉致されたあと、無事に戻ってきた薫。
        無事だったことは万々歳だが、事件の一連のあらましや、剣心の過去にまつわる事情を知らない人々に、「実は、薫は生きていました」という事をどう説
        明すべきか。その懸案に対して、蒼紫は船上で「問題ない」と言い切った。

        おそらく、蒼紫は何らかの「説明」をして、人々を納得させたのだろう。
        しかし―――その説明に何らかの「脚色」を感じとった薫は、今度はおそるおそる訊いてみる。


        「・・・・・・念のため訊くけれど、妙さんはこの度の事件のいきさつを・・・・・・どんなふうに聞いているの?」
        「どんなって・・・・・・」
        妙は、この場の空気の変化を不思議に思いつつも、薫の問いにするりと答えた。




        「外国から帰ってきた剣心はんの昔の知り合いが薫ちゃんに横恋慕して、叶わぬ恋に自棄を起こして薫ちゃんを誘拐して連れ去ろうとしたのを、剣心は
        んが追いかけて決闘して勝って薫ちゃんを取り返してきたんやないの?」




        しん、と。一瞬、座が沈黙に支配される。
        それを破ったのは、ばきり、と鈍く響いた剣呑な音。







        こめかみに青筋を立てた剣心の左手が、箸を二本まとめてへし折った音だった。













        4 へ続く。