「・・・・・・え?!何それ、わたし死んじゃってたの?!」
薫は無事で、剣心をはじめ島で闘った者たちの傷も大事には至らず、めでたしめでたし―――の筈であった。
しかし薫は東京に戻る船上ではじめて、自分が拉致されていた間に何が起きていたのかを知らされ、顔色を白くする。
「死んじゃってたんじゃなくて、死んだと思いこまされていたのよ、みんな」
「そうそう、蒼紫様のおかげで、そのからくりは明らかになったわけなんだけどねー」
「あれについては警察も薄々勘づいていた。俺が墓あばきをしなくても、いずれ明らかになっていたことだろう」
「蒼紫様、謙虚な姿勢がかっこいい・・・・・・」
皆が口々に当時のことについて話し、薫はおろおろと皆の顔を見回した。最後に、視線は隣にいる剣心へと辿り着き―――彼は目を細めて、「無事でい
てくれて、よかったでござるよ」と微笑んだ。その笑みに、薫はほっとしたように息を吐く。
「でも・・・・・・お葬式まで挙げちゃったんでしょう?わたし・・・・・・戻ったらみんなに何て言えばいいの・・・・・・?」
この場合の「みんな」は、此処にはいない薫の親しい者たちのことである。
近所の者や、剣術を介しての知辺の者、その他友人知人など―――薫の葬儀に参列し、薫の死に涙を流した多くの者たち。
勿論、死んだと思っていた剣術小町が無事に戻ってきたのだから、彼らは驚きつつも喜んで出迎えてくれることだろう。それは良いとして、皆にどう説明
をしたらよいものか。
「神谷道場が賊の襲撃を受け、その中で薫が死亡した」と、皆はそう認識している。とはいえ、彼らは剣心と賊との間に―――縁との間に、どんな因縁が
あって今回の事態になったのか、詳しい事情は勿論知らない。
薫が殺害されずに済んだのは、縁が若い女性を殺すことができないからだった。今、船上にいる面々はその事実を知って「成程、だからあんな手の込ん
だ真似をして死亡を偽装したのか」と納得したところだが―――近所の人たちや他の友人知人たちに、「薫が殺されなかった理由と、殺したように見せか
けねばならなかった理由」を正しく説明するとなれば、まずは剣心と雪代姉弟との間に何があったのか、そこから解説しなければならないだろう。
薫は、思わず知らず唇を噛む。
剣心はあの時、覚悟を持ってわたしたちに、自分の過去について語ってくれた。
それは、前に進むために、この度の戦いに皆で立ち向かうために、必要なことだった。
けれど―――はじめて会ったときにも彼は、自分の過去について「できれば語りたくなかった」と言っていたのに。
剣心は、自分の過去を「なかったこと」には、決してしない。
でも、だからといって、誰彼かまわず語るのは、語らせるのは―――そんなのは嫌だ。そんな辛いことを、彼にさせるなんて。
「・・・・・・大丈夫だ、それについては問題ないだろう」
簡潔に発言したのは、蒼紫だった。
今度は、彼へと視線が集まる。
表情を動かさない蒼紫に代わって、どうやら事情を知っているらしい操が得意気に胸を張った。
★
以前、志々雄の一件が落着し、剣心たちが東京に帰ってきたとき。その時は妙や燕たちが神谷道場で待ち受けており、おかえりなさいと歓待された。
今回もその時と同様に―――いや、その時以上の人数が、道場前に集まっていた。
おそらくは、警察からの先触れがあったのだろう。首を伸ばすようにして一行の帰りを待っていた近所の者たちや剣術道場の関係者たちは、道の向こう
から歩いてきた薫の姿を認めるや否や、「帰ってきたぞー!」と声をあげて駆け寄ってきた。
「薫ちゃん!」
「ああ、よかった、本当に無事で・・・・・・」
「おかえりなさい!」
あっというまに皆に囲まれた薫は、無数のおかえりの声とともにもみくちゃにされる。中には涙を流して「よかった」を繰り返す者もおり、つられて薫も目頭
が熱くなった。自分が「死んだことになっていた」件については先程知ったばかりで、驚き困惑しつつもいまいち実感の薄いところもあったのだが、彼らの
反応で、事態がいかに深刻な方向に進んでいたかを改めて知ることとなった。
そして薫は、すべてが―――この復讐劇にまつわるすべての出来事の幕が閉じられたことを、心から「よかった」と思った。
「すげー歓迎っぷりだなぁ・・・・・・」
「葬式で、あんだけ嘆き悲しまれたんだ。無事に生きて帰って来りゃあ、それ以上に喜ばれるのも当然だろうさ」
弥彦と左之助の会話を横で聞きながら、剣心は人々の輪の中にいる薫を見つめていた。
皆の声に「ただいま!」と繰り返し答える彼女の泣きそうな笑顔を見て、ああこの誰からも愛されている娘を皆のもとに帰すことができてよかったと、しみ
じみ思う。
―――それにしても。
街の人々は随分すんなりと、「実は、神谷薫は生きていました」という事実を受け入れてくれたものだ、と。皆の喜びようを眺めながら剣心は不思議に思
った。一体蒼紫はどんな手を打ったのだろう、などと考えていると、近所の男性に無傷なほうの左手をぐいっと掴まれる。おろろと驚く間も無く、「ほらほら
あんたも!」と言われながら、薫を囲む人々の輪の中に引っ張り込まれた。
「よくやった!よくぞ薫ちゃんを取り返して来てくれたなぁ!」
「惚れた女の為に戦うたぁ、男の中の男だな!」
近所の男衆からばしばし背中を叩かれ、深刻な重傷ではないが立派な負傷者である剣心はげほげほ咳きこんだ。よろけた彼を薫が慌てて支え、「お熱
いねえ!」の声と笑い声が上がる。そして、道場前での騒ぎを聞きつけたのか、家の中からふたつ、見知った影が飛び出してきた。
「妙さん!燕ちゃん!」
薫が笑顔でふたりの名を呼び、彼女たちはまじまじと薫の顔を見て―――その目から、ぼろぼろと涙がこぼれる。
「薫ちゃん、ほんまに・・・・・・ほんまに生きてたんやねぇ・・・・・・話には聞いとったけど、ほんまに夢やないんやねぇ・・・・・・」
エプロンに顔をあてて泣き出した妙に、薫もくしゃりと泣き顔になる。「ごめんね、心配かけて・・・・・・」と声をかけると、妙は顔を伏せたままぶんぶんと首を
横に振った。
「お前は笑えよな。もう、充分すぎるぐらい泣いただろ?」
やはり泣きじゃくっている燕に、弥彦は冗談めかしてそう言った。燕はあふれてくる涙をぬぐいながら、いつかの弥彦の台詞を思い出した。
あれは、薫が亡くなったと思いこんで、燕が深く沈んでいたとき。弥彦は「必ず生きて、みんなまた会える」と、そう言ってくれたのだ。
「・・・・・・うん、弥彦くんの言ったとおりになったね」
頷いた燕は、頬を濡らしたまま微笑む。
弥彦はそのまま、あの時と同じように頭にぽんと手を置いてやろうとしたが―――きらきらと濡れた瞳で微笑む燕を見ていると、急に胸がぎゅんと締めつ
けられるように感じて、包帯が巻かれた手を引っ込めた。「だろ?」と、得意気に答えた弥彦の頬には、うっすらと血がのぼっていた。
年少のふたりのやりとりを傍らで眺めていた左之助は、彼らに聞こえないように「お熱いねぇ」と呟いて、笑った。
3 へ続く。