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        外に案内されたので、物置にでも行くのだろうか、と思った。
        しかし、何故か男に家の脇に続く小路へと導かれ、流石にそこで剣心は「妙だな」と眉をひそめた。




        「あの、運ぶものとは一体?」
        「いやいやすみません、本当にすぐそこですから」
        男の声音に、先程までとは違う何かを感じて、剣心の顔つきが厳しくなる。
        程なくふたりは、小路の突き当たりに辿り着いたが―――そこには先客がいた。


        「・・・・・・亭主どの、これは?」
        五名ほどの先客たちは、手に手に得物を持って二人を待ちかまえていた。いや、二人をではなく、剣心をだろう。

        「いやー、ひっかかってくれてありがとなぁ、剣客さん」
        くるりと振り向いた亭主の顔には下卑た笑いが貼り付いており、とても産気づいた妻を気遣う夫の顔ではなかった。
        「あんただろ? この前押し込み強盗を捕まえた奴ってのは」
        「俺たちゃその舎弟でさぁ、まったくあんたの所為で兄貴がお縄になっちまって・・・・・・わかるよな? 敵討ちする機会を狙ってたんだよ」


        すぅ、と剣心の顔から表情が消える。
        男たちはその変化には気づかず、首尾よく仇を誘い出せたことに浮かれてべらべらと言葉を続けた。


        「貴様がちょうど腹ぼての女を助けてるところに通りかかったもんだから、これは好機と思って後をつけて、一芝居うったのさ。やれ産婆だ手伝いだって
        ごたごたしているところに潜り込むのは簡単だったなぁ」
        「に、しても、あれだけでまんまと亭主と思いこむとはなぁ。こんなにあっさりついて来るとは思わなかったよ、こりゃ呆れたお人好しだ」

        げらげらと男たちが笑う。
        先程、署長が話していた、押し込み強盗の残党。意趣返しを企んでいるという弟分たち。
        つまり、剣心が亭主と思いこんだ男は偽物で―――親切心を利用されて、嵌められてしまった、というわけで。



        「・・・・・・は、ははははは」



        男たちの笑い声に、ひきつったような低い嗤いが重なる。
        剣心は、ぎり、と自分の額のあたりにあてた左手に力を込めて、憎々しげに掻きむしるように動かす。

        「いや、本当に、これは一本取られた」
        底冷えのするような声。
        ゆらりと顔を上げた剣心は、口元こそ細く弧を描く月のように、吊り上がって笑いの形をとっているが、その目は険しくぎらりと光っていた。こめかみに
        は青筋が浮かんでいる。
        自分たちよりはるかに剣呑な空気を放ち出した剣心に、舎弟たちは凍りついたように笑いを引っ込めた。


        「・・・・・・出来ればゆっくり付き合ってやりたいところだが、残念ながら、時間がなくてな」


        薫を待たせてしまっているから、急いでいるというのに。
        生命の誕生を近くに感じて、敬虔な気持ちにひたっていたというのに。
        そんな気持ちに思い切り水をさされて。何の疑いもなく、ものの見事に騙されて。


        「ああでも、時間がないぶん手加減する余裕もないか・・・・・・仕方あるまい」
        怒りですっかり抜刀斎モードに切り替わった剣心から立ち上る剣気に、舎弟たちの顔色が白くなる。
        取り囲んで、袋叩きにしてやるつもりだったが、とんでもない。大蛇を前にした蛙のように、目の前にいるこの男は自分達が束になってかかっても敵わ
        ない相手であると、本能が感じ取った。が、もう遅かった。


        ここは小路の行き止まり―――逃げ場はない。


        剣心の足が、地を蹴る。
        男たちの悲鳴はその次の瞬間から始まった。





        ★





        剣心は、やっと辿り着いた「こばと屋」の前で、かくんと大きく首を前に倒した。
        既に日はとっぷりと暮れ、約束の時間から四時間オーバー。




        あの後舎弟たちを叩きのめしたのはよかったが、ボロ雑巾のようにのびている彼らをそのまま放置しておくこともできず、結局剣心は警察に走りかくか
        くしかじかで押し込み強盗の残党をとっちめたと説明した。
        彼らは警察官等に(半ば保護されるように)連行された。叩けばいくらでも埃の出る奴らだということで署長はたいそう喜んだが剣心はそれどころではな
        く、また報告書等は後日と言い捨て署を飛び出した。
        そのまま一直線にこばと屋へ向かおうとしたのだが―――途中、例の家の前を通過しようとして、燕の声に強制的に足を止められた。


        「ああよかった剣心さんどこに行ったのか心配してたんですよー! 赤ちゃん無事に生まれたんで剣心さんも見てあげてくださいー!」


        ・・・・・・振り切れなかった。

        実際、五体満足で生まれ出でた赤ん坊は、くしゃくしゃの真っ赤な顔をしていたけれど、とても可愛らしかった。
        母親は、疲れた様子で、でも清らかに笑っていた。男の子は、「妹ができたー!」とはしゃいでいた。
        父親はよかったよかったと繰り返しながら嬉しさにむせび泣き、近所の者たちに「二人目だというのにまったくもうあんたは」と冷やかされ笑われてい
        た。それは暖かな笑い声だった。

        そんなわけで剣心は再びほのぼのと優しい気持ちで、「薫殿は男の子が欲しいと言っていたが女の子でもいいかなぁ」などと考えて―――我に返って
        またその家を飛び出した。







        で、今。
        すっかり夜である。甘味屋はそろそろ店仕舞いをする時間だろう。
        さすがにもう薫は道場に帰っているのでは、とも考えたが、しかし剣心は何か見えない力に引っ張られるようにして、一心不乱にこばと屋に向かってし
        まった。

        「いらっしゃいませー」
        店員の高い声が剣心を迎えた。
        あらかた客のはけた店内を見回しながら剣心は「待ち合わせをしていたのだが」と、おずおず切り出す。


        「ああよかった! やっといらした!」
       


        薄い桜色のエプロンをつけた店員が、ぱっと笑顔になった。













        5 へ続く。