愛し君への長き道のり







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        「ね、今日の午後の予定って、どんな感じ?」



        梅雨の合間の或る日のこと。
        朝食をとりながら、大きな瞳をくるっと剣心にむけて、薫が訊いた。
        「今日は警察署に行くつもりでござるが」
        「警察?」
        「ああ、先日押し込み強盗を捕まえる手助けをした一件で、なにやら残党がいるらしいということで・・・・・・あと報告書云々と言っていたかな」
        「そっか、でもそんなに遅くまでかかる用でもないわよね」
        急須から二人分のお茶を注ぎながら、薫がにっこり笑った。
        「わたしの出稽古が終わった後、待ち合わせしない?『こばと屋』で」

        その店は、何度かふたりで行ったことがある甘味処だ。しかし、店のある場所を思い浮かべて剣心は首を傾げる。
        「待ち合わせるのはいいが、ちょっと遠いでござるよな?」
        「面倒くさい?」
        「いや、構わないが・・・・・・こばと屋で何かあるのでござるか?」

        薫のきらきらした目は、何か企みを抱いているような色をしていた。それも、楽しげな、素敵なたくらみを。そんな雰囲気を隠そうともせず、薫は剣心に湯
        呑みを渡しながらにこにこと続ける。
        「うん、ちょっとね。でも何があるのかは秘密! 着いてからのお楽しみよ」
        「わかった、期待しているでござるよ」
        薫は剣心の返答に、満足げに頷いた。





        じゃあ三時に「こばと屋」で、と約束をし、薫は出稽古にむかった。
        元気よく「行ってきまーす!」と出かけた彼女を見送ってから、さて、と剣心は一日の段取りを考える。

        今日は梅雨も中休み、という感じに晴天が広がっている。
        家事の優先順位の一番を洗濯にして、細々と掃除やら何やらを片付ける。その後警察署に向かえば薫との待ち合わせに丁度よい頃合になるだろう。
        もう一度頭のなかで時間を逆算してみてから、剣心は「よし」と呟いた。





        ★





        「残党と呼ぶのもおこがましいくらいなんですがね、まぁ言ってみれば、先日の押し込み強盗犯の弟分という連中だそうで」


        署長は「困ったものです」というように眉を寄せながら続けた。
        「もともと札付きの奴らなんですが、兄貴分が逮捕されたということで当然気が立っていて、最近そいつら絡みの喧嘩も度々起きていまして・・・・・・今の
        ところ逮捕に至るような騒ぎは起こしていないのですが、そのうち何かやらかすかもしれません。そんなわけで緋村さんも気をつけてください」

        先日、商家に押し込み強盗が入る事件があった。犯人は人質をとって立てこもったのだが、隙をついて剣心が建物の裏手から中に入り込み無事に召し
        捕る運びとなった。今日の報告書も、その関係である。
        「意趣返しをするとなれば、対象は拙者というわけでござるな」
        「緋村さんに太刀打ちできるような腕のある輩とも思えませんが、まあ念のためですよ。嫌がらせでもあったらすぐに報告してください・・・・・・はい、これ
        で結構ですよ」
        書き上げた書類を手渡すと、署長は御苦労様ですと敬礼をした。剣心は壁に掛けられた時計を見て、薫との待ち合わせには充分余裕があることを確認
        する。


        「あ、そうそう。最近ひったくりの被害が増えていまして」
        「ひったくり?」
        「同一犯だと思うんですが、このところたて続いているんですよ。かなり足の速い奴だそうで」
        「わかったでござる、気にかけておくでござるよ」


        よろしくお願いしますの声に礼で応えながら、剣心は警察署を後にした。





        ★





        「燕ちゃーん! わたしたちこれから『こばと屋』に行くんだけど、一緒にどう?」


        商家の立ち並ぶ賑やかな界隈で、燕は同じ年頃の友人達に声をかけられた。
        「ごめんね、お店のおつかいの最中なの」
        「そっかぁ。じゃあまた今度ね!近いうちに!」

        燕は友人達の後姿を見送って、ちょっと残念そうに肩を落とした。その背に、よく知った声がかけられる。
        「大人気でござるなぁ、こばと屋は」
        「あ、こんにちは剣心さん」
        振り向くとそこには赤毛の剣客の姿。燕は笑顔で会釈する。

        「剣心さんも、もう行ったんですか?こばと屋に」
        「いや、実はこのあと薫殿と待ち合わせをしていて・・・・・・何があるのか教えてくれないのでござるよ。行ってみてのお楽しみ、だとか」
        夫婦という間柄になっても、相変わらずの微笑ましいやりとりを交わしているふたりの姿は容易に想像できて、燕は目を細めた。
        「知ってますけど・・・・・・わたしも教えないでおきますね。何があるかばらしてしまったら、薫さんに怒られちゃう」
        「燕殿も、友人たちと行ければよかったのでござるが」
        「しょうがないです、大事なものを預かっているので。また機会はありますから」


        そう言って燕は、胸にしっかりと抱いた派手な花柄の風呂敷包みを示した。
        高価な物でも入っているのだろうか。さして重そうにも見えないが、と剣心は首を傾げた。
        「そうでござるか、では気をつけて赤べこに帰るでござるよ」
        「ええ、もし失くしたりでもしたら、妙さんが卒倒しちゃいますから」

        大仰なことを言う割りに、燕の顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。はたしてどんな中身なんだろうと気になったが、剣心はあえて詮索せずにそれ
        ではと挨拶をした。

        こばと屋がある方向の、燕が今来た道の方へと歩き始め―――程なくして、燕の高い悲鳴がこだました。
        弾かれたように、剣心は振り向く。



        「ひったくりだぁっ!」



        近くにいた通行人の叫び声。
        道の真ん中にへたりこんだ燕の姿、そして手にしていた大事な風呂敷包みがなくなっている。


        「誰か、警察へ通報を!」


        剣心はそう言い放つや否や、迷うことなく走り出した。
        視線の先、道の向こうには、往来の人々を突き飛ばすようにしながら走り去る男の背中が見えた。恐らく先程署長が言っていた、最近出没している
        ひったくり犯だろう。ひょっとしたら、燕と自分との「大事な預かり物」という会話を耳にして犯行に及んだのかもしれない。
        剣心は、走りながら小さく舌打ちをした。










        2 に続く。