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        並べて敷かれた布団と布団の間にあった、ほんの少しの距離。
        剣心と薫は互いの布団をひっぱってくっつけて、その五寸程の距離を零にした。



        「これで剣心、怖くない?」
        布団にもぐりこんだ薫は、剣心のほうに首を倒して悪戯っぽく訊いた。
        剣心はごそごそと左手を動かし、隣の布団へと侵入させる。
        「これで、怖くない」
        布団の中で、きゅっと手を握られて、薫は照れくさげにえへへと笑った。


        長旅だったし沢山歩いたし、つい先程ひと騒動起きてどたばたしたしで―――なんだかんだで疲れていたのだろう。
        ふたりとも内心「どきどきしてなかなか眠れないのではないか」と心配もしていたのだが、結局、いつの間にか揃って深い眠りに落ちていた。







        ★







        翌朝、身支度を整えて部屋を出た薫は、廊下でばったりお増とお近に行き会った。
        朝食の膳を運んでいたふたりは挨拶もそこそこに、「昨夜はどうだったんですか?」と妙にきらきらした目を向けてきた。



        「出ましたっ! おふたりが言ってたとおり、出たんですっ!」
        薫はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、昨夜の「蜘蛛の妖怪(?)」の顛末についてまくし立てた。
        お増とお近はうんうんと相槌を打っていたが、どういうわけかふたりとも全く怖がるそぶりはない。
        「昨日の話を聞いたときは半信半疑だったんですけど、葵屋みたいな繁盛しているお店でも、あんなことあるんですね・・・・・・びっくりしました・・・・・・」
        自分の肩を抱くようにしてぶるりと身を震わせた薫に、お近たちは何故か満足そうに頷きあった。

        「そうなんですよ。人の出入りが多いところは、意外と出るもんなんです」
        「でもその騒ぎで、おふたりとも緊張が解けたんじゃないですか?」
        「・・・・・・えーと、それは、確かにそうだったんですが」


        騒ぎの後にあったあれやこれやを思い出して、薫の頬がぽっと染まる。
        初々しく恥らう薫を見て、お増とお近は更に瞳を輝かせて身を乗り出してきた。

        「きゃー! 何かあったんですね?! どうだったんですか?!」
        「むしろそっちが気になるので是非とも詳しく聞かせて欲しいっ!」
        「えっ?! い、いや! 何もないです! ほんとに何もなかったんですってばー!」
        「そんなはずないじゃないですかー! 薫さんからあんなふうに抱きつかれて、緋村さんが黙っていられるわけないじゃないですかー!」
        「・・・・・・へ?」


        薫は真っ赤になった頬を隠すように、ぶんぶんと顔の前で大きく手を振って否定したが―――お増の不可解な言動に、ぴたりと動きを止めた。


        「どうして・・・・・・知っているんですか? その・・・・・・わたしから抱きついたって」
        「だって、見てましたから」
        「・・・・・・はい?」
        「あ、でもほんとそこまでです。流石にあそこから先は、見たら申し訳ない展開になりそうだったから、ちょっとアレかなーと思って」
        「ねー」



        あっけらかんと話すふたりに、薫は混乱する。
        ええと、これは、つまり。


        「・・・・・・ひょっとして、あの、物音やら蜘蛛って・・・・・・」
        「そうです、わたしたちが仕込みました」



        あっさりと、むしろ得意気にそう言われて、薫は言葉を失う。
        そんな薫を後目に、ふたりは嬉々として解説を始めた。


        「あの音は、実際にわたしが天井裏を這い回って立てていたんですが、結構いい感じに気味の悪い音が出せたと思うんですよねー」
        「建て直したばかりでよかったわよねー、じゃないとお増ちゃん埃まみれになっちゃってたわよ」
        「お近ちゃんの蜘蛛だっていい出来だったわ」
        「うふ、あれはちょっと力作だもの。本当なら敵の陣地に潜入したとき、注意を逸らすため使うからくりなんだけれど・・・・・・」
        「うんうん、上から見てても、本物みたいな動きだった!」


        きゃあきゃあと「成功」を讃え合うお増とお近に、薫は少しの間呆然となった。
        つまり、昨夜の騒動は、すべて彼女らの狂言だったというわけで―――

        無意識のうちに握りしめていた拳がぶるぶると震えだす。
        「騙された」という事実を理解した薫は、大きく息を吸いこみ―――声を限りに叫んだ。



        「どーしてそんなことしたんですかぁぁぁぁぁぁっ!」



        大音声に、お増とお近はひゃっと身を竦ませる。
        薫は目を半眼にし、剣心からも「おっかない」と評された事がある怒りの表情で、ぎっとふたりをねめつけた。その凄みと迫力に、お増とお近はびくっと
        震えて姿勢を正す。


        「・・・・・・昨夜のあれは、おふたりの仕業だったんですね?」
        「えーと、その・・・・・・はい・・・・・」
        「もう一度訊きます。どうして、そんなこと、したんですか?」

        低い声で問い詰められたふたりは、互いを肘でつついてどちらが弁解するのかを譲り合っていたが、薫の眼光が鋭さを増してきているのに気づいたお近
        が覚悟を決めたように重い口を開いた。


        「・・・・・・さっき言ったとおりですよ。あの騒ぎで、緊張が解けたでしょう?」
        「え?」
        「昨日、一緒のお部屋になってから、薫さんずっと困ってたでしょう。緋村さんは緋村さんであんな感じでしたし・・・・・・だから、一計を講じたんですよ」



        人誅の一件が落着してより絆が深まったふたりだというのに、葵屋で同じ部屋をあてがわれてから妙にぎこちなくなってしまった。
        それは互いを強く意識している証拠なのだから、仕方がないことかもしれないが―――それにしても、せっかくふたりで京都くんだりまで来たのに、そん
        な雰囲気で夜を過ごすのは勿体無い。どうにかしてこの空気を変えて、ついでに背中を押してやる方法はないものか。

        そしてお増とお近が思いついたのが―――あの幽霊話である。
        いいだけ怖がらせたうえで、ひと騒動でも起こせば、それがはずみなって状況が変わるかもしれない、と。



        「流石に緋村さんにはバレるかなぁって思ったんですが、幸い大丈夫だったみたいで」
        「緋村さんも余程余裕がなかったんでしょうね・・・・・・まぁ、バレたらバレたでお叱りは覚悟のうえだったんですけど」

        お増とお近は、顔を見合わせて「ねぇ」と頷く。薫はふたりの話に呆気にとられていたが―――やがて、脱力したかのように、かくんと肩を落とした。


        「・・・・・・そういうことだったんですか」
        「いい考えだと思ったんですけど・・・・・・気を悪くされたならごめんなさい」
        「あの、緋村さんには黙っておいていただけます?」




        不安げに訊いてくるふたりに、薫は肩を落としたまま、ふるふると首を横に振った。大きく息を吐くと、なんだか笑いもこみあげてきた。
        まんまとひっかかってしまい、さんざん怖がってしまったのは悔しい気もするけれど、あの騒ぎのおかげで「背中を押された」のは事実だ。

        改めて互いの気持ちを確認できて、約束の、誓いのしるしも貰えた。
        そうなるとこれは―――怒るところではなく、感謝すべきところだろう。薫はうつむいていた顔をゆっくりと上げる。




        「・・・・・・もう、怒っていません。むしろ、ありがとうございます」
        照れたような表情に、もう怒りの色はなかった。
        お増とお近はもう一度顔を見合わせて、安心したように笑った。そしてすかさず、先程途中になっていた質問を蒸し返す。


        「じゃあ! 改めて伺いますが、結局あの後どうだったんですか?」
        「・・・・・・内緒ですっ!」





        あれは、ふたりの期待に沿えるような出来事ではないかもしれないけれど。
        それでも、そんなの勿体なくて言えるわけがない。


        あの誓いは、剣心とわたしのふたりだけが知っていれば、それでいい。








        ★








        朝食のあと、剣心に「お祓いをしたほうがよいのではないか」と進言された翁は、意味がわからず首を傾げた。
        それを見たお増が「今晩はどうしましょうか?」と、こっそり薫に囁く。


        薫は「気持ちだけいただいておきます」と、苦笑しながら答えた。


















        いっしょにねようよ 了。








                                                                                          2012.11.02








        おまけ(翌朝)へ。