I love you





     1  恋人未満




        「ただいまでござるー」



        数ヶ月前までは、抵抗があって口にすることができなかった言葉を、京都から帰ってきた今は素直に言えるようになった。
        しかしながら、母屋の奥から応える声は聞こえない。
        稽古中かなと思いつつ、剣心は買い出しの品が乗った笊を抱えたまま、道場へと向かってみる。

        想像は、半分は当たりで半分外れていた。
        と、いうのが―――薫が竹刀を持って相対していたのは、弥彦ではなかったからだ。


        「おう、おかえり剣心」
        「・・・・・・ただいまでござる。ときに弥彦」
        「ん?」
        「一体どうして・・・・・・薫殿は、左之に稽古をつけているのでござるか?」



        そう、道場の中央で竹刀を交えているのは、どういうわけか薫と左之助なのである。



        それは、激しい打ち合い、というものではない。基本的な型をなぞるように、左之助が正面からまっすぐ竹刀を振りおろすのに合わせて、薫がそれを受け
        ては払いを繰り返している。足運びもごく単純な動きで、見た感じはまるで「初心者の稽古」のようである。
        そして何だか―――ふたりとも、とても楽しそうな様子だった。

        弥彦が質問に答えるより先に、左之助が剣心に気づいた。
        彼がひょいと竹刀の先を戸口の方へ向け、そちらを見た薫が、ぱっと笑顔になる。

        「じゃあ、ここまでにしましょうか・・・・・・左之助、なかなか筋がいいじゃないの」
        「そりゃあな、竹刀たぁ違うが喧嘩の場数は踏んでるからな」
        ふたりはぴたりと姿勢を正し、「ありがとうございました!」と礼をし合う。そして薫は「おかえりなさい!」と剣心に向かって手を振り―――剣心も、反射的
        に手を上げようとして、持っていた笊を取り落としかけた。
        「きゃ!大丈夫?」
        「あ、ああ、すまない・・・・・・大丈夫でござるよ」
        「お買い物お疲れ様!じゃあ、剣心も帰ってきたし、おやつにしましょうか。美味しいお団子があるのよ」
        落しかけた笊に手を伸ばした薫はそのままそれを受け取り、「着替えてくるわね」と道場を後にする。「なー、麦湯冷えてるのあるか?」と、弥彦がそれに
        続いた。


        なんとなく、残された形になるのは男ふたりである。
        「・・・・・・で?」
        「ん?」

        短く疑問符を口にした剣心に、やはり短く左之助が返す。不自然なほどに無表情な剣心に対して、左之助はにやにや笑いを顔に貼り付けている。
        「・・・・・・今のは、なんだったのでござるか?」
        「いやー、俺は徒手空拳が信条だけどよ、剣術のほうも結構いけるんじゃねーの?どうよ、最強の剣客さんの目から見ては」
        「・・・・・・左之」
        ひんやりとした声にも怯まず、むしろそんな剣心を面白がるように、左之助は竹刀を肩にかつぐ。長身の彼は、そんな仕草もなかなかに様になっていた。


        「いやさ、俺、刀の持ち方知らねーんだわ」
        「・・・・・・え?」
        「もともと武士の生まれじゃねーしよ。赤報隊にいた頃は、見習い小僧できちんと教わる余裕もなかったし、斬馬刀は、ありゃあ普通の刀とは違うしな。完
        全に我流で振り回してたからよ」



        左之助いわく、今日もいつものように「小腹が空いたから」という理由で神谷道場を訪れた。
        すると剣心は買い出し中で、薫と弥彦は剣術の稽古中だった。
        道場で竹刀を振るふたりの姿を見物していた左之助は、弥彦がずいぶんと上達していることに対し「格好ついてきたじゃねーか」と賞賛の声を上げた。何
        かにつけて弥彦を茶化す左之助にとって、それはかなりの褒め言葉である。「やっと俺の実力に気づいたか」と得意気に―――そして嬉しそうに胸を張っ
        た弥彦に、左之助は「まあ、俺は竹刀の持ち方も知らねぇ素人だけどな」と軽く返した。
        その言葉に、たいした意味をこめた訳でもなかったが―――それを聞いた薫は小さく首を傾げ、ひょいと竹刀を差し出して言った。


        「やってみる?教えてあげるわよ」



        「・・・・・・で、嬢ちゃんが竹刀の持ち方から教えてくれてよ、折角だからちょっと打ち合ってみようって事になって、あんな感じにな」
        「そうだったのでござるか・・・・・・」
        剣心は、無意識のうちに固く握っていた拳を、ぱらりとほどいた。

     
        それは、薫にとってはごく自然な行為だったのだろう。
        由太郎のときもそうだった。朝駆けに敵陣を急襲するがごとくやってきた彼は、しかしながら竹刀を握ったことすらなかった。強い剣士に憧れつつも、雷十
        太から教えを乞うことができずにいた由太郎に、薫はその場で剣の持ち方から教えてやった。あまつさえ、活心流への入門まで提案したのである。

        雷十太を慕う由太郎は、言うなれば「敵側」という立場である。それにもかかわらず、「強くなりたい」と願う彼に力を貸そうとする薫。彼女の剣術に対する
        純粋な想い。その清冽さに、剣心は「とても良いものに触れた」と感じたことを覚えている。そして―――


        「・・・・・・に、してもよー。嬢ちゃんもガサツで活きが良すぎるのは難だが、あれだな、優しい娘だよな」
        「ああ、優しいでござるよ」


        そう、優しいのだ。
        人斬りだった自分を受け入れてくれたのも、掏摸の世界に身を置いていた弥彦を門下生にしたのも、彼女の優しさ故だ。左之助に「やってみる?」と言っ
        たのも、ちょうど由太郎に剣術を教えた時と同じ感情が働いたからだろう。
        もしも、少年の日の左之に、同様に剣の手ほどきをしてくれるような大人が存在していたならば、また違った戦い方をするようになっていたのかもしれない
        な―――などと考えていた剣心に、それを知る由もない左之助は、人の悪い笑みを向けた。


        「うん、優しい。惚れちまいそうだぜ」


        剣心はあくまで無表情を装っていた―――いや、装っているつもりでいた。
        しかし、その顔色がざわっと変わったのは明らかで、左之助はそれを確認してから満足そうに「いや、間違えた、『お前ぇが惚れるのもわかる』だった」と訂
        正する。
        「いやー、東京に帰ってきてから嬢ちゃんもすっかり安心しきって、何かお前ぇら所帯じみてきやがったなぁと思ってたんだが、そういう訳でもねぇんだな」

        どちらかというと、剣心のほうが前より熱を上げている。
        その証拠に、二人で竹刀を交わす姿を眺める剣心の目にあったのは、明らかに嫉妬の色だった。

        「巧く隠してるつもりだろうが、俺にはわかる。ってか、男同士なんだから隠すこたぁねーだろー?どうよ、一つ屋根の下に住んでるからには、これから
        色々と・・・・・・」
        「左之」
        ひゅっ、と。鼻先で空気が鳴った。
        見ると、いつのまにか竹刀を手にしていた剣心が、にっこり笑顔で剣先を突きつけていた。



        「折角だから、拙者も稽古をつけてしんぜようか」



        笑顔だったが、その眼は一寸たりとも笑っていない。
        背中に冷たいものが流れ落ちるのを感じて、左之助は頬をひきつらせた。





        道場で惨劇が起きている頃、居間では薫が「剣心たち、遅いわねぇ」と首を傾げていた。
        待ちくたびれた弥彦が団子に手を伸ばし、薫に甲をぺちんと叩かれた。











        2 へ続く。