出立の朝、東京の空は穏やかに晴れた。



        ここ数日で残暑もだいぶ落ち着いてきた。のんびりと上がった太陽が庭に投げかける光は優しく柔らかく、縁側に座った剣心は「ああ、じきに秋なんだな」
        と目を細める。

        「・・・・・・そういや、信州じゃあの兄弟に出くわしちまってよ」
        その隣で左之助が語るのは、少し前に彼が辿った「旅の思い出」であった。









    
   いい日旅立ち








        今日、剣心と薫のふたりは京都へと出発する。



        見送りと手伝いのため、いつもの面々が神谷道場に集まって、いつもより少し早い時間に朝食を済ませた。ふたりとも旅の荷造りなどは昨日のうちに整
        えてしまったので、あとはもう草鞋をはけばいつでも出発できるくらいである。
        とはいえ、まだ朝食の後片付けも済んでいないので、腕のほかあちらこちらを負傷中の剣心は、とりあえず食休みでもと縁側に出た。後に続いた左之助
        が「女狐、茶!ふたりぶんな」と顎をしゃくり、恵が「いいご身分だこと」とため息をつく。「自分でやりなさい」と返さなかったのは、剣心も分が含まれていた
        からだろう。

        「兄弟、とは?」
        「あー、なんつったっけ?ほら、ここの道場狙ってた、デカブツとチビの組み合わせの」
        「ああ、比留間兄弟」
        「それとブタまんじゅう。黒笠の時に護衛に行った・・・・・・」
        「おろ、谷さん今は信州なんでござるか。それはまた奇妙な縁でござるなぁ」



        縁一派が神谷道場を襲撃した際、薫が殺されたと思いこんだ剣心は完膚なきまで壊れてしまった。そんな剣心と東京という街に見切りをつけて、左之助
        は出奔した。その後いろいろあって剣心は「復活」し、左之助も仲間のもとへ帰ってきて、一同は薫の救出に向かった。
        そして無事に薫を取り戻した現在。各自が別々の場所で過ごしていた頃、それぞれがどんな行動をとっていたのか、ようやく振り返る余裕も出来てきた。
        「ちょっと信州まで足を伸ばしてよ」と軽い調子で口を切った左之助に、剣心は「お主もやることが極端でござるな」と笑って相槌を打ったが、そこで思いが
        けない名前が出たのにはさすがに驚いた。

        比留間兄弟といえば、まさしく剣心が薫と出逢うきっかけとなった事件の首謀者である。また、左之助が剣心たちの仲間になったのも、あの兄弟の逆恨み
        が遠因と言えよう。


        「あいつらに『半年前に手を組んで闘った』って言われて驚いちまったぜ。あれからまだ、半年くれぇしか経ってねぇんだなぁ」
        「ああ、それは確かに。この半年と数ヶ月で、色んなことが起きたでござるからなぁ」
        「濃い半年だったよなぁ。お前、流浪人してた頃もこんな風に、たびたび事件に巻き込まれてたのか?」
        「まさか。そんな大きな事件などめったに起きないし、しょっちゅう起きては困るでござるよ」
        「するってぇと、今年は特別か」
        「そうでござるな・・・・・・あらためて振り返ると、どれもこれも起きるべくして起こった気がするが」



        半年と少し前、東京に流れ着いた剣心は薫と出逢った。
        道場を乗っ取られそうになっていた彼女を助けた剣心は、そのまま薫のもとに身を寄せた。
        乗っ取りを阻止された比留間兄弟は逆恨みをし、喧嘩屋「斬左」に剣心との喧嘩を依頼した。この依頼がなければ、左之助は剣心たちにとって「赤べこで
        行き合った風変わりな男」に過ぎず、親しい友人になるにはもっと時間を要していたかもしれない。

        そして、偽抜刀斎の騒動をきっかけに、かつての同志たちに剣心の所在が明らかになった。その結果、刃衛と闘い、志々雄一派と死闘を繰り広げること
        となった。
        もし剣心が薫のもとにとどまらず、旅を続けていたとしたら、大久保卿は剣心を頼ることもできず、志々雄は国盗りを成功させていたかもしれない。
        同様に、雪代縁も剣心の居場所を知れたため、かねてより計画していた復讐を実行に移せたのだろう。いずれの出来事も偶発的に起きたわけではない。
        すべては何らかの繋がりによって、起きるべくして起こったものだ。



        「そう考えると、お前が嬢ちゃんに会ったのが、色々起きた全部の始まりってぇわけだな」
        「ああ、よかったでござるよ。あの時、拙者が居合わせることができて」

        満足げに頬をほころばせる剣心に、左之助は「お、珍しいじゃねーか」と茶々を入れる。
        「おろ?」
        「お前が自分のこと肯定的に言うなんざ、珍しいだろ」
        「いや、拙者そこまで卑屈ではないでござろう」
        「一番タチが悪ぃぜ?自覚が無えってのはよ」

        そう言って左之助は笑ったが―――実際、この半年あまりで剣心は変わったのだろう。十年間、ずっと自分を責めながら生きてきた男が、自分の存在を
        肯定できるようになった。それは喜ばしい変化だ。

        「まぁでも、たとえ拙者が東京に来るのが少し遅くて道場を乗っ取られた後だったとしても、薫殿ならきっと諦めずに取り返す算段を考えたに違いないで
        ござるよ。それならそれで、きっと拙者はそれに手を貸して・・・・・・」
        「嬢ちゃんの考える『算段』たぁ、どう考えても殴りこみだろ。そりゃお前も手の貸し甲斐があっただろうな」
        仮定の話を真剣に語る剣心に、左之助は軽口で応酬したが―――実のところ、剣心と薫が出逢ったから、左之助も彼らと知り合うことができたのだ。



        もし、ふたりが出逢っていなければ、今頃俺はどんなふうに過ごしていたのだろう。
        ふと、そんな思いが左之助の脳裏をよぎった。



        「ねぇ緋村ー!ちょっとこれ、お願いしたいんだけどー!」
        「おろ?届け物でござるか?」
        操の声に呼ばれて剣心は立ち上がる。京都にいる翁たちに、言付けなどがあるのだろう。
        縁側にひとり残った左之助は、湯呑みに口をつけながら、なんとなく、これまで自分が辿ってきた道程に思いを馳せる。


        子供の頃に家を出て、赤報隊に入隊した。尊敬して憧れていた相楽隊長が処刑されたとき、自分が非力な少年であることが悔しくてたまらなかった。
        明治政府への怒りをぶつけるように喧嘩に明け暮れた。こてんぱんにのされて大負けする日もあったが、じきに自分が特別打たれ強い身体であること
        を知った。いつしか「喧嘩屋」が生業となり、なんとなく腰を落ち着けた東京で、慕ってくれる舎弟たちもできた。
        明治になってからそんなふうに日を潰してきて、ここ数年はそれが日常となっていたが―――剣心同様、この半年あまりは変化の連続だった。


        喧嘩屋を廃業した。
        これまでになく真剣に、強くなりたいと思った。
        奇妙な出会いがきっかけで、二重の極みを会得した。
        家族と、再会した。



        「悪くねぇ、半年だったよな」



        まあ、大怪我をして死にかけたこともあったが、それでも、使える技が増えて闘いの場数も踏めて、半年前の自分より、間違いなく強くなれた筈だ。
        今までは、隊長の仇である明治政府や維新志士たちをやみくもに憎んでいたが、剣心と出会ってその考えも、少しだけ変化した。
        いけ好かないやつもいたし、頭にくる出来事も多かった。そのかわり、きっと今年知り合った仲間との縁は、たとえ離れた場所にいたとしてもずっと長く続く
        ような気もする。沢山怒ったりもしたが、楽しい瞬間も沢山あった。本当に、沢山あった。



        悪くない半年だった。
        悪くないというか、面白い半年だった。



        そうか―――「変わる」ということは、こんなにも面白いことだったのか。



        ふいに、目の前がぱあっと明るくひらけたような心持ちになって、左之助は空を見上げる。
        「旅にでも、出てみっか・・・・・・」
        唐突に、そんな言葉が口をついた。

        この半年は、短い期間であちらこちらを駆けずり回った半年でもあった。その旅路で安慈と出会い、父と弟妹に再会した。
        いずれの旅も日数的にはそう長くなかったが、たとえばもっと長い時間をかけてもっと遠くまで足を伸ばしたとしたら、どんな出会いがあるのだろうか。
        信州や京都より、もっと遠くへ。いっそのこと海を越えて別の国を見てくるというのも―――



        「・・・・・・面白そうじゃねーか」



        ひとりごちて、左之助はにやりと口の端をあげる。
        剣心が流浪の旅を始めたのも、俺くらいの年齢だったはずだ。俺の場合は贖罪とか人助けとかそんな殊勝な目的ではなく、ただ「面白そうだから」という
        のが理由だが、きっと理由なんてそれで充分だ。

        行ったことのない場所に行って、会ったことのない人に会って。人生一度くらいはそんな変化に富んだ旅暮らしを経験するのもいいだろう。人並みはずれ
        て頑丈な身体と馬鹿げて強靱な足を、街暮らしで鈍らせるのももったいない。



        胸の奥からふつふつとこみ上げてくる高揚感。強い相手と対峙する「楽しい喧嘩」を前にしたときの感覚によく似ている。とても―――わくわくしてきた。



        すっくと立ち上がり、「よっしゃあ!」と気合いを入れる。と、ちょうど縁側に顔を出した薫が「なっ、何?!どーしたの?!」とたたらを踏んだ。
        「お、悪ぃな嬢ちゃん、驚かせちまって」
        「びっくりしたぁ・・・・・・何ひとりで大声出してるのよ?」
        「いや、旅に出るにはぴったりの日和だなーと思ってよ」
        それが今の大声にどうつながるのかと疑問に思いつつも、薫は「ほんと、お天気に恵まれてよかったわ」と頷いた。

        左之助としては、盛り上がった今の気分のまま旅立ってしまいたいところだったが、そんな真似をしたらまた恵から「馬鹿の世界記録を更新してどうする
        の」とどつかれてしまうだろう。そうだ、今日発つのは剣心と薫である。彼らの出発を見送って、そして無事に此処へ帰ってくるのを見届けずに去るというの
        は、さすがに義理を欠くし友達甲斐がない。
        はやる気持ちを落ち着けつつ、左之助は「なぁ嬢ちゃん」と切り出した。


        「ん、なぁに?」
        「悪かったな。あの時、比留間の兄弟なんかに雇われちまってよ」
        薫にとってもそれは久しぶりに聞く名前で、記憶を呼び起こすのに数秒を要した。あの兄弟の名前はすでに忘れかけていたし、どうして左之助が謝るの
        か、その理由を思い出すのには更に時間がかかった。

        「・・・・・・ああ、比留間兄弟!そうよね、左之助ってあの二人に雇われて剣心と闘ったんだもんね・・・・・・って、いきなりどうしたの?そんなこと謝られても
        今更すぎるでしょー!」

        謝罪は明るく笑い飛ばされたが、左之助としては、一度きちんと謝っておきたかったのだ。
        あの当時はそこまで深く考えてはいなかったが、あの喧嘩の勝敗いかんで、薫は土地屋敷を乗っ取られていたのかもしれないのだ。かつては嫌ってい
        たり敵対したりしていた者たちが、今は和気あいあいと朝食を共にする場所となっている、この道場が。

        左之助としても「今更だよなぁ」とは思うし、まぁ剣心が喧嘩で自分に負けるなど天地がひっくり返ってもありえないとはわかっているのだが―――それで
        もこの件に関しては、けじめとして謝っておきたかった。そして、


        「なぁ嬢ちゃん」
        「今度はなによ」
        「もう剣心に言われたか?夫婦になろうって」
        「な・・・・・・な、何言ってるのよ!そんなのあんたに関係ないでしょー!?」
        真っ赤になってわたわたする薫の様子に、左之助は「ああこれはまだ言われてないな」と心の中でつぶやいた。

        剣心は薫のことを「いちばん大切なひと」ときっぱりはっきり公言しているし、端から眺めていても彼らは間違いなく相思相愛に見える。が、なまじ最初から
        ひとつ屋根で過ごしてしまったせいか、色っぽい関係に発展する間もないまま、所帯じみた雰囲気になってしまっているのも事実だ。
        まあ、今回の一件で剣心も過去のしがらみ等からは解放されただろうし、放っておいてもふたりの仲はいい感じに進展するのだろうが―――少しばかり、
        背中を押しておくのもいいだろう。


        「あのな、いいこと教えてやるよ」
        「もー、次は何っ?!」
        「嬢ちゃん、剣心に何て呼ばれてる?」
        「は?そんなの左之助も知ってるでしょ。『薫殿』って呼ばれてるわよ」

        たとえ相手が年下であろうが、剣心は女性に対して「殿」という敬称をつける。例外といえば、かつて妻だった巴くらいのもので―――でも。



        「『薫』って、呼び捨てにしてたぜ」
        「・・・・・・え?」
        「嬢ちゃんが死んだと思い込まされたときな、あいつ、偽物の嬢ちゃんの前で、薫って呼びながら泣いてやがった。きっと、頭の中でいつもそう呼んでるの
        が、つい口に出ちまったんだろうな」



        亡骸を目にした剣心が壊れてしまったこと。皆の前から姿を消した後、落人群で発見されたことなどは、薫も既に聞かされていた。
        自分が拉致された所為で、剣心がとても辛い思いをしてしまったことを知って、薫は申し訳なく思っていたのだが―――


        いよいよ耳まで真っ赤になってしまった顔を、薫は手のひらで覆って左之助から隠す。しばらくして指の隙間から「・・・・・・どうしよう」とか細い声が漏れた。
        「どうしようって、何が?」
        「不謹慎・・・・・・よね?だって剣心わたしがいなくなった所為ですごく大変な目に遭ってたのに、だからわたし、申し訳ないって思っていた・・・・・・のに・・・・・・」
        
        泣きそうに揺れる声。
        剣心がこの様子を目にしたら「何泣かせてるんでござるか」と怒りの形相で左之助に詰め寄るに違いない。けれども、細やかな機微に疎い左之助にもわ
        かる。これは、嬉しくて泣いている声だ。

        「俺は女心なんざわからねぇけどよ、惚れた相手から一人だけ特別な呼び方されたら、普通は嬉しくなるもんじゃねぇの?」
        「い・・・・・・いいのかしら、こんな、こんなことで喜んだりしちゃって・・・・・・」
        「こんなことで喜ぶくらいで、バチは当たりゃしねえよ。ったく、剣心も嬢ちゃんも変なところで真面目なこったなぁ。似たもの夫婦ってやつか」
        「もう!だから、わたしたちそんなんじゃないってば・・・・・・」

        言いながら薫は、そろそろと手のひらを動かして、顔を上げる。
        まだ頬は赤いままで大きな瞳は涙で潤んで。でもきらきらと輝くような笑顔で―――左之助はこれまで薫を異性として意識したことはなかったが、その笑
        顔は素直に「とても綺麗だ」と思えた。



        「左之助、ありがとね。教えてくれて」
        「いやなに、旅立つ御両人にはなむけってやつよ」

        正確には、俺のほうがもっと長い旅に出かけようとしているわけだが。でも、それについてはふたりが帰ってきてから話せばいい。長い別離になるかもしれ
        ないが、きっとこいつらとなら数年の空隙ができたとしても、つい昨日別れたばかりのように自然に再会できるような気がする。仲間とは、そういうものだ。





        剣心を探していた薫だったが、「今顔をあわせて平気でいられる自信がないから」と行って、左之助の手から空の湯呑みをひったくるように取り上げ、台
        所に片付けにひっこんだ。
        入れ替わるように縁側に戻ってきた剣心に「薫殿の声がしたようだが」と尋ねられ、左之助は「台所。お前のこと探してたぜ」と教えてやった。
        平気でいられないと言っていたが、さっきのような顔は、剣心にこそ見せておいたほうがいいと思ったので。



        再びひとりになった縁側で、左之助は大きくのびをする。
        穏やかに晴れた朝、残暑もだいぶ落ち着いた、旅に出るにはうってつけの日。





        「さて、俺はいつ頃、出発すっかな・・・・・・」







        葉末からこぼれる陽の光に目を細めながら、左之助は楽しげにつぶやいた。














        了。






                                                                                           2022.11.20







        モドル。