「・・・・・・危ないっ!」



        声を発したのは薫で、それと同時に素早く身体を動かしたのは剣心だった。









     I Found You    初恋 番外編 2


     1







        往来を歩いていた剣心と薫の目にとまったのは、鬼灯のような色の着物を着た、年の頃は五つか六つくらいの女の子だった。
        なんとなくその子の動きを視線で追ったのは、着物の鮮やかな色が目についたからである。しかし、その子供が商家と商家の間にある細い小路にするり
        と入り込んだのを見て、ふたりとも「何をしているのだろう」と首を傾げた。

        商家の壁には細い材木や板切れが斜めに立てかけられている。
        子供は、その傍にしゃがみこんで何やらごそごそ動いていたが―――ふと、弾みで材木がぐらりと傾き、倒れそうになった。


        「・・・・・・危ないっ!」
        薫が声を発したのとほぼ同時に、剣心は地を蹴った。

        はっし、と。剣心は腕と身体とを使って材木を受け止め、子供にぶつかるのを防いだ。子供は驚いたように目を大きくして剣心を見上げると―――何を思っ
        たのか、彼の足許をすり抜け、材木と壁との間にある空間に潜りこんだ。
        彼女の行動に剣心と薫は目を丸くしたが、その理由はすぐに知れた。次の瞬間、同じ年頃の男の子が道の向こうから走り寄ってきて―――小路の前で
        ぴたりと足を止めたからだ。


        剣心も薫も、何も言わなかった。
        しかし男の子は直感で「ここが怪しい」と感じとったのだろう。ずんずんと剣心に近寄ると、子供らしい遠慮のなさで袴の裾に手を伸ばした。



        「・・・・・・見ぃつけた!」



        剣心の袴の裾を暖簾のように除けると、そこには鬼灯色の着物の女の子の姿があった。
        女の子は「あーあ」と大仰にため息をつき、隠れ場所から「投降」する。剣心の足許を通って出てきた彼女の手を取って、男の子は「行こっ!」と言って駆け
        出した。どうやら―――かくれんぼをしていたらしい。


        「危ないところに入っては駄目でござるよー!」
        「危ないところに入っちゃ駄目よー!」
        剣心と薫の声は示し合わせたわけでもないのに見事に重なり、通りすがりの女性がそれを聞いてくすりと笑った。ふたりは顔を見合わせて、気恥ずかしさ
        に首を竦める。子供ふたりは駆け去る足を止めぬまま、やはり声を揃えて「はーい!」と返事をした。

        「剣心、手、大丈夫?」
        「ああ、細い木切れでござったから、どこも痛めてないでござるよ」
        そう言って腕を大きく動かしてみせた剣心に、薫はほっと安堵の息をつく。


        「あの女の子、隠れられる場所を探して、あんなところでごそごそしていたのね」
        「まぁ、怪我がなくてよかったでござるよ。見つかってしまったのは、あの子にしてみれば不本意だったろうが」
        「剣心の影になって、見えない筈だったもんね。でも確かに、あんな場所に立ちはだかっていたら何かおかしいって気づかれるわよねぇ」
        薫はくすくすと笑い―――「かわいかったなぁ」と、呟くように言った。

        「ちょっと『神様』を思い出しちゃった。見た目は、あのくらいの年だったわよね」
        「ああ、そうでござるな・・・・・・拙者もそう思ったでござるよ」
        剣心は、赤い着物におかっぱ頭の「神様」の面影を辿るように、ふっと遠い目をする。それと同時に、夏に起こった小さな時間の神様にまつわるあれこれを
        思い返して―――次いで、たった今目にしたかくれんぼの子供の、「見ぃつけた!」が耳によみがえる。



        「・・・・・・うらやましいでござるな」



        剣心は、ひとりごとのようにぽつりと呟いた。
        脈絡の無い、としか思えないその言葉の意味がわからず、薫は首をかしげた。









        ★








        「ねぇ、いったい何がうらやましかったの?」



        薫が改めてそう訊けたのは、たっぷり数時間が経ってから。
        夕飯の後にお茶を淹れる段になってからだった。

        あの後、何に対して羨ましいと思ったのかを尋ねてみると、「うん、まぁ後で教えるでござるよ」とはぐらかされた。ふたりで台所に立って夕飯の支度をして
        いるときに訊いても「ここではちょっと話しづらい」とかわされて―――そうなると、余計に気になってしまうのが人情である。いいかげん痺れを切らした薫
        は、焙じ茶の入った湯呑みを剣心に手渡しながら、今度こそとばかりに尋ねてみる。
        剣心も、ここにきてようやく落ち着いて話せると思ったのか、受け取った湯呑みを手の中で軽く揺するようにしながら、「薫殿に、呆れられるかもしれぬ
        が・・・・・・」と前置いて、話し出す。


        「あの、かくれんぼの男の子供。隠れている女の子をちゃんと見つけたでござろう?」
        「ええ、そうだったわね」
        「拙者も―――あんなふうに拙者のほうから、薫殿を見つけたかったから。だから、うらやましいと思ったのでござるよ」


        意味は、半分ほど理解できた。
        そうか、男の子が女の子を見つけられたことがうらやましかったのね。

        いやでも、どうしてその事がうらやましいのかがわからない。
        それに―――わたしを、見つける?


        「わたしたち・・・・・・かくれんぼして遊んだことなんて、あったかしら?」
        真顔で尋ねた薫に、剣心は「いや、そうではないよ」と笑う。
        「昨年、はじめて逢ったとき。薫殿が、拙者を見つけたでござろう?」
        「・・・・・・あの、夜のこと・・・・・・?」

        昨年の、冬が終わる頃に。
        全国を旅していた剣心はこの街に流れ着き、その時薫は流派の名を騙る辻斬り犯・人斬り抜刀斎を捜していた。それは「偽」の抜刀斎だと後に知れたの
        だが―――確かにあの時、夜道で剣心の姿を見つけて呼び止めたのは薫のほうだった。それはもう、敵意と闘志をむき出しにした状態で。

        「そりゃあ・・・・・・当然でしょう?わたしは辻斬り犯を捜して鵜の目鷹の目だったけれど、剣心は別にわたしを捜していたわけじゃ―――」
        「捜していたでござるよ」
        剣心は手にしていた湯呑みを置くと、じいっと、薫の瞳を見つめた。



        「幕府がなくなって新しい時代が始まって、流浪人になってから―――拙者はずっと、薫殿を捜していたでござるよ」



        咄嗟に、返事ができなかった。
        薫は驚きに目を大きくして、ただただ剣心の顔を見つめ返す。

        「わたし、を・・・・・・?」
        ようやく、呟くようにそう言うと、剣心は深く頷く。


        小さな神様の悪戯で幕末に遡った薫は、そこで少年の頃の剣心に出会い、彼は薫に恋をした。
        しかし、当時の剣心が薫に恋をすることは、「在るべき歴史が変わってしまう」ことを意味していた。
        その後の剣心が巴に出会って結ばれて、歴史が正しく流れるためには―――過去の剣心から、薫の記憶はすべて消されなくてはならなかった。

        「わたし・・・・・・最後に過去のあなたに逢ったときに、確かに言ったわ。新しい時代になれば、わたしたちはまた逢えるって。でも・・・・・・剣心はそのことを、
        覚えていないんでしょう・・・・・・?」
        「勿論、覚えてはいないよ。でも、離れたくないのに離れてしまった相手がいるならば、また逢うために捜すのは当然でござろう?」
        呆然としながら言葉を紡いだ薫に、剣心はそう言ってふわりと笑いかける。


        「記憶は消えてしまっても、あの時拙者が薫殿を好きになったという事実が消えたわけではないよ。だから、覚えていなくても・・・・・・自分でもわからないく
        らいの心の奥底で、薫殿のことを捜し求めていたはずだ」


        剣心にしてみれば、それは単純な真実だった。
        好きなひとと、引き離された。それならば、そのひとを捜すに決まっている。

        記憶が消えても、そのひとの顔も声も名前も忘れてしまっても、そのひとを求めるに決まっている。
        だから―――流浪人になってあちこち旅をして渡り歩くなか、記憶の下にある魂は、好きなひとをずっと捜し求めていたに決まっている。
        この国のどこかにいるであろう、ただひとりの女性のことを、ずっと。


        「長いこと捜していたのだから・・・・・・出来ることなら、拙者から薫殿を見つけて再会したかったでござるよ。勿論、覚えていないから無理だということは、
        わかっているでござるがな」
        「・・・・・・そんなふうに言われたら、ほんとは剣心、全部覚えているんじゃないかって思っちゃうわよ」
        少し、泣きそうな気分になりながら、それでも薫は微笑んで言った。剣心は優しい笑みを唇に乗せて、「残念ながら」と言うようにふるりと首を横に振る。
        「あーあ、ほんとに覚えていたらなぁ。そうしたら、あの時教えてもらえなかった『もうひとつ』も、ちゃんと教えてもらえるのに」

        殊更に明るくおどけた声を出した薫に、剣心は「もうひとつ、とは?」と反応する。
        薫はくすりと笑うと、剣心の目をのぞきこんだ。




        「最後から二番目に遡ったときにね、剣心に質問をしたの」
        「質問・・・・・・?」
        薫は人差し指をぴんと立ててみせると、悪戯っぽく瞳を動かす。








        「新しい時代が来たら、剣心は何をしたいの・・・・・・?って」













        2 へ続く。