その晩の夕食では、操の「今日は絶対に飲みたい!」という希望で酒がついた。
ずっと黙っていた家出の理由を、今日やっと告白した操。そうなると今度は、剣心と薫相手に愚痴らずにはいられなかったのだろう。
酒の力にも後押しされて、操はそれまで押し殺していた想いのたけを延々と語り続けた。
「最初はねー、みんな面白半分だったの。だって、薫さんも言っていたとおり、蒼紫様が余所の女のひととうまくいくなんて想像つかなかったし。だからー、
見合いの席の蒼紫様ってどんなだろー、面白そーう、見てみたーい、ってノリで、爺やもみんなもー・・・・・・」
「その様子は容易に想像がつくでござるが・・・・・・それは少々、蒼紫が気の毒でござるな」
「でっしょー!? それにね、蒼紫様だけじゃなくって、みんなあたしの反応も面白がっちゃって・・・・・・あたしが蒼紫様のこと大好きだってみんなわかってる
から、あたしがおろおろ狼狽えるの見て、みんな散々からかってきてさー!乙女の純情を何だと思ってるんだよー!」
しなだれかかってぐりぐりと肩先に頭をすりつける操の背中を、薫はよしよしとぐずる子供を宥めるように撫でた。
「それは癪にさわるわねー、操ちゃんとしては、もう気が気じゃないっていうのに」
「だよねー?! 薫さんならわかってくれるよねぇ?! ああもうごめんね薫さぁぁぁん・・・・・・あたしばっかりこんなに飲んじゃってぇぇぇ・・・・・・」
「んー、それは全然構わないから、大丈夫だけど」
身ごもって以来酒は飲まないようにしている薫だが、正直言って今の操の危なっかしい酔っぱらい方を見ていると、「たとえ自分も飲んだとしても、呑気に
酔っている場合ではなかっただろうな」と思った。酒が入ってからの操は、興奮気味に大きな身振り手振りで話し続け何度も膳のものをひっくり返しかけた
ので、剣心と薫は操の前から皿をすべて避難させた。今では彼女の手許には酒が入った猪口が残るのみである。
「しかし、面白半分で始まったとはいえ、その縁談は結局進んでいるんでござろう? と、いうことは蒼紫の見合いは上手く行ったということでござる
か・・・・・・意外でござるなぁ」
「なによ緋村失礼ねっ!蒼紫様は格好良くてあんたと違って背も高くて、知的で物静かで優しいんだから、そんなの意外でもなんでもないでしょっ?!」
ばっと身体を起こした操は、手にしていた猪口を素早い動きで剣心にむかって投げつけた。幸いにして猪口は空で畳を汚すことはなく、剣心は鼻先で、
ぱし、とそれを受け止める。
「そうは言うが、葵屋の他の面々も面白がって設けたような見合いでござろう? つまりは皆、上手く事が運ぶとは思っていなかったのでは?」
剣心の指摘に、操の眉が情けなく下がった。力なく「・・・・・・そのとおりだよ」と、剣心の言を肯定する。
「蒼紫様は素敵だけれど・・・・・・そんなただの見合いの席なんかで、蒼紫様の魅力が理解されるもんかって、あたしも思ってたの。いくら相手のひとが、一
目惚れしたからと言ってもね」
操には悪いが、薫はその考えに大きく頷いた。薫も、会って二年経つ蒼紫という人間を未だによく掴めていないのだから。
勿論、最初よりは遥かに印象は柔らかになっているし、以前の彼は剣心の敵だったがその後は色々と助けられているし、そこはとても感謝している。
けれど―――例えば蒼紫さんとふたりきりになったとしたら、どんな会話をしたらよいのかちょっと困るだろうなぁ、と薫は思った。
「蒼紫様も、変わろうとしているのかもしれない」
操は、そう言って再び身体を傾け、薫に寄りかかる。
いいかげん酔いもまわったのだろう、ゆっくりと瞬きをする目蓋はいかにも重たげだった。
「蒼紫様はいずれ、葵屋の主になるんだから・・・・・・そのために、変わろうとしているのかもしれない。爺やみたいに、よそのお店ともちゃんとお付き合いを
して、人当たりもよくして、縁談も・・・・・・」
「いやいやいや、変わろうとしているのはともかくとしても、縁談となればまた話が別でござろう」
「そうよ、そこは一緒にするところじゃないわ」
「・・・・・・でも、実際話は進んでるんだもん」
一斉に否定した剣心と薫だったが、操の返答に揃って言葉を詰まらせた。
操は薫の肩先に顔をうずめて黙り込む。すがりついた手から微かに震えが伝わってくるのを、薫は感じた。
「操ちゃんは、蒼紫さんが変わっちゃうのは、嫌?」
そっと囁くと、操の肩がぴくりと動いた。
ややあって、額を薫の肩に押し当てたまま、ぶんぶんと首を横に振る。まるで、子供みたいな仕草だった。
「逃げてきたって言ってたけれど、まだ蒼紫さんのこと、好き?」
今度は躊躇なく、何度も縦に首が動く。
わかりやすい反応に、剣心と薫は視線を交わして微笑んだ。
「そうよね、御庭番衆の御頭って肩書きに、葵屋の主人っていうのが加わったって、蒼紫さんは蒼紫さんだもんね」
操は、そろそろと首を動かし、薫の腕にきゅっと抱きついた。
ゆっくりと顔を上げる。酔いでとろんとなった瞳には、うっすら涙が滲んでいた。
「勿論、大好き・・・・・・」
顔が赤くなっているのは、酒の所為だけではないだろう。声を詰まらせながら、操は続ける。
「蒼紫様が大好きって気持ちは、誰にも負けないし、それは絶対に変わらないし・・・・・・どうしたって、変えられらないよ・・・・・・」
薫は、首を傾けて、操の額に自分のそれを擦り付けるようにする。
潤んだ瞳をじっと覗きこみ、そしてにっこりと笑った。
「じゃあ、変わらなくていいじゃない」
「・・・・・・え?」
「何があっても変わらずにいることだって、とっても難しいことなのよ? でも操ちゃんは、蒼紫さんが自分の傍からいなくなってからも、志々雄真実の側に
行っちゃったときも・・・・・・好きって気持ちは、ずっと変わらなかったんでしょう?」
二年前の、一番辛かったときのことを思い出して、操の眉が痛そうに歪んだ。
大切な人が「敵」になった瞬間、自分が新しい御頭になると宣言した瞬間も、それでも彼を好きな気持ちに変わりはなかった。
「人の気持ちだって、変わるときは簡単に変わっちゃうわ。だんだんと離れてゆくこともあれば、一瞬で関係が壊れちゃって、それっきり元に戻れないことだ
ってあるでしょう。なのに操ちゃんは、ひとより波乱万丈な経験してきたのに、これっぽちも気持ちが揺らがないなんて凄いことじゃない。そこまで強い気持
ちを無理やり変えることなんてないし、第一、変えられっこないわよ」
子供のような瞳で薫を見つめていた操は、そこで漸く表情を緩めて、少しだけ笑った。
「・・・・・・それを言うなら、薫さんだっておんなじじゃん。めちゃくちゃ色々あったのに、緋村のこと変わらず好きでいたんだから」
「え!? やだっ、わたし別にそんなつもりで言ったわけじゃなくて・・・・・・」
確かに、薫も普通の娘にはおよそ縁遠い剣呑な場面に幾度も遭遇してきている。それはいずれも剣心がらみの出来事だったわけだが。
操の指摘に薫はぼっと頬を染め、おろおろと剣心の方に目を向けたが―――その彼に大真面目に「感謝してもしきれないでござる」と言われたものだから
ますます赤くなる。
そんなふたりのやりとりを羨ましい思いで眺めながらも、操は少しだけ、心が軽くなったのがわかった。
初めて薫に会ったとき、ただ「好きな人に会いたい」という一心で京都まで剣心を追いかけてきた彼女に、「ああ、自分とおんなじだ」と思った。
そして薫は、その一途な想いを成就させ、剣心と結ばれた。
・・・・・・いいのかな。
操は、再び身体を薫の腕に預けた。
いいのかな、このままのあたしでいても。
いつかあたしも、緋村と薫さんみたいになれるかもって、夢見ても、いいのかな。
まだ睫毛に涙の残る目を閉じる。
心が軽くなったのと同時に、充分に酒の回った身体もふわふわと軽くなったように感じて―――
「・・・・・・操ちゃん?」
「・・・・・・寝てしまったでござるな」
「今日は大活躍だったもの、疲れちゃったのかもね」
「それもあろうが、どちらかというと飲み過ぎでござろうな。まったく、これでは薫殿が重いでござろう」
「あら大丈夫よ、操ちゃん軽いから平気よ」
薫に寄りかかったまま、いつしか寝息をたて始めた操の身体を、剣心は抱き起こして横にしてやる。憎まれ口を叩きながらもその手つきは眠りを妨げない
よう慎重で、彼らしいなと薫は小さく微笑んだ。
「・・・・・・薫殿、ありがとう」
「え? 何が?」
「さっきの話でござるよ。本当に、感謝している」
薫はいたたまれないように俯いて、剣心の顔から目を逸らした。あれは自分から持ち出した例だけに、どうにも気恥ずかしい。
「えーと、ってゆーかあの時は・・・・・・わたしが単に、しつこかっただけっていうか、その・・・・・・」
「京都まで、追いかけて来てくれたとき」
「・・・・・・うん」
「あの時の拙者は、とにかく頑なでござったからなぁ。薫殿が来なかったら、きっとあそこで死んでいただろうに」
「やだちょっと、縁起でもないこと言わないで!」
薫はがばっと顔を上げ、剣心の頬に指をのばし、ぐにっと思いきり引っぱった。
「そういう変なこと言ったら、お腹の赤ちゃんも悲しむんだからねっ?!」
「いたたた、いや、すまない・・・・・・だけど、そういう意味ではなくて」
剣心は、頬をつねる手を捕まえて、薫の指を解きほぐす。
そのまま小さな手のひらを開かせて、自分の頬に沿わせた。
「あの時は、すべてひとりで何とかしようと思っていたから。拙者はもう、とっくに独りではなかったというのに」
共に闘う仲間たちがいて、帰りを待っていてくれる人がいる。
あの時は、彼らがいたから生き延びることができたようなものだ。
そして、守りたいひとがいるということが、こんなにも心を強くするということ。
そんな簡単なことを、もうずっと忘れていた。
思い出させてくれたのは―――教えてくれたのは、薫だった。
薫はじっと剣心の瞳を覗きこみ、てのひらで十字傷を優しく撫でた。耳を伝って、短くなった髪を指で梳く。
それを真似るように、剣心の手が薫の頬を包む。耳たぶをかすめて、髪の毛の生え際をくすぐるように動き、頭をそっと引き寄せる。
睫毛が、触れ合うくらいに近づいて、ふたり同時に瞳を閉じる。
そのまま剣心が、薫の唇に触れようとした瞬間―――ふたりの横で、操が「うーん」と唸って寝返りをうった。
ぱちり、と。
やはり同時に目を開けて、剣心と薫は間近で顔を見合わせてくすくすと笑った。
「・・・・・・起きちゃった?」
「いや、大丈夫、寝てるでござるな」
「蒼紫さんも」
「ん?」
「蒼紫さんだって、わかっているのよね。あのひとの帰る場所は、操ちゃんのいる所なのに・・・・・・縁談、いったいどうするつもりなのかしら」
「賢い男でござるからな、自覚はしているでござろう。いずれにせよこの度の件に関しては、悪いのは奴のほうだ」
「自覚しているのなら、ちゃんと言葉なり態度なりに出さないと、操ちゃんがかわいそうよ」
「そこは、拙者は合格でござるか?」
そう言うなり、剣心は薫に唇を重ねる。
薫は反射的に目を閉じてそれを受けたが―――すぐ隣には操がいるわけで。
「・・・・・・時と場所をわきまえてくれるなら」
ふたたび剣心の頬に指をのばして、ふに、と軽く引っぱる。先程よりは、ずっと力を加減して。
「操ちゃんが起きちゃうかもしれないから、ね?」
「・・・・・・それもそうでござるな」
剣心は苦笑して、名残惜しげに薫から離れた。
もう一度寝返りをうった操の口から、小さく「蒼紫様ぁ」と寝言がこぼれ落ちた。
6 「決意のかたち」へ 続く。