夏の長い陽も漸く暮れると、日中のむっとする暑さも幾分和らぐ。

「おーい!こっちこっち!」
会場となる寺の前で左之助が手を振っている。人混みの中、彼の長身は一際目立った。
「何だこりゃ、祭りかよ」
弥彦が目をまるくしたとおり、会場は廃寺とは思えない賑わいだった。
集まっているのは若者が多いが、ちらほらと親に連れられた弥彦くらいの年の子供もいる、どこぞの隠居といった風情の男性もいれば連れ立った夫婦もいる。
敷地には灯籠が立てられ、白玉や枝豆売りの屋台まで出ているありさまだ。

「そろそろ始まりまーす。参加される方は中にお進みくださーい」
世話人らしい男が呼びかけ、人々がぞろぞろと移動する。その人の波にのって剣心たちも動き始めた。








「・・・・・・女の経帷子や骨や髪も散り散りに砕けちり、その残骸から鈴がチリンと音を立てて転げ出てきました。それでも肉の削げ落ちた右手は、手首から斬り落とされてもあいかわらず蠢きのたうち回っておりました・・・・・・」



打ち捨てられたように埃が積もった仏像に見下ろされながら、集まった人々はめいめいが適当な場所に腰を下ろし怪談に耳を傾けている。
四、五十人はいようかという人々の中に、噺家や役者が紛れ込んでいる。彼等が語る怪談は流石に本職といったところで、ひとつ話が語られるたび、ひとつ蝋燭が消されるたび、広間の温度が一度刻みで低くなってゆくようだった。
佳境を迎えた話に、皆が引き込まれる。

しん、と静まる中、ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯り。
誰かがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

「・・・・・・そして黄蟹がその鋏で落下した果実をしっかり掴んで放さぬように、その右手の五指は、血塗れのまま若妻の首をぐいと掴み取り、かきむしっては、ずたずたに引き裂いておりました・・・・・・」


その時、音もなく襖が開いた。

ちょうどその近くに座っていた薫の横に、切りくちが血に染まった生首が、ごろりと転がる。


「きゃあああああっ!」


賑やかな悲鳴をあげ、薫は隣にいる剣心の首にぎゅっと抱きついた。それに連鎖して他の女たちも金切り声をあげる。
弥彦は膝で歩いて、襖の隙間から転がり出でた「生首」をひょいと拾い上げた。
「ばぁか、ハリボテだよ」
紙でできた張り子の首を叩くと軽い音が鳴った。
「情けねーな嬢ちゃん、師範代の名が泣くぜー」
「るっさいわねー!ちょっとびっくりしただけじゃないのー!」
左之助が言った「野郎だけでは」云々というのは正論だったなと剣心は思った。
薫のようにはなばなしく悲鳴をあげていいところで怖がってくれる女性が何人かいると、いやがうえにも座は盛り上がる。それに、自分にとってもこれは役得というもので――
「・・・・・・剣心も、鼻の下のびてっぞ」
「おろ?」

彼らのやりとりに、あちこちから笑い声が起こる。百物語の会は、怖がらされたり驚かされたり、このように笑いが起きたりと、なかなかに楽しく進んでいた。
剣心は、隣に座る薫が怪談に怯えながらも座を楽しんでいる様子を感じて、足を運んだのは正解だったかなと思っていた。


しかし、広間の蝋燭の半分以上が消え、だいぶ会場が暗くなってきた頃―――剣心は座の変化に気づいて、おやと思った。


剣心達が座っているのとは反対側の壁際、そこに腰をおろすひとりの青年に目がいった。
先程から、すっと立って広間を出て、また戻ってきて座って、という動作を繰り返している。注意をしていると、他にも頻繁に出入りをしている男が何人かいるようだ。
お化けを仕掛けている、主催者側の人間かな、と思ったのだが―――剣心は、今戻ってきたひとりの表情が気になった。


いやに切羽詰まった、険しい顔。辺りを伺う目つきにただならぬ雰囲気を感じ、剣心は僅かに眉を動かした。


何度目かに男が部屋を出たのを見届けてから、少し時間をおいて剣心も立ち上がった。
「剣心?どうしたの?」
話の途中で退出しようとした彼に、薫は小さく囁く。
「何でもないでござるよ、すぐ戻るから」
剣心は薫にちょっと笑ってみせてから、するりと広間を後にした。
蝋燭の数はだいぶ少なくなっている。
何かまた「お化け」でも登場したのか、剣心は背中で女性たちの悲鳴を聞いた。 





廃寺の内部はかなり広い。男の姿を探して廊下を歩いていると、明かりのついた部屋を見つけた。襖の前でひとりの女性が化粧を直していたが、女性の顔は半分が変色して目が腫れ上がり、髪の毛も抜け落ちて爛れた額がのぞいていた。
なるほど「お岩さん」か、と剣心が感心していると、見られていることに気づいた彼女があわてて制するように手を動かした。
「すみませーん!こちらは関係者のみですー!」
御手水ならあちらですよ、とわざわざ付け加える声が、おどろおどろしい扮装には似合わない甲高い可愛らしいものだったので、剣心はかたじけないと言いつつ笑いをかみ殺した。こちらは「お化け役」たちの楽屋らしい、そのまま廊下を進み、別の部屋を探してみる。

やがて広間の百物語の声も聞こえないほど奥に進むと、廊下の一角に人影が見えた。
そこにいたのは力士のような体格の禿頭の男。「海坊主」か何かかな、と思ったがどうやらそうではないらしい。

「兄ちゃん、すまねぇがこっちは、関係者しか入れねぇよ」
先程のお岩さんと言っている内容は同じだが、雰囲気はずいぶん剣呑だ。お化けのほうがよほど愛想がいいなと剣心は内心でつぶやいた。

「そこに、何かあるんでござるか」
「楽屋だよ、お化けのタネがわかっちゃつまんねぇだろ?大人しく会場に戻りな」
「・・・・・・そう言われると、余計に見たくなるのが、人情だな」

剣心は坊主頭の横を、すたすたと通り抜けて先に進む。柔弱な見かけと違って馬鹿に肝の据わったその様子に眉をひそめながらも、坊主頭は振り向いて後を追う。
「おいこら、人の話聞いてんのか!?」
剣心の肩を掴もうと手を伸ばす。
剣心はふりむかず、腰の逆刃刀を鞘に納めたまま、後ろへと鋭く突き出した。
鞘の先が坊主頭の喉笛を、どぅ、と突いた。
巨体が揺れて倒れる。呻き声を上げる暇もなかったが、かわりに床が大きな音を立てて揺れた。


「・・・・・・今のが見張りとしたら、ここかな?」
奥にあった、引き戸を開ける。
部屋の中には、先程広間の出入りを繰り返していた、あの男の姿があった。

「・・・・・・なんだ手前ぇ」
押し殺した声で、男が剣心を睨む。
剣心が視線を男からその足元に落とすと、そこにはトランクや木箱、何かしっかりと梱包された荷物が幾つも転がっている。

「こんな時分に引っ越しでござるか?よければ手を貸すでござるよ」
男が、懐に手をやった。
血走った目で剣心を睨みながら、すらり、と匕首を抜く。
「生憎、手は足りてるんだよ、兄ちゃん」
「ふむ」
男とは対照的に、剣心はのんびりとした風情で床に転がる荷物を眺める。
「その様子から察するに、盗品でござるか」
言い終わると同時に、男が剣心に飛びかかる。









「ね、左之助」
「おぅ」
「なんか今、地響きみたいなの、感じなかった?」
「嬢ちゃんも気づいたってことは・・・・・・気のせいじゃねぇみたいだな」
薫は弥彦をうながして、左之助と三人で広間をそっと出る。

「なんだよー、あと少しで蝋燭ぜんぶ消えるのに」
不平を言う弥彦の額をつん、と左之助が小突く。
「なんか事件が起きてるかもだぜ?百物語より面白いかもな」
とたんに弥彦の表情が真剣なものに変わる。
「きっと、剣心は何かに気づいて部屋を出たんだわ、探しましょ」

三人は互いに頷きあって三方に別れた。暗い廊下を、剣心を探して歩き出す。










匕首を構えて、勢いこんで体当たりをしてきた男を、剣心はあっさりとかわした。

「危ないでござるなぁ」
たたらを踏んだ男の背中はがらあきだった。
男が体勢を戻すより早く、ぱあん、と逆刃刀の鞘が背中を打った。
どさり、と男が崩れる。
剣心は軽く肩をすくめ、改めて足元を見る。

木箱やトランクに入っているのは金品らしい。
こっちは・・・・・・仏像かなにかかな?」

厳重に梱包されているところを見ると、美術品のようだ。男はこれらを運び出していたのだろう。

「・・・・・・お、いたいた剣心。何やってんだよ」
戸口から、ひょっこりと左之助が顔を出す。
「そこに見上げ入道が一匹転がってたけど、お前ぇの仕業か?」
「拙者は海坊主かと思ったが・・・・・・左之」
「ん?」
「ほかの『お化け』を炙り出すのに、手を貸してくれぬか?」







「やだ、行き止まり」
別方向を探していた薫は廊下の突き当たりに出た。
念のため、近くの部屋も覗いてみたが、そこは無人で、人がいた形跡もない。


―――じゃあ、左之助か弥彦の行った方かしら?

薫はまわれ右をして引き返そうとした、が。
今来た廊下に、人影が現れるのが目に映り、足を止める。

人影はみっつ。
身体の大きい、いずれも男性だ。
薫は目を細めて、暗闇の中彼らの顔を見据えた、そして。


「あなたたち・・・・・・」


それは見覚えのある顔だった。
そして、出来れば二度と会いたくない顔だった。


じり、と三つの影が、薫ににじり寄った。





(3へ続く)