百物語の蝋燭はあと一本を残すのみだった。

広間の中では客たちが、いよいよ佳境の怪談に手に汗を握り、わずかに身を乗り出し聞き入っている。そして外では、化け物の扮装をした仕掛け人達が、蝋燭が消える瞬間を待って待機していた。百物語の会の最後は、魑魅魍魎が広間に乱入し、百鬼夜行で幕を閉じるという段取りだ。

ついに語りが終わる、その瞬間。
すぃ、と剣心が仕掛け人たちの横に立った。

怪訝な顔で化け物たちが剣心を見る。
彼らに構わず剣心は、大声で広間に向かって、叫んだ。


―――警察だっ!」


参加者一同がざわめいた。
これも演出なのかとのんきな顔をしている者、何か事件が起きたのかと心配そうな顔をした者、そんな中、顔をゆがめていち早く広間の外に転げ出た男がいた。わたわたと大慌てで逃げ出そうとする男に、襖の前で待ちかまえていた左之助が手刀を叩き込む。

「・・・・・・って、なんだよ一人だけか?」

呆気なく男は昏倒する。後に続く気配がないのに、左之助は「つっまんねーの」と残念そうな声を出す。
「すまないが・・・・・・この会の主催の方はどなたでござるか?」
次の間へと続く襖がするりと開き、中から恰幅の善い四十がらみの男性が気遣わしげな顔を見せた。
「どうやら、この寺は盗賊団の戦利品の保管場所だったらしい・・・・・・賊をとらえたから、警察を呼んではいただけないか?」
主催の男が驚いて返事をする。剣心の言葉を聞いて、まわりの客たちも一斉にざわめき出した。
「あーいたいた剣心!ってなんだよ、もう解決しちゃったのか?」
その時広間に戻ってきた弥彦が、ざわつきどこか興奮した様子の客たちを見て、やはり残念そうな声をあげる。
その隣に薫の姿がない事に気づいて、途端に剣心は険しい顔になった。

「左之、弥彦・・・・・・薫殿は?」
「え?俺たちとは別方向に剣心を探しに行ったけど・・・・・・まだ戻ってねーの?」

剣心の顔色が、さっと白くなる。
「左之、薫殿はどっちに」
「おう、あっちに・・・・・・」
左之助に返事も返さずに、剣心は指さした方向に向かってだっと駆けだした。







「薫殿――――!」


胸騒ぎがした。
根拠はないが、しかし嫌な予感が黒くこみ上げる。
きっと、先程の薫の話を聞いている所為だろう。二年前の、百物語の嫌な思い出―――

「薫殿!どこでござるー!?」
いくらこの寺が広いとはいえ、剣心の駿足ならすぐに突き当たりへ辿り着く。
そして、右手にある襖から騒がしい気配を感じて、たぁんと勢いよく開け放った。



「薫・・・・・・!」


彼女の名を呼ぶのと、部屋の中にいた彼女の姿を認めたのはほとんど同時だった。

「んんん―――!」
そこにいたのは、あちこちに大小の手傷を負った、三人の青年。
そしてその三人によって床の上に押さえ込まれた薫。
青年のひとりは彼女の口に猿轡をかけようとしており、暴れる薫の裾は乱れて、円い膝の上の白い肌が顔をのぞかせている。


ざわり、と。


剣心の纏う空気の色が変わった。
それが殺気というものだと三人の男は本能で悟ったのか、瞬時に身体を凍りつかせる。


「ぐえっ!」
猿轡を持っていた男がふっとび、部屋の奥の押し入れの戸をぶち破る
あまりの速さに何が起きたのか他の二人には理解できなかったが、勿論、剣心が鞘のままの逆刃刀で男の脇腹をしたたかに突いたからだ。

「けんしぃぃぃぃんっ!」
その隙に薫は他の二人の手を振り切って、一直線に剣心の胸に飛び込んだ。

「怖かった!こわかったよぉぉっ!」
すがりついて泣き出す薫を、剣心はぎゅうっと抱きしめる。
「すまない薫殿・・・・・・拙者がいながらこんな目にあわせてしまって」
自分が酷い目にあったかのように、剣心が悲痛な声で謝罪する。薫はぶんぶんと首を横に振った。
「ううん、剣心が絶対に助けにきてくれるって信じてたから、大丈夫・・・・・・」
胸から顔を離し、涙に潤んだ瞳で笑ってみせる。
「だから、来てくれるまでは、自分でなんとかしなくちゃって・・・・・・」
なるほど、だからこの男たちは妙にボロボロなのかと剣心は納得する。薫の事だ、散々に抵抗して反撃して、男三人を手こずらせたに違いない。

「なんにせよ、無事でよかった・・・・・・」
剣心は薫をもう一度ぎゅっと力を込めて抱きしめてから、名残惜しげにその身体を離した。
「後は拙者がやるから、薫殿は広間に戻っていてくれ、すぐに戻るから」
「?・・・・・・うん」

「後」の意味がわからなかったが、促されるままひとり部屋の外に出た。
殺気にあてられて、逃げ出すこともできずへたり込んでいた男たちは、襖がぱしん、と閉められる音に、びくり、と身を震わせた。







「おーいたいた嬢ちゃん!」
「薫ー!」



薫が部屋を出たのとほぼ同じくして、左之助と弥彦が駆けてきた。
「何かあったのか!?」
弥彦は薫の顔を見るなりその目に残る涙に気づいて、ぎょっとして訊いてくる。
「・・・・・・襲われかけたの」
薫は凍りつく弥彦の肩をぽんぽんと叩いて、殊更に明るい声を出す。
「でも!剣心が助けてくれたから大丈夫!このとおり無事だから!」
「・・・・・・で?その剣心は?」
「まだ中に・・・・・・」
「嬢ちゃん襲おうとした奴らも?」
「うん、『後は拙者がやるから』って。後ってなんのことかしら?」
「・・・・・・嬢ちゃん、弥彦、ここから離れたほうがいいぜ」

左之助はくるりと二人を回れ右させ、ぐいぐい背中を押す。
「え、どうして・・・・・・」
疑問符に、大音響の悲鳴が重なった。

「・・・・・・ただでは済ませない、って、さっき剣心言ってたよな・・・・・・」
弥彦がぼそりと言った。
扉の向こうから響く聞くに耐えない絶叫に、三人はうそ寒い思いで顔を見合わせる。とりあえず悲鳴の届かない場所へそそくさと移動した。


「いやー嬢ちゃん愛されてるなぁ」
「殺しやしねーだろうけど・・・・・・ありゃ半殺しくらいにはされてそうだな」
「いやいや、四分の三くらいじゃねーか?」
左之助と弥彦の会話を聞きながら、ここは喜んでいいところかしらと薫は首をかしげた。







駆けつけた警察によって捕らえられた盗賊は六人、そのうちの三人が薫に狼藉をはたらこうとした者たちだった。
散々剣心に痛めつけられたその三人は現場に到着した警察官に「助けてくださいぃぃっ!」とすがりついた。



「いや、お手柄でしたよ緋村さん」
署長はまず剣心の労をねぎらい十分な謝辞をおくってから、「・・・・・・でも、あれは過剰防衛です!」と珍しくも叱りつけるような声を出した。




「あれでも大分手加減したつもりでござったのに・・・・・・」
三々五々に散ってゆく参加者の波に乗るように、一同は境内を出た。剣心はまだまだ物足りなかったと言わんばかりに不平を呟いている。
「いや十分だろ、あいつら担架で運ばれてたぞ」

少し前をゆく弥彦が、振り向いて苦笑した。





事の顛末は、こうである。



あの廃寺は盗賊団が盗品の保管場所として使っていた。しかし先日から「百物語会」の会場になってしまい、本番の週末は勿論、毎日のように準備や何かで人が出入りするようになった。盗賊団は、盗品を別の場所に移動させねばと考えた。
問題は、いつ移動させるか、だった。
昼日中に出来る仕事ではない。こっそり行う状況でもなくなった。
そこで彼らは、百物語の会の最中にそれを行う事にしたのだ。

「木を隠すなら森の中・・・・・・人を隠すなら人の中、でござるからな」
参加者たちはそれぞれの帰路をたどり、いつしか剣心たち四人は人通りの少ない夜道を歩いていた。左之助と弥彦が先に立って歩き、少し離れて後ろから剣心と薫がついてくるような形になっているのは、左之助と弥彦が気をきかせているからだ。
「たしかに・・・・・・あんだけ参加者がいるなら、紛れ込むには最適だよなぁどさくさに紛れてってワケか」


そして、今回薫を襲おうとしたのは、二年前のあの三人だった。
二年前、道場を破門された三人はその勢いでまんまと道を踏み外し、地元の札付きと付き合うようになり、終いには泥棒の仲間になってしまった。
今回の百物語で参加者に紛れていた三人は会場で薫の姿を見つけ、逆恨みよろしく今度こそと一人になった薫に襲いかかったのだが―――剣心の存在が薫にとっての幸いで、彼らにとって最大級の不幸だったというわけだ。


「まぁでもよかったじゃねーかよ、悪人たちを一網打尽にできてよ。署長もなんだかんだで喜んでいたしな」
からからと笑う左之助の背中の悪一文字を眺めながら、しかし薫はため息をついた。
「めでたしめでたし、なんだろうけど・・・・・・私はなんかまた、百物語の嫌な思い出が増えちゃったわよ」
何もなかったとはいえ、不埒なことをされかかったことは事実だ。先程、男三人に押さえつけられそうになった瞬間の恐怖が脳裏によみがえり、薫はぶるっと身体を震わせた。剣心は横目でそんな薫の事を見てから、ちらりと前方のふたりに目を走らせる、そして―――


するりと手を伸ばして、横に並ぶ薫の肩を抱いた
え、と声をあげようとした薫の口をもう片方の手で覆う。
薫の驚きを無視して、剣心はぐい、と彼女を攫った。



「・・・・・・あれ?」
「どした?弥彦」
「剣心と薫がいない・・・・・・」

後ろがいやに静かなのを不思議に思って振り返ると、忽然とふたりは姿を消しており、今来た道が煌々と月明かりに照らされているだけだった。
左之助は、へぇ、と感心したように呟いてから、にやりと弥彦に笑って見せた。

「そりゃ、百物語をやったんだから怪異が起きて当然だろ・・・・・・神隠しってやつだな」
その表情で事情を察したのか、弥彦もくすりと笑いを漏らした。
「そっか、神隠しか」
「手の早い天狗でも出たんだろ、まぁそのうち帰ってくるんじゃねーの?」
「・・・・・・そうだな」

「神隠し」にあったふたりが後からひょっこり戻ってきても、無粋な詮索はしないでおこうと弥彦は思った。






道端に大きく繁る欅の木の下、夜の中一段と闇がわだかまったような暗さのそこにひっぱりこまれた薫は、手で口を塞がれたまま、困ったような目で剣心を見上げる。
先程同じように口を塞がれたが、相手によってこうも違うのだな、と考える。柔らかく抱きこまれて、触れ合う場所から伝わる剣心の体温は心地よいものだった。
剣心は口を押さえていた手を離して、その手で薫の腰をしっかりと引き寄せた。



「剣・・・・・・心?どうしたの?」
さすがにこれだけの距離だと、夜目にも剣心の顔がすぐ近くにあるのがよくわかって、薫はどぎまぎと訪ねる。
―――百物語、嫌な記憶ばかりなら」
「え?」
「じゃあ今から、嫌じゃない記憶を作るというのは、どうでござる?」


 言うなり薫の唇に、自分のそれを押し付ける。


「・・・・・・!」
驚きに、薫の体が固くなる。
その反応をかわいいと思いながら、剣心は舌の先で薫の珊瑚色の唇をなぞった。


「・・・・・・嫌でござるか?」


甘い囁き。
どうしよう、眩暈がする。
胸のあたりをぎゅっと大きな手で握られたように、苦しい。
でも。


「嫌じゃ、ない・・・・・・よ・・・・・・」


呟きは剣心の口にのみこまれる。
薫は目を閉じて、剣心に身を任せた。


怪談にニセモノのお化けたちに泥棒騒ぎに、剣心がくれた口づけ。
これからは「百物語」という言葉を聞くたび、そんな事たちを思い出すのかしら。


それはちょっと悪くないなぁと、ぼんやり考えながら、薫は繰り返される口づけに酔いしれた。



(了)


モドル。