「百物語?」
異口同音の三重奏に、左之助は大きく頷いた。「百物語ってあれだろ?怪談話をしながら蝋燭を一本ずつ消してゆくってやつ」
怪談を一話語るごとに、蝋燭を吹き消してゆく。
そして百本の蝋燭の灯りがすべて消えたとき、怪異が起こるという百物語。
興味を惹かれたたしく、弥彦は目を輝かせる。
「そう、最近巷で流行っているの知らねーの?」
神谷道場を訪れた左之助は、剣心たちにその「百物語」をやらないかと持ちかけたのだ。
「嫌よ、そんな面倒くさいこと」
食いつきのよい弥彦とは対照的に、あからさまに薫は嫌そうな顔で嫌そうな声を上げた。
「は、さては嬢ちゃん、怖いんだろぉ」
左之助があえて薫の神経を逆撫でするような言い方をする。薫の性格からいって平素ならここで「そんなことないもん!」とでも言い返しそうなものだが、それに対する表情は言葉にするとしたら「うんざり」や「げんなり」といった感じのものだったので、剣心は、おや、と思った。
「だって、怪談百題よ? 一話語るのに三分前後として、五時間でしょ? 休憩はさみながらで六時間として、まともにやったら一晩中かかるんだから。それに、わたし達でやるならひとり十話以上は話を持ち寄るわけだもの、大変だわ」
やけに具体的な抗議に左之助は目を丸くしたが、すぐに気を取り直したように、一枚の紙切れを三人の前に突き出した。
「それが、そーゆー手間は一切ねーんだよなぁ」
『第五回 納涼百物語の会』
極彩色の文字と不健康な顔色の幽霊の絵が描かれたそのチラシを見て、三人は三様の反応をしめす。
「・・・・・・なぁに、コレ」
「へーっ!こんなのやってるのかぁ」
「流行っているとは、こーゆー意味だったんでござるか・・・・・・」
チラシに書かれた日時は、今晩。
場所は道場からさほど離れていない処にある廃寺であった。
「毎週催されていて、今回でもう五回目なんだってよ。場所もわりと街中だし、そんな胡散臭いモンじゃねーよ」
「百物語ってだけで十分胡散臭いと思うけど・・・・・」
ぶつぶつ呟く薫を無視して、左之助は説明を始める。
街の数奇者が集まって企画したこの百物語は、参加希望者に夜中に会場の寺に集まってもらうのだが、めいめいに持ち寄った怪談を披露するのではなく、「玄人」の語りを楽しもうという趣向らしい。つまりは、芝居の役者や噺家などその道のプロを招いて、とびきり怖い話を語ってもらうのだ。
「この怪談が、マジに怖いってんで評判なんだよ」
実際に蝋燭の火を吹き消しながらの語りは、高座や芝居よりも迫力がある。更には時折、皿が割れる音や悲鳴などの効果音が入る。障子のむこうを白いものが駆けぬける、襖の隙間から一つ目小僧が顔を出す―――などなど、語りだけではなく「お化け屋敷」的な工夫も凝らしているらしい。
「それは、なかなか凝っているでござるな」
剣心も興味をひかれたらしく相槌を打つ。
「毎週やってるんだけど、多いときは何十人も客が集まるらしいぜ。面白そうだから俺達も行ってみねーか?」
まずは「行く!」と弥彦が元気よく手をあげた。ご勝手にどうぞという顔をしていた薫も、野郎だけで行ってもつまらないという左之助の理屈にごり押しされ、結局参加を約束させられたのだった。
「じゃ、現地集合な! 遅れるんじゃねーぞ!」
一旦長屋に戻るからと左之助が道場を後にしてから、剣心は薫に尋ねる。
「薫殿、やったことがあるのでござるか? 百物語」
「・・・・・・わかる?」
「随分詳しいようだったし・・・・・・それに、気がすすまないような様子だったので」
薫はひとつため息をついて―――憮然とした表情答えた。
「・・・・・・嫌な思い出があるんだもん」
薫がその「百物語」に参加」したのは二年前のこと。
父の知り合いが営む道場が会場で、集まったのは門弟たちや、近所に住む薫と同じ年頃の少年少女たち、ちゃんと大人も立ち会っての遊びであった。
真夏の夜、皆は延々と怪談を語り、その度に蝋燭を消してゆく。
すべての灯りが消えたとき、完全な闇が一同の上に落ちた。
そして怪異は、薫の上に起こった。いや、それは怪異などではなく―――人の形をとった厄災だった。
真っ暗になった瞬間、薫は何者かに後ろから羽交い絞めにされ、口を塞がれた。
そしてそのまま別の部屋に無理矢理連れ込まれ、押し倒されそうになった。
当然のことながら、薫は抵抗した。そして薫はその辺の若い男よりもずっと、戦い方を心得ていた。
もみ合っている中、薫が相手の指を一本握りこんで手の甲側に倒すと、その男は情けない悲鳴をあげた。
結局、すぐに飛んできた大人たちの手によって、犯人の少年と共犯者であるふたりの友人はあっさりと捕まえられた。
犯人はたまに道場に来る、薫を見知っていた―――と、いうよりは目をつけていた門下生の少年で、百物語の暗闇に乗じて薫に悪さをしようと企んだのだが、返り討ちにあったというわけだ。
犯人の友人ふたりは、薫がいなくなった事について「帰るところを見た」と大人たちに告げて、口裏をあわせて更には「おこぼれにあずかる」手はずだったのだが、あっというまに別室から悲鳴と―――犯人の悲鳴と薫の怒声が響き、共犯の工作も実行に移されることなく潰えた。
その後、少年たち三人は破門になった。
薫はそれから彼らに一度も会っていないし、二度と会いたくないと思っている。
それが、二年前の「百物語」の顛末である。
「・・・・・・って、まぁ当時は結構な騒ぎになったのよ。わたしは無事だったんだけど、お父さんにも心配かけちゃって・・・・・・あーあ、今思い出しても、行くんじゃなかったなぁ」
「ひっでぇ・・・・・・そいつら、屑だな!」
予想だにしなかった嫌な話を聞いて、弥彦は吐き捨てるように言った。
「だけど、何事もなくて良かったよな、剣・・・・・・」
剣心、と話を振ろうとして、弥彦は凍りつく。
隣にいる剣心の目は完全に据わり、「抜刀斎」の顔になっている。その上明らかに全身からは凍りつくような殺気を放っていた。
「・・・・・・まったくでござる。薫殿にもしものことがあったら・・・・・・いや、何もなかったとしても、拙者がその場にいれば、そ奴らただでは済まさなかったのに」
未遂に対しても容赦はしない気構えらしい。どの程度ただでは済ませないのか、弥彦は想像してみてぞっとする。多分、殺しはしないがその一歩手前くらいのことはやってのけそうな、そんな顔だった。剣心の周りだけ急激に温度が下がったような空気を元に戻すべく、弥彦はことさらに明るい声をあげた。
「で、でもよ!むしろいい機会かもしれないぜ? 今日の会で嫌な思い出なんて消しちまえばいいだろ? 噺家なんかも来るっていうし、けっこう面白そうじゃん!」
「うん・・・・・・そうね、せっかく行くなら、楽しまなくちゃ損よね」
「・・・・・・薫殿がそう言うなら」
薫の前向きな発言に、漸く検診の険しい表情が緩められる。
弥彦はやれやれとため息をついた。
(2へ続く)