冬の終わりに











        くしゃん、と。小さく剣心がくしゃみをした。



        「やっぱり、寒いんじゃない?」
        気遣わしげに尋ねた薫に、剣心は「平気でござるよ」と笑って返した。しかし、ショールをしっかり首元に巻きつけている薫に対し、襟巻をしていない彼の
        格好は見るからに寒々しい。
        雪の季節は終わりにさしかかっているが、今日は三寒四温でいうなら「寒」のほうで、空は晴れているものの気温は低く、乾いた北風は身を刺すように
        冷たい。往来の人々は、皆背中を丸めて首をすくめるようにして道を急いでいた。


        そもそも、道場を出たときは剣心も、ちゃんと羽織を着込んだ上に襟巻をつけての完全装備だったのだ。
        しかし、先程ふたりは通りかかった先で、偶然「事故」に出くわしてしまった。

        現場は、改装中の商家だった。
        立てかけてあった材木が倒れて、下敷きになった大工が脚を挟まれて動けなくなってしまい、騒ぎになっていた。剣心は「のこぎりよりも手っ取り早い」
        と逆刃刀を抜いてすっぱり材木を切って崩し、大工は無事助け出され直ぐに診療所に運ばれていったのだが―――
        その際、脚の血を止めるとりあえずの応急処置に、剣心はつい、自分の襟巻を差し出してしまったのだ。






        「もう帰るだけなのだから、大丈夫でござるよ」
        「でもやっぱり寒そうなんだもん・・・・・・わたしの使う?」
        そう言って、首に巻いたショールを緩めた薫を、剣心が制する。
        「駄目でござるよ、薫殿こそ風邪をひいてしまう」
        「わたし、そんなにか弱くないもん」
        「拙者だってそんなに軟弱ではないよ、とにかく、平気でござるから」

        笑ってかわされてしまったが、それでも薫は諦めなかった。
        ショールを半分外して、ぐい、と長さを測るように剣心のほうへ差し出し、首をかしげる。

        「・・・・・・どうしたのでござる?」
        「んんー、ふたりで巻くには短すぎるかなー、って・・・・・・」
        難しい顔でそう言われて、剣心は一瞬きょとんとしてから―――つい、吹き出してしまった。
        

        「ちょっと、何よー! もう、わたしは真面目に・・・・・・」
        薫は馬鹿にされたと思って、声を尖らせる。確かに子供じみた発想ではあるが、それでも薫としては、真剣に心配しての発言だったというのに。
        しかし剣心は笑いながら、ぶんぶんと顔の前で手を横に振って弁解する。
        「い、いやいやすまない、そうではなくて・・・・・・」
        外しかけたショールに手をのばし、元通りに直してやりながら、薫の瞳をのぞきこむ。



        「そうではなくて―――薫殿は可愛いなと思ったんでござるよ」



        予想していなかった一言に、薫の顔がぼわっと赤くなる。
        その反応がまた可愛らしくて、剣心は頬をゆるめたまま、立ち尽くす薫を促した。
        「さ、立ち止まったままでは冷えてしまう。帰るでござるよ」

        薫は熱くなった頬を持て余しながら、先に立って歩き出す剣心の背中を見つめていたが―――ふと、何か思いついたように瞳を大きくした。
        きょろきょろと首を左右に巡らし、あたりに人目が無いことを確認する。そして、自分の背中を押すようなつもりで、こっそりと口の中で、弾みをつける言葉
        を呟いた。


        「・・・・・・せーのっ!」


        それを合図に。
        たっ、と。
        薫は地面を蹴った。

       
        気配に気づいて振り向いた剣心に、駆け寄って、腕をのばして。
        ぎゅっ、と。その首に思い切り抱きつく。

        驚いて目を丸くする剣心に構わずに、薫はそのまま彼の耳に唇を寄せた。
        そして、内緒話をするような声で、小さく囁く。



        「・・・・・・好き」



        剣心の顔に、あっという間に血がのぼる。



        ―――そりゃ、彼女とは普段からさんざんくっついたりぎゅっとしたりしているけれど。
        とっくに他人ではないのだからそれ以上の事もいろいろしているわけだが。
        しかし、そういう事はいつも大抵自分から手を出しているわけで。
        だから、「薫から」そういう事をされるとなれば、話はまったく別なわけで―――

        「かっ・・・・・・薫殿っ?!」
        柔らかい身体を抱きとめながら、剣心は焦った声を出す。
        薫は至近距離から彼の顔を覗きこんで、悪戯が成功した子供のような笑顔になった。



        「ほら、あったかくなった」
        「・・・・・・おろ?」



        剣心の首に巻きつけていた腕をといて、薫は彼の頬を両の手のひらで挟む。北風に冷え切っていたそこは、今の不意打ちですっかり熱くなっていた。
        それを狙って―――薫は思い切って、慣れない真似に踏み切ったのだった。

        目的を達成した薫は照れくさそうに微笑んで、すぐに彼から離れようとした。思い切ってはみたものの、やはり、恥ずかしいことに変わりはないのであ
        る。しかし、剣心はそれを許さず、肩を抱いて再び薫を自分のほうへと引き寄せた。

        「・・・・・・え? ちょ、ちょっと剣心?!」
        捕まえられてぎゅうっと抱きしめられたかと思うと、額に頬に口づけが降ってきた。人目が無いのは確認済みだが、それでも一応、ここは昼日中の道端
        である。薫は慌ててじたばたともがき、剣心から逃れようとした。
        「うそっ! やだやだ何するのー!」
        「お返しでござるよ」
        「わっ、わたしは別に寒くないんだから、そんな事しなくてもいいのっ!」
        「ああ、こら、暴れるな」
        「やーっ! だめだってばこんなところ、で・・・・・・あら?」



        薫の上気した頬に、ひやりと冷たいものが触れた。
        剣心もそれに気づいて、ふたりは空を見上げる。

        「・・・・・・雪?」
        「風花だわ」



        風が、どこからか雪を運んできた。
        晴れ渡った水色の空の下、牡丹雪がふわふわと舞う。薫は力の緩んだ剣心の腕からするりと抜け出すと、雪が踊る北風に指をかざした。
        「不思議ね、こんなにいいお天気なのに・・・・・・」
        唇をほころばせて、薫は空を仰ぐ。

        長い髪に雪が降りて、陽の光を受けて柔らかに輝く。
        淡く優しいきらめきは、まるで彼女を飾る為に天から降りてきたように思えて―――そして、降る雪を素直に「美しい」と感じている自分に気づいて、剣心
        は目を細めた。


        「・・・・・・綺麗でござるな」
        「ほんと、きらきら光ってる」
        「薫殿も、綺麗でござるよ」
        「・・・・・・う、嬉しいんだけど! そーゆー事あんまりいっぺんに言わないで! 倒れそうになるんだから!」

        薫はぱたぱたと手のひらで顔のあたりを扇ぎながら、「あったかいどころか暑くなっちゃったじゃない」とこぼす。剣心はくすくす笑いながら、そんな彼女に
        腕を差し伸べた。薫は少し困ったような顔でうつむいて、しかし素直に身を寄せる。
        「こうしていると、寒くないでござるよ」
        「・・・・・・それなら、いいんだけれど」
        細い肩を抱いて、剣心はもう一度「帰ろうか」と促す。


        「寒さも、ここいらが峠でござるかな」
        「そうね、これが今年最後の雪かも・・・・・・早く春が来てほしいなぁ」
        「冬は冬で、いいものでござるがな」

        

        前の冬までは、そんなふうに思うことなど、決してなかったけれど。
        でも、初めて彼女と一緒に過ごしたこの冬は、ずっと幸福なぬくもりと笑顔に満ちていた。
        それは薫が、凍てつく寒さを暖かさに変えてくれたからだ―――ちょうど、今のように。



        薫は剣心の台詞に、驚いて目を大きくして―――そして、嬉しそうに頷く。
        寄り添って歩くふたりの肩に、雪は白い花びらのようにはらはらと優しく舞い落ちた。







        風花模様にけぶる空、吹く風は、まだ冷たい。
        けれど、雪とともに降りそそぐ陽のひかりの確かなあたたかさは、次の季節がすぐそこまで来ていることを人々に告げていた。

















        了。





                                                                                   2013.02.22









        モドル。