二 心 (ふたごころ)












        「ね・・・・・・目、閉じてよ」




        唇が重なる少し手前で、君は顎をひいて困ったようにそう言った。
        「どうして?」
        「どうしてって・・・・・・だって、開けたまんまじゃ恥ずかしいわ」
        「顔、見ていたいでござるよ」
        「・・・・・・もう!閉じてくれなきゃしてあげない!」


        それは困るので、ぱたりと目を閉じた。
        君が、小さく深呼吸をするような気配。何度唇を重ねていても、俺からされるのと自分からするのとでは「緊張の度合いが違う」らしい。こちらとしては、どち
        らも同じく大歓迎なのだが。

        そっと、細い指が肩に添えられて、ふわりと唇が重なる。
        君から贈られる、優しい感触。
        ああ、気持ちいいなと思いながら、するりと君の背中に腕をまわす。


        そしてうっすらと目を開ける。「開けたまんまじゃ恥ずかしい」と君は言っていたけれど―――実を言うと俺は時々、こんなふうに接吻をしながらこっそり目を
        開けて、君の表情を盗み見たりしている。

        もしも君がこのことを知ったら、真っ赤になって怒るんだろうな。
        怒った顔もまた可愛いのだけれど、怒るだけにとどまらず罰として暫くの間触れさせてもらえなくなったりするのかな。
        そんな恐ろしい状況は断固として回避したいので、君にばれないよう、今後も引き続き注意しなくては。



        ―――これは、こういうことは「隠し事」のうちに入るのだろうか。
        それとも、君と俺との互いの平和のために、「あえて言わずに黙っておくべき事」といえるのだろうか。



        剥いた桃みたいにふっくらした唇を、舌でなぞる。抱きしめた背中が、小さく震える。
        濡れた唇を開かせて、ふかく口づける。君の形のよい眉がせつなげに歪むのを確認してから、俺も目を閉じる。


        大好きなひと。
        苦しいくらいに大好きで、宝物みたいに大切なひと。
        抱きしめあって唇を重ねあうたびに、好きな気持ちがますます大きくなるようで。いつか想いが大きくなりすぎて、この胸が破裂してしまうのではと心配に
        なる。

        そのくらい、君のことが好きだから。君には常に誠実でいたいと思う。
        夫婦になるまでに、君のことをさんざん傷つけて悲しませてしまったから。だからもう二度と君を傷つけたくないし、二度と君に対して秘密を持ったりもしたく
        ない。



        けれど―――



        「ま・・・・・・待って、剣心・・・・・・」
        畳の上に押し倒すと、君は困惑の声を発した。
        「うん?」
        「ね、まだお昼よ?」
        「明るいのが嫌?」
        「そ、それもあるけど・・・・・・誰か訪ねてきたら、どうするの?」
        「居留守を使えばいいよ」
        「また、そんな無茶言って・・・・・・」
        明らかに、俺の言っていることは我儘で―――聞き分けのない子供を何と言って説き伏せるべきだろうか、と。君はそんなことを考えているような困った顔
        で、組み敷かれながら俺を見上げる。


        「・・・・・・拙者とふたりきりなのは、嫌でござるか?」


        それは、君にとっては思いがけない質問だったのだろう。
        驚いたように目を大きくすると、きっぱりはっきり「嫌なわけがないわ」と答えた。
        君が、当然のようにそう言ってくれることが嬉しくて。


        「じゃあ、もし誰か来たとしても、聞こえなかったということで」
        「ふぇっ?!いやあのっ、わたしそんなつもりで言ったんじゃ・・・・・・あっ、駄目ぇ!」

        袷を左右に押し広げる。帯の下できつく締められた紐が軋むのがわかる。あらわになった白い胸元に顔を埋めて、ふわふわしたそこにいくつも口づけを落
        とす。駄目と言いながら、君からの強い抵抗はなかった。
        ちらりと視線を君の顔に向けると、潤んだ瞳と目が合った。小さな手で口を覆っているのは、声を上げたくないからだろうか。
        俺の我儘を受け入れることを諦めつつも、昼間からあられもなく乱れるのは嫌なのだろう。君のその気持ちは、手に取るようにわかるけれど、でも。

        「ひ、ぁ・・・・・・」
        あちこちに口づけて噛みついて痕を刻んで。中途半端に露出させられた白い肌が桜色に染まる頃、君のいちばんやわらかいところは、すっかり潤んで泣
        いているみたいになった。そこにゆっくりと指を埋めてゆくと、君の唇から声にならない声がこぼれる。
        感じるところを探りながら、丹念に君のなかをかきみだす。甘い疼きに耐えきれずに、君が泣き声をあげるまで。


        「や・・・・・・だぁ・・・・・・」
        「嫌なの?」
        「だって、恥ずかし・・・・・・あっ、待っ、て・・・・・・!」
        悪さをする指をもう一本増やしてやると、君の声はいよいよ悲鳴にかわった。君が羞じらう気持ちはわかるけれど、わかるからこそ余計に、君をめちゃくち
        ゃにしたくなる。
        そんな事を考えてしまうのも、勿論君には内緒だけれど、君はとっくに気づいているのだろう。
        俺が君に対して、どこまでもあさましく、どうしようもなく意地汚いことは―――きっと、とっくの昔に君に気づかれている。

        「・・・・・・あ、あぁっ!」
        うちがわから、君が大きく震えるのが指に伝わる。ぎゅうっと強くしがみつかれて、そして、ふっと君の腕から力が抜けた。
        目尻に滲む涙は、苦しさ故のものではないだろう。舌ですくうと、君は乱れた呼吸にのせて小さく「いじわる・・・・・・」と呟いた。「そうでござるな」と答えなが
        ら、唇を重ねる。もう君からの抵抗はなかった。



        苦しいくらいに大好きで、宝物みたいに大切なひと。
        君と出逢って、大事なものが増えた。世界がぐんと広くなった。

        ひとつでも多くの笑顔に出会いたいと思っていた、旅暮らしの頃―――その頃よりもはるかに、「出会ったひとつひとつの笑顔を、幸せを守りたい」という想
        いは強くなった。君と、君につながる世界をすべて、大切に守りたいと思うようになった。



        ―――けれど。
        それと同時に、俺と君だけが世界から取り残されて、永遠にふたりきりでいられたら、どんなにすてきだろうか、と。
        そんなことも、真剣に考えている自分がいる。



        たとえば、君をどこかに閉じ込めて、世界との繋がりを断ち切って。
        俺ひとりの事しか、見られないように考えられないようにして。

        苦しいくらいに大好きで、宝物みたいに大切なひと。大好きすぎて大切すぎて、ひたすらに君のことを独占したくなる。
        世界に、君と俺のふたりだけならいいのに、と真剣に考えている。


        既に半裸になってしまった君の、帯締めに手をかける。きつく結ばれた結び目をほどいて、腰に巻かれた帯を取り去る。
        帯の下の腰紐を、君のお気に入りの桜柄の着物を、淡い色の襦袢を、蝶の羽をもぎ取るように脱がしてゆく。
        俺以外の者は目にすることのできない姿にしてしまって、もう、どこにもゆけないように。



        君が好きだから、君に繋がる世界のすべてを守りたい。
        君が好きだから、世界との繋がりをすべて断ち切って君を完全に俺だけのものにしてしまいたい。

        相反する正反対の感情。
        そのどちらにも嘘はない。矛盾しているようで、でもこれっぽっちも矛盾していない。



        どちらも想いも、君を好きだからこその真実なんだ。



        最後に残った、髪のリボンをほどく。
        胸に宿る、君を好きだからこその二つの想い。醜くて我儘なほうは、君に知られたくはない。こういうのも―――「隠し事」になってしまうのだろうか。

        着物を脱いで、君と同様裸になって、君の上に身体を重ねる。
        すると―――下から伸びた繊手が、首筋をかすめた。
        細い指が、首の後ろに触れる。背中に髪が流れて、俺は君によって髪紐をほどかれたことを知る。


        見下ろすと、君の濡れた瞳に俺の姿が映っていた。
        まるで、鏡のように。


        珊瑚色の唇が、ふんわりと笑みの形をとる。
        その笑顔は少女のように無垢で、けれど蕩けそうに艶やかにも見える。ふたつの君が、同居するような表情。



        もしかすると、君もそうなのかな、と。ふと思った。
        君も俺と同じように、「世界にふたりだけになってしまいたい」と考えることが、あるのだろうか。



        軽く、首に力がかかり、引き寄せられる。
        先程恥じらいながら貰った口づけよりも、ずっと熱っぽく、君から接吻が贈られる。

        「明るいうちからするの、嫌なんじゃなかった?」
        「・・・・・・いじわる」
        「そうでござるな」
        唇の上で囁くようにそう言って、そしてふたりでくすくすと笑いあう。



        ―――ねえ、君も同じなの?と。
        あえて言わずに黙っておこうか、それとも思い切って訊いてみようか。いずれにせよ、まずは君を抱きしめよう。


        永遠ではないけれど、今、こうして抱き合っている間、俺たちは世界から切り離されたみたいに、完全にふたりきり。
        このひとときだけは、世界でたったふたりだけになって、溶け合うくらい愛し合おう。






        あたたかな想いも我儘な願いも、心も身体もすべてが溶けて、ぜんぶひとつになってしまうまで。











        了。








                                                                                        2016.11.13









        モドル。