糸を返して、きゅっと結んで、鋏で切って。
「これでよし、っと」
ついでに、肩の他にも綻びているところはないか確認する。どうやら―――大丈夫なようだ。
薫は、繕い終えた着物を両手で掲げるようにして広げ、なんとなく眺める。
「・・・・・・ちょっと、懐かしい感じだなぁ」
ひとり呟いて、頬を緩めた。
まだ父親が存命の頃、よくこうやって父の着物を繕ったり仕立て直したりしていた。母が亡くなってからは、特に。
今、薫が手にしているのは、剣心が先程まで身につけていた着物である。
★
夕食の席で、弥彦が剣心の肩を見て「あ、ここ綻びてるぞ」と袖の付け根がほつれているのを発見した。
「おろ、いつの間に」と首を傾げた剣心に、薫は「じゃあ、剣心がお風呂入ってるうちに繕っておくわね」と言った。
すると弥彦が「裁縫はできるのになんで料理はダメなんだろうな?」と不思議そうに呟いたので、薫は弥彦の額をびしっと指で弾いてやった。
―――しかし、減らず口を叩かれたのは癪に障るが、実際弥彦の言うとおりなのだ。
料理は滅多に褒められたためしがないが、針仕事に関しては、子供の頃母親から「筋がいい」と言われたのを始まりに、度々周囲から好意的な評価をもらってき
た。
「きっとわたし、褒められて伸びる質なんだわ」
ひとりごちて、肩を竦める。
さて、そろそろ剣心も風呂からあがるだろう。わたしも入る支度をして―――
そう、思って、着物を畳みかける。
が、ふと思いついて、その手を止めた。
立ち上がって、そっと、剣心の着物に手を通してみる。
すとん、と袖が肩を滑り落ち、袖口が手首を隠した。
「・・・・・・やっぱり、ちょっと大きいな」
自分の姿を鏡に映して、くすりと笑う。
剣心は男性にしては小柄なほうだが、こうして羽織ってみると、やはり自分よりひとまわり大きな身体つきなのがわかる。
「これなら・・・・・・父さんの着物も着られるかしら?」
父親の体格を思い出してみる。剣心より身体は大きかったが、ちょっと直せば問題なさそうだ。父の若い時分の着物がとってあった筈なので、今度剣心用に仕立て
直すことにしよう。
そんなことを考えながら、胸の前で袷を深く重ねて合わせると、剣心の匂いがふわりと包むように香って、どきりとした。
突如、湧き上がった気恥ずかしさに、薫は焦って着物を脱ごうとする。
片腕を袖から抜いて、もう片方も―――
と、鏡に映る自分を見て、薫は片袖を抜くのをとどまった。
右半身だけ羽織った、剣心の着物。
薫は鏡に対して、横を向いてみる。
左半身だけを鏡に映しながら―――剣心の着物に袖を通したままの右腕で、そっと自分の肩を抱いてみた。
横向きに移ったその姿は、まるで剣心の腕に、抱きしめられているように見える。
肩を抱く手を、そろそろと下へとおろしてみる。
ゆっくりと身体の輪郭をなぞるように、二の腕を伝って、腰へ、腕をまわして。
鏡を凝っと見つめる薫の唇から、無意識のうちにため息が漏れる。
自分で自分を抱いているとわかっていながら、本当に、彼にそうされているような気がして―――
「・・・・・・剣心・・・・・・」
その、微かにこぼれた呟きに、カタリと物音が重なった。廊下のほうからだ。
はっ、と薫は我に返る。
「薫殿?開けてもいいでござるか?」
襖のすぐ向こうから聞こえた剣心の声に、薫は今度こそ慌てて着物を脱ぐ。
「風呂、空いたでござるよ」
「は、ははははははいっ!ありがとうすぐ行くから!」
着物を畳もうと急いで膝をつくと、襖が開いて寝間着姿の剣心がひょいと顔を出した。
「ち、ちょっと待ってね、これ繕っておいたから・・・・・・」
「ああ、そのままでいいでござるよ、拙者が畳むから」
「そ、そう・・・・・・?じゃあ、お願いね」
薫は剣心に着物を押しつけると、そのまま彼の横をすり抜けて部屋を出た。
―――今の、見られてないわよね?大丈夫よね?
鼓動が、どきどきとうるさい。
鏡を見なくても、頬が赤くなっているのがわかる。
そんな顔を見られたくなくて、逃げるように風呂へと向かおうとすると―――
「薫殿」
背中にかけられた声に、立ち止まる。
振り向いた薫に、剣心は手にした着物を示してみせた。
「これ、ありがとうでござる」
そう言って、剣心ははにかむように微笑んだ。
その一言に、薫はぱっと笑顔になる。
赤い頬を隠すのも忘れて、「どういたしまして!」と大きな声で答えた。
たかが繕い物だけれど、彼に何かしてあげられたという事が、嬉しかったから。
・・・・・・だってたとえば料理の腕だって、剣心のほうが上なんだもの。
だから、ほんの小さなことでも―――ちょっとでも彼が喜んでくれたのなら、とても嬉しい。
「じゃ、お風呂いただいてくるねっ」
軽やかな足音が遠ざかる。
剣心は、薫の姿が見えなくなったのを確認してから、受け取った着物に袖を通した。
先程覗き見てしまった薫の様子を真似て、寝間着の上から、片袖だけ。
しげしげと、袖を見る。
ついさっき、薫の肩を抱いて、細い腰を辿った袖を。
「・・・・・・ずるいな、着物の分際で」
着物の主人である自分は、彼女の温もりも柔らかさも知らないというのに。
自分を呼んだ、薫の切ない声が耳によみがえる。
あんな姿を見てしまったら、あんな声を聞いてしまったら、袖だけなんかじゃなくて、この腕で抱きしめてしまいたくなる。
いつの間にか芽生えていたこの感情は、ただただ嵩を増すばかりで、どうすることもできなくて。
押し殺そうとしても溢れてしまいそうになる恋心が苦しくて、剣心はきつく目を閉じた。
(了)
2012.03.16
モドル。