8  時間と悪戯








        剣心と薫が、縁日に足を運んだ神社。
        あの神社の境内の一角には、摂社として小さな社がある。

        社の扉には花模様の可愛らしい意匠の木彫りが施されていて、そこは小さい頃よく境内で遊んでいた薫のお気に入りの場所であったが―――社にどん
        な神様が祀られているのかは、考えたことはなかった。



        「あそこに祀られているのは、この地域の土地神です。神社が建立されて本殿に神様が祀られるその前から、この場所に存在している神様ですよ」


        「神様」について説明をする老紳士の膝に、少女がよじ登る。どうやら彼女は大人たちの話に飽きてきたらしく、どこか眠そうな顔をしていた。
        「ひとことに神と言っても、様々な神様がおわします。植物や土や水など、自然界に在るものにまつわる神々。あるいは人間が作った物が長い時を経て、
        神に成る場合もありますな」
        「付喪神というやつでござるな」と、剣心が小さく呟く。この国には様々な神様がいて様々な形で信仰をされている。それについては剣心も薫も、肌で感じ
        て知っている。



        「中には、目に見えない、形の無いものに関係する神もいます。たとえば、人と人との縁であったり、運であったり―――そして、時間であったり」



        話は、核心へとたどり着いたらしい。
        剣心と薫は一瞬目と目を合わせ、それから老紳士へと視線を戻す。
        「『時間』というものは、過去から未来へと流れゆく大河のようなものです。その流れが狂わないよう、流れから迷い出る者がないように守る―――あの社
        におわしますのは、そういう神様なのですよ」
        少女の頭を撫でながら、老紳士は穏やかに続けた。

        「さて、あなたがたも御存知ですね。先日、その社の扉が壊れてしまいました」
        「・・・・・・あ」
        ちょうど、扉が壊れる瞬間に居合わせた薫は、申し訳なさそうに肩を縮こまらせた。間接的にではあるが、あの扉が壊れた一因は薫にもある。
        「神様は普段、別な場所―――まぁ、判りやすく言えば『神様側の世界』とでも申しましょうか、そういう場所に居るものなのですが、扉が壊れてしまったた
        め、あちら側と社とが『つながって』しまったのですな。こういう事態は稀にですが起こりうることですので、どうぞ奥様は気になさらないでください」
        心のうちを見透かされて、薫は「すみません・・・・・・」と小声で謝罪する。


        「そういう訳で、これ幸いとばかりに神様が『こちら側』に出てきてしまいました。この神様は人間よりは年を経てはおりますが、土地神としてはまだ若い神
        様でして・・・・・・こちらに出られる機会があると、それはもう大はしゃぎをしてしまうのですよ」
        「・・・・・・若い?」
        「大はしゃぎ・・・・・・?」
        「更に申し上げますと、ここぞとばかりに悪戯をするのも得意でございまして・・・・・・」



        剣心と薫は、なんとはなしに老紳士の膝を見た。
        彼の膝を枕に、あの赤い着物の少女が目を閉じてうつらうつらしている。



        その様子は一見して、ごく普通の幼女にしか見えないのだが、しかし―――





        「この度、あなたがたの『時間』を掻き乱してしまいましたこと、神様にかわりお詫びいたします」





        そう言って、老紳士は深々と頭を下げた。









        ★









        「・・・・・・まるで、おとぎ話みたいね」




        物干しにはためく胴着を眺めながら、薫は長く息を吐く。
        物干し竿の先には、例の狐の面も引っかけられていた。先程、薫が拾い損ねたのを剣心が川に入って回収したものだ。
        その面の持ち主は話の途中で眠り込んでしまい、今は奥の部屋で横になっている。老紳士は、彼女の傍についていた。

        彼いわく、あの女の子は「神様」なのだという。
        時間が正しく流れるよう祈る守り神―――なのだが、社の扉が壊れた現在は「こちら側」で羽をのばしている、と。


        「・・・・・・『悪戯』をするのは一日一回までと言っていたでござるな」
        「あと四日は、こちらに居るって言っていたわね」

        いわく、あまり頻繁に悪さをすると人々に混乱を及ぼす恐れがあるから、制限というか決まり事を作った―――との事で、あと四日というのは、その日には
        社に新しい扉が取り付けられる予定らしい。
        一昨日、別れ際に少女―――もとい神様が「あと六日」と囁いたのはそういう意味だったのか、と薫は納得する。



        「おとぎ話というよりは、冗談のような事態でござるよ・・・・・・うちで神様が昼寝をしているなんて」
        「でも、冗談みたいでも信じるしかないんじゃない? 実際、剣心だって過去のわたしに会ってきたんだし」
        「それは、確かにそうだが・・・・・・」
        薫の横に寄り添うようにしながら、剣心は首をかしげた。彼の髪が自分のそれにふわりと触れて、薫はくすぐったそうに目を細める。

        「しかし、まだ納得いかぬことがあるんでござるよ。薫殿は、過去の拙者に会ったのでござろう?」
        「うん、わたしより年下の・・・・・・十三か十四歳くらいじゃないかしら」
        「では、どうして拙者は、それを覚えていないのでござるか?」
        「え?」


        意味がわからず、薫は剣心の顔を見てぱちぱちと瞬きをした。
        剣心は首を起こして、じっと薫の瞳をのぞきこむ。

        「当時の拙者が、未来から来た薫殿に出会った。ならば現在の拙者に、その時の『記憶』が残っていそうなものだが・・・・・・なぜ、拙者にはその記憶がな
        いのでござろう」
        「・・・・・・あら・・・・・・?」


        今度は薫が唸る番だった。
        過去に遡った剣心は、昨年の五月十五日の薫に会った。
        それによって薫には、「あの日、剣心に襲われかけた夢を見た」という記憶が残った―――実際には、夢ではなかった訳だが。



        ならば、それと同様に剣心にも、「少年の頃、川のほとりで薫という女性と出会った」という記憶が残っている筈なのだが―――



        「おかしいわね・・・・・・そういう記憶、残っていないの? 『ある春の日、川できれいなお姉さんを助けました』っていう少年時代の思い出、覚えてないの?」
        「残念ながら」
        薫のわざとおどけたような言い方に、剣心はつい笑ってしまいそうになる。

        たとえば、両親が死んだ夜に薫に会ったことを覚えていないのは、「あまりに昔であまりに幼かったから」と理由づけることはできるかもしれない。しかし、
        少年時代にそれほど印象的な出来事があったならば―――まず、覚えている筈なのに、それがない。
        剣心が今日の薫の体験談をなかなか信じれらなかったのは、そのためだ。比古の桔梗の着物の話がなかったら、まず信じることはできなかっただろう。



        「・・・・・・残る記憶と、残らない記憶があるのでござろうか」
        「そうねぇ・・・・・・さっきの『違う時代の物を持ち運びできない』事みたいに、まだわたしたちの知らない仕組みとか決まりごとがあるのかしら?」
        「今度、従者殿に訊いてみようか。まだ四日間はこちらにいるそうだし・・・・・・おろ?」
        軽い足音が近づいてくるのに気づき、剣心と薫はそちらに目をやる。庭をまわって駆けてきた足音の主は、小さな神様だった。

        「目が覚めたのね・・・・・・あらら、どうしたの?」
        剣心と薫の脚に飛びつくようにぶつかってきた神様は、そのまま薫の後ろにまわり、誰かから隠れるように身を小さくする。その「誰か」は言うまでもなく、
        あの老紳士だった。
        「まったく、卑怯ですよ。おふたりを盾にするとは」
        追いついて物干しの前にやって来た老紳士は、「めっ」というように軽く神様を睨む。話によると、彼も人外の存在らしい。このような「緊急事態」となった折
        に神様の面倒を見たり、悪戯がすぎないよう見張ったりする、従者のような役割をつとめているそうなのだが―――


        「どうして、追いかけっこをしていたのでござるか?」
        薫の陰に隠れた神様のおかっぱ頭を見下ろしながら、剣心は尋ねた。
        「いや、少々わがままを言われていまして・・・・・・社に戻ろうと申しましたら、嫌だとおっしゃるのです」
        「え、でも、扉が壊れているんじゃ・・・・・・」
        「壊れているといいましても、むこうに戻るのには支障はございませんからな。また明日も『こちら側』への行き来はできると申しているのですが・・・・・・どう
        もこちらの家が気に入られたらしく、駄々をこねてしまいまして」

        剣心は、隣に立つ薫の顔を見た。薫は、何か訴えかけるような視線をむけてきており、剣心はその意味をすぐ理解した。そして、「薫殿の頼みなら仕方な
        いか」というように、ごく小さく肩をすくめてから、口を開く。



        「よろしければ、こちらに居る間うちに滞在されてはどうでござる?」



        その言葉に、神様がぱっと顔を上げる。
        「たいしたもてなしも出来ぬとは思うが、貴方がたおふたりを泊めるくらいの部屋はある故、従者殿がそれでよろしければ」
        「いや、そんな、お二方にご迷惑をおかけするわけには・・・・・・」
        「迷惑なんかじゃありませんよ! うちはこのとおり夫婦ふたりきりですし、お客様がいらっしゃるのは嬉しいわ」
        そういう薫の声は本当に嬉しそうで、神様は喜色満面で薫の脚に抱きついた。

        「しかし・・・・・・よろしいのですか? 神様はこの家だけでなく、あなたがたご夫婦を気に入られたようです。恐らく明日以降も、また他の時間に連れてゆか
        れるようなことがあるかもしれませんよ」
        「わたしは構わないですよ。むしろ、大歓迎だわ」
        「薫殿・・・・・・」
        剣心は、困惑の色の混じった視線を薫にむける。しかし薫は神様の髪を撫でながら、楽しそうに笑ってみせる。



        「だって、わたし過去の剣心と約束したんだもの。今度は立ち合いをしようって。また、会おうって」



        剣心は何か言おうとして口を開きかけ―――結局その言葉を飲み込んだ。
        かわりに老紳士のほうを見て、「おふたりとも、こちらの食べ物は普通に食べられるのでござるか?」と尋ねる。
        ひとまずは、夕飯の支度をしながら、過去の自分とどんな話をしたのか薫に聞かせてもらおう、と。そう思った。







        気がつくと空を覆っていた雲は晴れ、夕焼けがあたりを蜜柑色に染めている。
        明日はより暑くなりそうな、そんな気配を漂わせる空だった。















        9 「約束だから」へ 続く。