2  ふたりの変化







        「剣心、今日も見回りに行くの?」



        朝食の後、薫はお茶を淹れながら剣心に尋ねた。
        昨夜から今朝にかけてまた一段と積もったから、また新しく雪だるまが増えているかもしれない。
        「そのつもりでござるが・・・・・・」
        湯気の立つ焙じ茶を受け取りながら、剣心は答える。
  

        先日署長に頼まれた時、署を辞した後それとなく意識しながら街を歩いてみたが―――確かに大雪にはしゃいだ子供たちが競って作ったのだとしても、
        異様な数の雪だるまが見受けられた。そう、異様な。
        これがただ流行っているのなら別によい。しかし、もし誰かの作為が働いているとしたら。
        
        恐らく警察側も、その可能性を考えているのだろう。雪にくるまれた石、あれには、確かに悪意が感じられた。
        それがただの考えすぎであることを剣心は祈った。新年早々、面倒な事件に発展しなければよいのだが―――


        「あのね、お願いがあるの。それ行くの、稽古の後にして欲しいんだけど・・・・・・」
        「おろ、今日は何かあったでござろうか」
        「平介くんが、ちょっといい酒粕持ってきてくれるんだって。あの子のおうち酒屋さんだから」
        「酒粕?」
        「ほら、剣心この前の初稽古のとき、甘酒作ってくれたでしょ。みんなまたあれが飲みたいんですって。わたしじゃなくて剣心が作ったやつがいいって言
        うのよ」
        後半、ちょっと拗ねたような口ぶりになった薫に、剣心はつい口許をほころばせた。

        神谷活心流の道場は、剣心が来た頃は偽抜刀斎のごたごたの所為で門下生がゼロだったが、今は弥彦以外にも近所の子供たちが足を運ぶようにな
        っている。その殆どが、今まで竹刀を持ったことがないというような年端のいかない少年たちだったが、薫は「そのほうが教え甲斐があるわ」と喜んでい
        た。


        「気に入ってもらえたなら嬉しいでござるなぁ。それくらい、お安い御用でござるよ」
        「わ、ありがとう! みんな喜ぶわー」
        「稽古が終わるのは、午頃でござるか?」
        「うーん、今日はあんまり稽古にはならないかもね、この雪じゃ」
        薫はちょっと笑って、肩をすくめた。







        ★







        薫の予言はしっかり的中した。

        いつものように道場にやってきた子供たちは庭に積もった手つかずの新雪に始終そわそわし続け、ろくに稽古に身が入らない有様だった。結局、薫は
        苦笑しつつ、いつもより早めに稽古を切り上げて、「はい! では、ここからは雪合戦の時間!」と宣言した。子供たちが歓声をあげて庭に躍り出たのは
        言うまでもない。
        二手に分かれた門下生たちは、胴着から髪から雪まみれになって、ひとしきり雪合戦に興じた。そして剣心の「甘酒ができたでござるよー」の呼び声を
        合図に、やはり歓声をあげて今度は縁側へと殺到する。
        子供たちは積もった雪のせいでいつもより低く感じられる縁側に上がりこんで、剣心と薫から配られる甘酒を大喜びで受け取った。


        「おろ、今日は誰か休んでいたでござるか?」
        門下生たちの顔を目で数えながら剣心は尋ねた。増えたといっても、まだ弥彦を含めても両手の指で数えられる程度の人数である。したがって、誰かひ
        とりが休むと、いつもより人数が減っているのはすぐにわかる。

        「航吉がいねーよ。妹だか弟だかの具合が悪いから、今日は休むってさ」
        甘酒のはいった湯呑みにふうふう息を吹きかけながら、弥彦が答えた。剣心はその少年の顔を思い浮かべる。確か、弥彦よりひとつ年下で、剣の筋は
        なかなか見どころがあった筈。


        「何番目の子かしらねー、航くんのところ下に三人いるから」
        「四人兄弟でござるか」
        「弟くんがひとりに、妹さんがふたりで、次はどちらかなー、って」
        「次?」
        「お母さん、今五人目がお腹にいるんですって」
        「おろ、それはおめでたいでござるなぁ」
        薫は剣心にも甘酒を渡しながら、自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。
        
        「産まれるのは春ですって。男の子かしら、女の子かしらねぇ」
        「いずれにせよ、かなり賑やかになりそうだが」
        「ま、うちも賑やかさから言ったら相当だけど」
        「違いない」
        剣心と薫は、甘酒に舌鼓を打ちながらやいのやいのと喋ったり小突きあったり忙しい少年達に目をやり、そして顔を見合わせて笑った。


        「ねー薫先生、雪だるま作ってもいい?」
        まだ遊び足りないのだろう、湯呑みを空にした数名の子供が薫の袖を引いた。
        「雪だるま? 庭に?」
        「道場の門の横に! ほら、今どの家の前にもあるじゃん、でっかい雪だるま!」
        門下生たちははしゃいだ声で答えたが、薫はどう返事をしたものかと、困ったような目で剣心の顔を見た。
        なるほど、「流行」とはこのようにして広がってゆくのだな、と剣心は納得する。
        
        「道を歩くひとの邪魔にならないよう、塀の近くに作るでござるよ。あと、看板を隠さないようにな」
        了解を得た子供たちは「ありがとうございます!」と一礼し、回れ右をして玄関にむかって走り出した。

        「うーん、署長さんの気持ち、少しわかったかも。やっぱり子供から楽しみを取り上げるのはかわいそうだもんねー、ありがと剣心」
        「まぁ、うちの前で悪戯をやらかす物好きはおるまい。それにしても、みんな元気でござるなぁ」
        「ほんとにねぇ」


        元気なのは雪だるま部隊だけではなく、他の門下生も似たり寄ったりで、甘酒をおかわりした少年たちも次々と庭へと戻って雪合戦の第二試合を開始
        する。幼い頃から大人たちの中で過ごしてきたせいか、同い年の子に比べるとどこか大人びた面のある弥彦も、彼らに混じると年相応になってしまうら
        しい。今日は皆と一緒になって子犬のように雪の上を転げ回っていた。



        剣心は、薫と並んで庭の少年たちを眺めながら、「子供ができたら、常にこんな感じなのかな」と、ぼんやり思った。
        薫と祝言を挙げ、夫婦となってそろそろ一年。
        剣心はそういう事を、ごく自然に考えるようになっていた。



        つくづく、自分は変わったな、と思う。
        昔は、自分が生きていること自体がもう、罪深いことだと感じていたのに。
        今は、傍らにいる愛しいひとのためにも、生き続けたいと考えている。
        いつ何処で死んでも構わないと思っていたのに、今はこうしてこの場所で、薫と家庭を築いている。

        変われたのは、自身が悩んで苦しんで考え抜いた結果でもあるが、様々な人と出会って、仲間が出来て、失いたくないものが増えたからだ。
        ふと、視線を感じて隣を見やると、失いたくないもののなかで最も大切な―――薫が、じっと自分を見つめていた。


        「・・・・・・どうしたでござるか?」
        薫は、門下生たちがこちらを見ていないことを確認してから、そっと身を傾けて、剣心の肩に頭を乗せた。
        「薫?」
        「なんでもないの。ちょっと、なんとなく」
        柔らかい響きで、そう囁く。



        ―――ああ、ひょっとして。
        君も今、同じようなことを考えていたのだろうか。



        剣心は薫の肩をぐっと抱いて、こめかみに唇を寄せた。くすぐったそうに、薫が笑う。
        「そろそろ、行ってくるよ」
        「はぁい、気をつけてね。ちゃんとあったかくしていってね?」
        「うん、承知した」

        残りわずかとなった甘酒の後片付けは薫に任せて、剣心は身支度をして道場を出た。門の前では少年たちが雪だるまを作製中である。
        ざっと通りを見渡すと、どの家の前にも立派な雪だるまが鎮座ましましている。また随分と増えたものだなぁと苦笑しつつ、剣心は「風邪をひかないよう、
        気をつけるでござるよ」と少年たちに声をかけた。
        「はーい! 行ってらっしゃーい!」
        彼らの元気な見送りをうけつつ、剣心は雪深い道を一歩踏み出した。






        「薫ー! 甘酒まだあるか?」
        たくさん暴れまわったのと冷たい空気に晒されたのとで、頬を真っ赤にした弥彦が縁側に駆けてきた。雪合戦はまだ続いているようなので、途中の栄養
        補給をしに来たらしい。
        「あと一杯分くらいよ。片付けちゃうから、あんた全部・・・・・・」


        薫の言葉が、中途半端なところで途切れた。
        鍋をのぞき込んでいた弥彦は、不審に思って顔を上げる。


        薫は鍋を弥彦に押しつけると、空いた手でぱっと自分の口元を押さえた。
        「・・・・・・ごめん、あと、飲んじゃっていいから」
        くぐもった声で言うなり、厠のある方へむかって走り出す。

        「なんだありゃ、食い過ぎか?」
        残された弥彦は口うるさい師匠が目の前にいないのをよいことに、鍋に直接口をつけて残りの甘酒を豪快に飲み干し、ぱっと庭へと飛び出した。
        「ごっそーさん! っしゃー、戦線復帰ぃ!」





        急に、胸の奥からせり上がってきた異物感に耐えきれず、薫は厠で先程飲んだ甘酒をすべて吐き出した。
        大きく息をついて、冷たい水で口をすすぐ。

        胸の圧迫感は解消された。
        しかしその代わりに、鼓動が高鳴りはじめる。
        無意識のうちに、薫はお腹のあたりに手をやった。





   
        自分の身体に起きている、ある変化。
        薫はこの時、初めてそれに気がついた。

















        3 「小さな犯人」 に続く。