初春雪だるま事件






     1 雪の正月

        








        
静かだな、と思った。



        真冬の、早朝である。
        聞こえるのは耳元をくすぐる剣心の小さな寝息くらい。
        外はかなり冷えこんでいるはずだけれど、こうして布団の中にいるとあたたかい。
        より正確に言うと、後ろから剣心に抱かれているから、背中がぽかぽかとあたたかい。



        ―――また、雪が降ったのかな。



        薫は肘のあたりを抱え込んでいる剣心の腕をそっと退かせて、布団から抜け出そうとする。
        しかし、畳に手をついたところで、後ろからぐいっと裾を引っ張られた。
        「ひゃっ!」
        緩く身につけていた寝間着が肩からずり落ちそうになり、襟元を押さえた。振り向くと、まだ半分以上眠っているような顔の剣心と目が合う。
        「あ、起こしちゃった?」
        「・・・・・・寒い」
        剣心はぼそりと呟くと、腕を伸ばして薫の腰を捕まえた。布団の中に引き戻された薫は仰向けに敷布に押しつけられ、覆い被さってきた剣心にぎゅうっ
        と抱きしめられる。あたたかさと柔らかい感触を確認できたのに安心したのか、剣心は満足そうに深く息をついた。



        
「ねー」
        「んー?」
        「今日は特に、静かね」
        「そうでござるな」


        風の音も、鳥の囀りも聞こえない。
        まるで、家全体が真綿でくるまれて、外界から遮断されているような、静けさ。
        薫は背中に回した手で、剣心の髪をつんつんと軽くひっぱった。

        「外、見てみましょうよ」
        「寒い・・・・・・」
        「ねー、どのくらい積もったのか、見てみたいの」
        「んー」

        剣心は気のない返事をしながらものろのろと薫の上から身体を起こし、ついでに薫の腕をひっぱって起きあがらせる。更には、膝の下に腕を通し肩をぐ
        いっと掴んで、横抱きに抱き上げた。
        「よいしょっと」
        「きゃぁっ!」
        ふわりと身体が浮き上がる感覚。突然持ち上げられて、薫は笑い声に近い悲鳴をあげながら剣心の首にしがみつく。
        剣心は薫を抱いたまま、冷たい廊下を半分走るようにして足早に進んだ。


        「ほら」
        「うん」
        抱き上げられたまま、薫は雨戸に手をかけて、少しだけ横に引く。
        途端に、隙間から冷気が滑り込んできた。もう少し引くと、白い光が流れこんでくる。


        「う、わぁぁっ・・・・・・」
        「これは・・・・・・また、積もったでござるなぁ」


        道場の見慣れた庭は、白一色に染められていた。
        塀も庭木も綿帽子をかぶったように雪に覆われ、重たげな風情だ。

        ようやく日が昇った朝の空は、雪の白さを反射して薄い水色。今のところ晴れてはいるが、彼方には灰色の雪雲が待ち構えており、まだまだ降りそうな
        様子である。


        「このぶんだと、また雪だるまが増えちゃいそうね」
        「まぁ、仕方ないでござるか」
        薫は首をのばして、僅かに苦笑を浮かべた剣心に顔を近づける。頬にそっと唇を寄せると、その表情が和らいだ。
        「まったく、妙なことが流行るでござるな」
        「雪が積もっているうちだけよ。きっとすぐに収まるわ」
        「ああ、そう願おう」

        剣心は薫の額に小さく口づけを返した。
        雪が音を吸いこんで、東京の街はいつもより静かな朝を迎えている。





        その、街のあちらこちらに立つ、無数の「雪だるま」。
        それが年が明けてからここ数日の、妙な「流行」であった。







        ★







        明治十三年は穏やかに明けた。
        剣心と薫にとっては、ふたりで一緒に迎える二回目の正月である。

        しかし、綺麗な初日の出を拝めた元旦からうって変わって、二日からは静かに、休みなくしんしんと雪が降り始め、街はあっという間に銀世界となった。
        子供たちが雪遊びに大わらわとなり、大人たちはこぞって玄関先の雪かきに精を出すなか、ようやく松が取れたという頃に、剣心は警察署長から相談を
        受けたのだった。





        「雪だるまに、困っているんですよ」
        「雪だるま、でござるか」


        口にしている単語は可愛らしいが、署長の眉毛が八の字を描いているところを見ると、本当に困った問題が起きているのだろう。しかしながら、いったい
        どんな問題なのか皆目見当がつけられなくて、剣心は話の先を促した。


        「こちらに来られるまでに、雪だるまを目にしませんでしたか?」
        「ああ、そういえば。この大雪でござるから、子供たちも張り切って作っているのでござろうなぁ」
        「沢山、目にされましたよね」
        「そう言われてみれば、確かに、沢山でござったな」
        「尋常じゃなく、沢山でしたよね」
        「・・・・・・おろ、そういえば」

        剣心は警察署に来るまでの道のりを思い返してみる。大きな通りにも細い小路にも、様々な店先や家の前、あちらこちらに鎮座していた雪だるま。
        それは「大雪だから」の一言で説明はつきそうではあるが―――それにしても。

        「ここ数日、雪だるまを作るのがこの界隈で大流行しているようなんですよ」
        「いや署長殿、それはそうとして、何故その雪だるまに困らされるんでござるか?」
        軒先に、道端に並ぶ大小の雪だるまたち。それは微笑ましい光景ではあるが、別に警察が悩まされる事とは思えないのだが。
        「雪だるま自体はいいんですよ。ただ、悪戯をする者が現れまして」
        「悪戯?」
        「雪だるまが、砦になっているんです」


        署長いわく、雪だるまの陰に身を隠し、道行く人に雪玉をぶつけるという悪戯が何件か報告されているらしい。
        中には「犯人」が捕まった例もあったらしく、それは現行犯で、小さな子供の仕業だったのだが―――
        「その子供にはきっちり説教をしまして、親御さんにも注意をしておきました。まぁ、雪だるまに身を隠せるとなると、大抵は子供なわけなんですが」


        そんな悪戯の中に、見逃せない一件があった。


        「これが、雪玉のなかに忍ばせてあったんです」 
        そう言って署長は、机の上に置いてある石を、剣心に示した。


        大人の手のひらに収まるくらいの大きさの石である。それなりに勢いをつけて投げつければ、当たったほうにはそれなりのダメージがあるだろう。
        「おそらくこれも子供がやったことでしょうが・・・・・・幸い、被害者に怪我もありませんでした」
        「雪にくるまれているし、子供の力で投げたのなら、そうなるでござろうな」

        成程、と剣心は頷いた。
        悪戯が横行しているから雪だるまを作るのは禁止、と警察から勧告することも出来るであろうが、それはあまりに無粋な話だ。悪戯防止のためにと言っ
        て既に出来上がっている雪だるまをかたっぱしから壊してまわるのも、あまりに横暴というか、それこそ大人気ない措置であろう。
        「そうなると、できることといえばせいぜい警邏で気を配るしかないわけで・・・・・・つきましては、緋村さんにも気をつけてもらいたいと思いまして」


        さすがに子供だって、制服を着た巡査の前では無闇に悪さは働かないだろうから―――警察の目の届かないところで何か起きそうな場合は対応を頼
        みたい、というのが今回の呼び出しの趣旨だった。


        「そういう経緯なら勿論―――しかし新年早々、変な事が流行ってしまったでござるなぁ」
        「まぁ、殺伐とした事件が流行るよりはずっといいのですがね」
        署長はそう言って、細い目を更に細くして困ったように笑ったのだった。
        


















        2  「ふたりの変化」 に続く。