8 雪の攻防










        「・・・・・・来たか?」
        「・・・・・・来るぞ」
        「・・・・・・見えた! 来た来たっ!」




        道路脇に並ぶ雪だるまを砦がわりにして「敵」の来襲を待っていた子供たちは、道の向こうから人影が迫ってくるのを目で確認して、足元の雪を掬い取
        り雪玉を作る。それが敵を撃退するための、子供たちの唯一の「武器」だ。
        敵は、駆け足のスピードで迫ってくる。
        奴を―――いや、敵はふたりいるようだ。奴らを、通すわけにはいかない。航吉のために、ここで追い払わなくては―――


        「・・・・・・それっ!」
        やってくるのが「悪者」と信じて疑わない子供たちは、ぎちぎちに硬く握った雪玉を構えて、今まさに前を通り過ぎようとする「奴ら」に、力いっぱい投げつ
        けたが―――しかし、それは「奴ら」には当たらなかった。


        雪玉が届く寸前。ばっ、と赤い色がひろがり、冷たい礫を受け止めて弾き返す。
        

        薫の先に立って走ってきた剣心は、手にしていた借り物の赤い番傘を開いて、飛んできた雪玉を防いだ。そして子供たちが潜む雪だるまの前で、きゅっ
        と足を止める。
        「薫殿」
        「はいっ」
        追いついた薫は、傘を剣心から受け取る。傘の柄から指を離すとともに、剣心は腰を落として勢いをつけて、逆刃刀を射合い抜きに抜いた。

        ぶわ、と一瞬風が起こり、積もったばかりの軽い新雪が舞った。
        子供たちは視界を白く阻まれ―――彼らが反射的に顔を覆った隙をついて、薫は飛びかかるように走り寄り、雪だるまの陰から子供たちを引っ張り出
        す。あまりに素早い展開に何が起こったのか理解する前に、子供たちは一発ずつぽかりと頭を殴られた。


        「わたしたちの勝ちよ、降参しなさい!」
        薫の宣言に、子供たちは訳のわからないまま勢いに飲まれたように「・・・・・・はい」と答えた。



        「あそこの角を曲がると、じきに航吉の家でござるな」
        「また罠でも仕掛けているんじゃないかしら」
        「かもしれぬな、慎重にゆくとしよう」

        引っ張り出された子供たちは束の間呆然としていたが、すぐに気をとりなおし「今の凄かったなー!」「俺、刀って始めて見た」「風が、風がぶわっと」と囀
        りはじめる。「もう一度やって見せて!」と袴にまとわりつく子供たちを「はいはい、見世物ではないでござるよ」と散らしてから、剣心と薫はあらためて雪
        の地面を蹴った。

        と、行く手にきらきらと光るものが「突き立って」いるのが見えて―――剣心は確認するように目を細める。
        「薫殿、前方に仕掛けが」
        「やっぱりー! 用意周到ね!」
        「では、ちょっと御免」
        「きゃっ!」
        剣心は走りながら、薫の手を掴んでぐいっと引いた。
        前方の罠がどんなものか視認した剣心は、薫の膝裏から足をすくい上げ、横抱きに抱き上げる。
        「つかまっていて」
        言いながらも剣心は足を止めない。薫は返事のかわりに、ぎゅっと剣心の首に抱きついた。







        ★







        「航吉、来たぞ!」
        友人の声に、最後の砦―――自宅の真ん前に作った特別大きな雪だるまの陰に待機していた航吉は、ばっと身を乗り出した。
        前方には罠がある。敵がそこで右往左往しているところに、雪玉を浴びせかけ撃退するというのが、航吉の計画だった。

        しかし―――航吉は道の向こうから駆けてくるのがあの老人ではなく、何故か、見知ったふたりであることに驚愕する。
        「薫先生?! 剣心さんも?!」

        剣心たちは、航吉と子供たちが作った「罠」の前に迫る。
        冬の陽の光をうけてきらきらと輝いて見えていたのは、氷の剣だった。
        家々の軒下にできた氷柱を集め、尖った方を上に向けて雪の上に刺した「罠」。沢山の氷柱が立つ様子は、まるで氷でできた大きな剣山のようだ。
        

        「ちょっと、目を閉じていて」
        「うんっ」
        剣心は、氷の剣を前にしてもスピードを緩めない。
        むしろ更に加速をつけて、薫を抱いたまま力強く最後の一歩を踏み込み―――跳躍した。

        子供たちは、剣心が鋭い氷の刃をまったく臆することなく、その上を軽々と飛び越えるのを呆気にとられて眺めていた。
        思いもよらぬ最短の方法で「罠」を回避した剣心は、たん、と氷柱の山の向こうに着地する。ふわ、と雪煙が舞った。

        「到着でござるよ」
        「ありがとっ!」
        剣心の腕から降ろされた薫は、ぎっ、と目の前に立ち並ぶ雪だるまを睨みつけ、そのうちの一番大きなひとつにずんずんと突進する。その雪だるまの陰
        に隠れていた航吉は、薫の鬼気迫る雰囲気に圧倒され、雪玉をつかんだまま逃げることも出来ず立ちすくんでいた。薫は、その航吉に向かって手を伸
        ばし―――胸ぐらをひっつかんで、雪だるまの後ろからひっぱり出す。そして。



        「馬鹿っ!!」
        ごん、と頭に拳固が飛んだ。


 
        「もうっ! あんたは一体何馬鹿なことやってるの! こんなに大勢の友達を巻き込んで! ご近所のひとたちにも迷惑をかけてっ!」
        派手な一発をくらった航吉は、涙目で弁明を始める。
        「かっ、薫先生、違うんです、俺は母ちゃんを守ろうと思って・・・・・・」
        「訳はどうあれ、まずはそこに座りなさい!」
        「え、でもここ雪の上で」
        「す、わ、り、な、さ、いっ!」
        「・・・・・・はい」

        薫の迫力に負けた航吉は、がくんと頭を垂れてその場に正座する。特に言われたわけでもないのに、雰囲気に呑まれた周りの子供たちも一緒になって
        膝をついた。
        「まったくあんたたちは! こんな大がかりな仕掛けなんて作って! 誰か関係ない人が怪我でもしたらどーするのっ!」


        薫の説教がスタートしたのを剣心がやれやれと苦笑しながら眺めていたら、後ろから声をかけられた。
        「やあ、無事首領のもとに辿り着きましたか」
        「おろ、お陰様で・・・・・・あの有様でござる」
        風呂敷包みをぶら下げて、後から罠をのんびり迂回して歩いてきた老人は、遅れて剣心たちに追いついた。薫はそれにも気づかず、まだがみがみと説
        教を続けている。
        「本当にがつんとやっているでござるよ。何だか、申し訳ないでござるなぁ」
        「いやいや、構いませんよ。それより、御内儀はまだお若いのに叱り方が堂に入ってますな。あの様子だと、将来よい母親になりそうだ」
        「いやぁ、どうも、恐縮でござる」

        と、男ふたりが呑気な会話を交わしていると、からりと雪だるまの向こうに建つ家の戸が開いた。
        「どうしたの? 航吉、いったい何の騒ぎが・・・・・・」


        中から出てきたのは、家の前が妙に騒がしいのを訝しんだ航吉の母親、栞だった。
        栞は、何故か雪の上に正座をして薫に叱られている航吉を見て目を丸くし、そしてその向こうに立つ洋装の老人の姿に気づき―――更に、驚愕する。



        帽子の下にある老人の顔を、まじまじと見る。
        鋭い双眸に、口許に古い傷跡。それは確かに、栞のよく知る人のもの。

        しかし、その人はこんなふうに西洋の服を身につけるような人間ではなかった。
        それに、わざわざ自分を訪ねてくるような人のわけがない。

        あの人は、西洋嫌いで頑固で、わたしがお嫁に行くことにずっと反対していて、反対し続けて―――



        「・・・・・・お、父さん?」



        信じられない。
        信じられなかったけれど、今そこに立っているのは、自分の父親だった。
        もう長いこと会ってはいなかったけれど、見間違えるわけがなかった。
        航吉は、母親が呟くように発した言葉を聞き逃さなかった。うなだれていた顔をばっと上げて、栞以上の驚きで老人を見る。


        「十年ぶり・・・・・・いや、それ以上か。息災のようだな、栞」
        老人はゆっくりとした動作で帽子を取って、自分の娘と向き合った。
        「・・・・・・本当に、お父さんなんですか? だって、どうして、その格好・・・・・・」
        「商売を始めた、とは聞いていなかったか? 母さんから」
        「聞いては、いましたけれど・・・・・・でも」
        「まぁ、十年もあれば、いろいろと宗旨が変わってもおかしくあるまい」
        老人は栞のあまりの驚きように苦笑して、小さく首を横に振った。
        「幕府が無くなって時代が変わってから、色々と身の振り方を考えての。そうこうしているうちに、気がつくとあんなに嫌っていたバテレンの文化もなかな
        か合理的とわかってきてな。気がつくとこの有様というわけだ」

        ただただ驚くばかりだった栞は、父親のおどけたような口調にようやく表情を緩めた。
        まだ将軍様の時代だった頃に決別した父親が、ひとり東京までやって来た。その理由は、父の表情からすぐに悟ることができた。
        驚きにかわって、胸の奥から暖かな喜びの感情がこみ上げてくる。栞は、泣き笑いのような顔で父親に尋ねる。


        「・・・・・・お父さん。舶来の物の他にも、認めてくれたものがあるのでは?」
        「・・・・・・ああ、その通りだよ」
        老人は、風呂敷包みを雪の上に置いて、栞のほうに向かって一歩踏み出す。
        薫は既に説教を止めていた。剣心も、航吉も、他の子供たちも玄関先から顔を出している航吉の弟や妹たちも、一言も発せずに十数年ぶりの親子の対
        面を見守っている。

        「あの難しい時分に知らない土地で生きるのは大変だったろうに、お前は立派に、新しい家庭を築いたのだな」
        この国が大きく変わろうとしていた頃、自分の想いを貫き通すため、家を出た娘。
        あの時は怒り、嘆き、そして心配したが、その後無事を知ったときは心から安堵した。そして娘の逞しさと意志の強さを誇らしく思いさえした。


        そうだ―――本当は既にあの時、許していたのだ。


        「長いこと意地を張ってしまったが・・・・・・儂はもう、お前たちを夫婦を認めておる。今日は、それを伝えに来た」
        随分、遅くなってしまったがな、と老人は笑った。
        「そうですよ・・・・・・もう四人も孫が生まれてしまいました。でも」
        栞は、自分のお腹にそっと手を当て、父親に向かって笑って見せた。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。

        「五人目には、間に合いました。お父さん、この子に名前を、つけていただけますか?」
        老人は、すぐに返事をできなかった。
        口許を震わせ、そして慌てたように手のひらで顔を覆い―――溢れそうになった涙をどうにか堪えながら、答える。
        「儂でよければ・・・・・・是非」



        薫は、もらい泣きに滲んだ涙をこっそり指先で拭って、航吉の肩に、ぽんと手を置いた。
        「さ、もう充分反省したでしょ。航くんも行きなさいな」
        「え、でも、その、俺・・・・・・」
        呆然をしていた航吉は薫の言葉に我に返ったが、まだこの事態にちゃんと頭がついてきていないらしい。薫は混乱した様子の航吉の背を、栞と老人
        のほうへと軽く押し出した。ふたりは航吉の顔を見て、よく似た微笑みを浮かべた。
        「航吉か、賢くて勇敢な子に育ったようだな。無鉄砲なようだが、そこは母親譲りらしい」
        「ええと、母ちゃんの父さん、ってことは・・・・・・え?! 俺の、お祖父さん?!」

        ここ数日、自宅を窺っていた不審な人物。航吉が撃退しようと策を弄した相手は―――自分の祖父だった。航吉はそこでようやく、自分がいかに見当
        違いをしていたのか、何故薫があんなに怒ったのかを理解して、愕然とする。そんな航吉に老人は、「いやぁ、あの罠はなかなかよく考えておったな
        ぁ」と笑った。


        「お父さん、ここは寒いですから、どうぞ中へ・・・・・・さあ、航吉たちも」
        栞に促された老人は、頷いて玄関に向かおうとして、立ち止まって振り向いた。そして改まった顔で、剣心と薫の方を向く。薫は老人にむかって悪戯っ
        ぽく笑ってみせた。

        「ね? 言ったとおりだったでしょう。絶対に喜ぶって」
        「ええ、貴女の言うとおりでした・・・・・・ありがとう」
        照れくさそうに微笑んだ薫の方に、剣心が優しく手を置いた。
        「これからも、航吉の剣の師として、よろしく導いてやってください」
        老人はそう言って頭を下げた。そして彼を待つ娘と、初めて対面する孫たちの方へと向かい、白い地面を踏みしめ歩き出す。







        ★







        彼ら家族の背中が家の中に消えるのを見届けて、剣心と薫は大きく息をついた。


        「雪だるま事件は、これで無事解決でござるな」
        「そうね・・・・・・あとは、後片付けだけよね。それじゃあ」
        薫は、ぱん、とひとつ大きく手を打ち鳴らした。残された少年たちが、その音にびくりと肩を震わせる。



        「はい、あなたたちはここの道を元に戻しましょうね。それが終わったら、ここのご近所の皆さんに謝りに行くわよ、いいわね?」





        薫はにこやかな笑顔で言ったが、先程の剣幕を目にしている少年たちは誰ひとり異議を唱えることなく―――神妙な顔で頷いて、行動に移った。

    














       
 9 「あなたへの告白」に続く。