9 あなたへの告白











        「みんな、お疲れ様ー! 気をつけて帰るのよー!」



        航吉の友人たちは、元気よく「はーい」と答えて神谷道場の門を出た。
        彼らを見送った薫は、やれやれと呟きながら家の中へと戻る。

        「あら、剣心、もう後片付け終わっちゃったの?」
        居間の襖を開けると、そこには火鉢の炭をつつく剣心の姿があった。
        あの後、剣心と薫は「道の修復」と「ご近所への謝罪」を終えた子供たちを「よく頑張りました」とねぎらい、そして全員を道場に招いて剣心の作った汁粉
        を振舞った。叱られてしおれていた子供たちはそれですっかり元気を取り戻し、賑やかに騒ぎながら鍋を空っぽにし、ついでに道場を見学して―――
        今、帰路についたところだった。

        「ごめんなさいね、すっかり任せちゃって」
        「いやいや、このくらい何でも。それより、子供らが喜んでくれてよかったでござるな」
        「そうね・・・・・・みんな『いい事』だと思ってやってたんだし、これで帳尻があえばいいんだけれど」
        早とちりとはいえ、彼らに悪気はなかったのだ。そこをがっつり叱りつけた薫は、少しやりすぎたかしらと反省していた。しかし、その叱られた子供の中に
        はどういうわけか「門下生になりたい! 剣術面白そう!」と言い出した子もいたので―――結果として、対応は間違っていなかったのだろう。そう、結論
        づける。


        「はー・・・・・・それにしても、他人様の子供にあそこまでお灸を据えることはなかったかしらねー。つい、頭に血がのぼっちゃって」
        「でも、航吉の祖父殿は褒めていたでござるよ」
        「わたしを?」
        「ああ、叱り方が堂に入っていると。将来よい母親になれるとお墨付きをいただいたでござる」

        まるで自分が褒められたかのように、剣心は嬉しそうに笑った。その言葉に、薫はもの言いたげな表情をしたが―――何も言わず、剣心の隣に腰をおろ
        す。薫は少しの間俯いて、膝の上に乗せた自分の指先を見つめていたが、やがて、思い切ったように口を開いた。


        「ねぇ剣心」
        「ん?」
        「剣心は、子供、男の子と女の子、どっちが欲しい?」
        「そりゃ、両方でござるよ」
        直ぐにそう答えた剣心に、しかし薫は食い下がった。
        「でも、双子じゃない限り大抵はひとりずつでしょ。最初はどっちがいい?」
        「おろ、そうでござるなぁ」


        剣心は火箸を置いて真剣に考える。
        道場の跡取りのことを考えると、やはりまずは男の子だろうか。いやしかし、薫は女の身で立派に一門を継いでいる。そうなると、一姫二太郎ということ
        で女の子のほうがよいのだろうか・・・・・・

        あれこれ悩んだ末に、剣心は結局「決められないでござるなぁ。と、いうかどちらでも構わないでござるよ」と、答えた。
        「男でも女でも、どちらでも嬉しいしどちらでも大切に育てるでござるよ。丈夫に生まれてくれれば、それでいいでござる」
        剣心の答えをじっと待っていた薫は、その言葉に嬉しそうに微笑んだ。


        「そうね、わたしもそう思う」
        「うん」
        「夏になればどちらかわかるから、楽しみにしていてね」
        「・・・・・・え?」



        呟いた形のまま、剣心の唇が驚きに固まる。
        隣に座る薫の顔をまじまじと見つめて、その視線を彼女のお腹のあたりに落とした。
        
        弥彦は何と言っていた?
        そうだ、昨日薫は調子が悪そうだったと。

        先程、転ぶことに過剰に反応した薫。
        今日は何故か出稽古を休んでいた。
        休んで、薫が行った場所は―――



        「そんなにじーっと見ても、まだわからないわよ」
        薫は剣心の視線を感じて、照れくさそうに自分のお腹を撫でた。
        そして、はにかみながら、剣心の目を見つめる。

        「今日、お産の先生のところに行ってきたの。そうしたら、間違いありません、って」
        「・・・・・・あの、薫。それは、つまり」
        「生まれるのは、八月ですって」



        剣心の顔が、みるみるうちに紅潮する。
        唇が震え、そこから―――声にならない声がこぼれる。

        「・・・・・・!」
        がば、と。
        剣心は薫を抱きしめた。


        「・・・・・・っ」
        「・・・・・・けん、しん?」
        「った・・・・・・」
        「あの、剣心」
        「・・・・・・った、ははは、やっ・・・・・・たぁ!」


        言葉に、ならなかった。
        こみあげた歓喜の想いは、言葉よりももっと素のままの声―――叫びになって飛び出した。
        
        「ははは、そうか、子供が・・・・・・すごい、凄いでござる、ありがとう薫殿!」
        こんなに直截的に、感情を声に行動に表す剣心は初めてだった。薫はぎゅうぎゅうと腕に抱かれながら、予想外の反応に驚いて目を丸くする。


        「男の子か女の子か、どちらでござるかな。どんな名前がいいか・・・・・・良い名を考えなくてはいけないでござるな・・・・・・」
        喜びが、あとからあとから湧いてくるのが止まらない。それを素直に声に出して紡ぐ剣心に、薫の頬に笑みが浮かぶ。
        きっと喜んでくれると思っていた。が、こんなふうに、それこそ子供のように喜ぶとは思わなかった。だから―――薫は余計に嬉しくなった。

        「あはは、もー剣心ってば気が早い! 生まれるのはまだ何ヶ月も先なのにー!」
        「いやいや、そんなのきっとあっという間でござるよ」
        「そりゃそうかもしれないけど、それにしても早すぎ!」
        剣心の反論にはしゃいだ声で笑って答えると、ぐいっと身体を持ち上げられるようにして、唇を重ねられた。

        長く、熱っぽい口づけ。
        幸福感と、甘い眩暈に酔ってしまいそうで、薫は必死に剣心にすがりついた。


        「・・・・・・ありがとう」
        唇の上でそう囁かれて、薫はそっと瞼を開けて僅かに彼から離れる。睫毛が触れそうな距離で、剣心の顔を見て―――目をみはった。
        「泣いて、いるの?」
        剣心は、笑顔だった。嬉しそうに笑っていたが、その瞳は濡れていて―――
        「・・・・・・泣いていないでござるよ」


        もう一度引き寄せられ、頭を肩口に押しつけられ、視界を閉ざされる。
        顔は見えない。けれど、小さく震えているのが伝わってくる。

        薫は、そろそろと手を伸ばして、剣心の背をきゅっと抱いた。優しい腕の感触に、剣心は震えを落ち着けるようにゆっくり大きく息を吐く。
        「ありがとう・・・・・・」
        絞り出すような声に胸を突かれ、薫も泣きそうになる。けれど、必死に涙をこらえながら、明るい声で答えた。
        「剣心こそ、どうもありがとう」
        「薫・・・・・・?」
        「わたしが、母親になれるのは、剣心のおかげだもの。だから、ありがとう」


        剣心は、顔を上げないまま、ぶんぶんと首を横に振る。
        礼なんて、それは、こっちの台詞だ。
        自分が生きているだけで、それだけで罪深いと思っていた。
        新しい時代のためと言いつつ、結局、自分がその為に出来るのは命を奪うことだけなのか、と。

        けれど、薫のなかに宿った小さな生命は、確かに彼女と自分が紡いだもの。
        奪ったのではなく、与えた。新しく、生まれる命。



        それは君が、どんなに悲しい思いをしても何度涙を流しても、俺の手を離さないでいてくれたから―――



        「・・・・・・ありがとう・・・・・・」



        それ以外は、言葉にならない。
        薫は、剣心が何度も何度も繰り返す礼の意味について、尋ねはしなかったが、なんとなく感じとってはいた。
        だから、何も言わず、ただ剣心に身を任せて瞳を閉じる。

        やがて、ぼんやりと脳裏に栞の顔が浮かんだ。
        今日はそれどころじゃなくなっちゃったけど、今度お産のあれこれについて相談にのってもらおう。なにしろ彼女は四人も産んだ大先輩だ。次に産まれる
        赤ちゃんには、自分たちの子供の友達にもなって欲しいし―――


        そんなことを考えながら、薫は剣心の背中を優しく撫でた。
        「あらあら、困りましたねぇ。お父さんは、随分と泣き虫ですねー」
        「だから、泣いていないでござる」
        「はいはい」









        ★









        その晩、無事に航海を終え久しぶりに自宅に帰ってきた航吉の父親は、戸口の前に立ち随分と賑やかな気配に首を傾げた。
        そして戸を開けて、出迎えた妻と子供たちの後ろに栞の父親が立っているのを認めて、仰天した。
        航吉の父は、驚きのあまり言葉を失い何度かぱくぱくと口を開閉させ―――ようやく言えたのが「あ、あけましておめでとうございます」だった。

        明るい笑い声がはじけ、和やかな夕餉が始まる。
        「来年は母さんも連れてこよう」という父の言葉に、栞は笑顔で頷いた。


        凍てついた空は澄んで晴れ渡り、冬の星座が瞬きながら家々を見下ろす。
        下界を覆う雪に煌々と月の光は降り注ぎ、夜を白く照らしている。



        夜が静かに更けてゆくなか、灯りがともされたそれぞれの屋根の下、人々は家族がともにいられることの幸福感を、改めてかみしめる。









        暖かな雪が街を抱いた、明治十三年、初春。

















        「初春雪だるま事件」 了。





                                                                                         2013.01.05







        モドル。