「はい、これで大丈夫ですね」
落として散らばってしまった玩具を、洋装の老人と一緒に拾い集めた薫は、色とりどりの玩具たちを二つに分け、それぞれを彼の持っていた風呂敷でき
っちり包み直した。
「いや、重ね重ねありがとうお嬢さん。助かりましたよ」
老人はひょいと両手に風呂敷包みを持った。その姿を見て薫は小首を傾げる。
玩具が詰まった風呂敷包みは、それほど重いというわけではない。ただ、形の違う物をまとめた包みはかさばるし、小柄な老人が両手に持つとバランス
が悪く、どうも危なっかしく見える。
「あの、ひとつ持ちましょうか?」
「ああいやいや、そこまでしていただくのは申し訳ない。だいたい貴女のようなか弱い女性に重い荷物を持たせるなど」
か弱い、と面と向かって言われたのは初めてではないだろうか。あまりにも自分には似つかわしくない言葉だ、と思って、薫はつい笑ってしまった。
「か弱くなんかないですよ。これでもわたし、剣術道場の師範代なんですから」
ほう、と目をみはった老人の手から、薫は風呂敷をひとつ取った。
「そこらの女性よりは鍛えているつもりですから、大丈夫ですよ。それに、わたしもこちらの方向に用があるので、同じ道なんです」
薫の人懐っこい笑みに、老人の目元が和らいだ。
そして、「では、図々しくもお願いするとしましょう」と、軽く頭を下げた。
「この玩具は、お孫さんにですか?」
並んで歩きながら、薫は老人に尋ねた。拾い集めた玩具はどれも新品で、男の子と女の子、両方に向けた内容だった。
「ええ、男と女、ふたりずつおりましてな。何を買ったらよいのかわからなくて、ずいぶん悩みましたよ」
「そうなんですか、絶対喜びますよ」
迷いのない薫の声に、老人は「だと、いいのですが」と、重く息をつきながら言った。
「実を言いますと、孫たちに会うのは初めてなんですよ」
「初めて?」
ふと、老人の表情に影が差す。そのまま孫たちの話をするのかと思ったが、暗い表情のまま老人は口をつぐんでしまった。
何か事情があるのかな、と薫は想像する。
「・・・・・・おじいさんは、西の方ですか?」
「おや、わかりますか?」
「わっ、当たった! 言葉がちょっと違う感じがしたから、ひょっとしたらと思って」
老人は淀みない標準語を喋っているが、ほんの僅かに言葉の高低が自分のそれと違うのを、薫は聞き逃さなかった。
なぞなぞを言い当てた子供のように弾んだ声で笑う薫に、老人もつられて口許を緩めた。
「おっしゃるとおり、儂は大阪から来ました。こちらには娘夫婦が暮らしていて・・・・・・もう十年以上、会っていないんですよ」
薫の邪気のない笑顔が誘い水となったのか、老人はするすると話し始めた。
「儂には娘がいるのですが、まだ明治になる前に船乗りと恋仲になりましてな。夫婦になりたいと言い出すものだから、猛反対しました・・・・・・儂は、武
士の出なのですよ」
侍の娘が船乗りの嫁になるなど、どんな世迷言を―――と老人は娘の願いをはねつけた。しかし、なんとしてでも添い遂げたいと思ったふたりは、幕末
の動乱に乗じるようにして、駆け落ちをしてしまったのだ。
「何しろ、国全体が混乱して、この先がどういう世の中になるのか全く予想できなかった頃です。そんな時に家を出たものですから、しばらくは行方の見
当もつかず、生きているのか死んでいるのかもわかりませんでしたからな・・・・・・もう、二度と娘には会えぬものだと思っていました」
「でも、娘さんは東京にいたんですね」
老人は頷いた。薫と並んでゆっくり歩きながら、話を続ける。
「その、船乗りが明治になってから訪ねてきましてな。東京で、ふたり元気に暮らしていると伝えにきたのですよ」
老人は、娘の無事と、消息がわかったことをたいそう喜んだ。
しかし、「改めて、自分たちが夫婦になることを許して欲しい」という船乗りの願いには、首を縦には振らなかった。
「それは・・・・・・どうして?」
「まぁ、意地をはってしまったのですよ。儂の反対を振り切って出て行った娘だ、儂が認めなくても、東京でふたり仲良く暮らしているならそのまま勝手に
やればよいではないか、と」
老人は、自嘲するかのように、苦い笑みを浮かべた。
船乗りは肩を落として帰路についたが、仕事柄、物資の運搬で頻繁に上方に向かう身である。彼は大阪に来る度、妻の実家を訪ねてきた。
老人はそれきり、娘の駆け落ち相手に会おうとはしなかったが―――老人の妻は別だった。
「妻は儂と違って、その船乗りの味方になりましてな。彼が訪ねてくる度、娘は今息災なのか、暮らし向きはどうなのかなど、逐一聞きだしていました」
船乗りの口から語られる娘は、幸せそうだった。
長男が生まれました。次は女の子でした―――と、孫が生まれた報告を聞く度、老人は自分の「意地」が揺らぐのを感じた。
「実を言うと、儂は明治になってから商売をはじめまして、まぁ食うためにだったのですが。そうしたらこれが意外と性にあっていたらしく、お陰様で順調に
やってこられたのですよ」
と、なると、物資を運搬する船乗り達は、大事な仕事仲間である。老人はいつしか侍だった頃の自分の偏見を改めていた。そして、勤勉で実直なあの船
乗りの青年は、娘に最も相応しい男性であろうと、そう考えるようになっていた。
「うちには息子もおりまして、そろそろ仕事も任せられるようになりました。妻からもずっと意地を張り続けるなんて馬鹿馬鹿しいではないかと諭さ
れ・・・・・・一念発起して、東京まで出てきたわけですが」
思い切って、娘たちの住む街に来たものの、いざとなると戸を叩く勇気が出ない。
何度許しを請われても、頑として受けつけなかった父親である。
それを今更こちらから訪ねていったところで―――はたして、娘はどんな反応をするか。
「意気地のない話でお恥ずかしいのですが・・・・・・ここまできて、娘に会う勇気がないのですよ。東京に着いてからもう数日、どうしたものかとぐずぐずし
ているわけで・・・・・・」
「そんなの、喜ぶに決まっているじゃないですか!」
薫は、つい大きな声を上げた。
「そりゃ、ずっと会っていなかったんだから、訪ねていったら驚かれるかもしれません。でも、絶対嬉しいに決まってますよ!」
さっき知り合ったばかりのまったくの他人だというのに、まるで自分のことのように真剣に喋る薫に、老人は目を細めた。
「だと、いいのですが・・・・・・もう娘は立派な大人だ。沢山子供を産んで育てて・・・・・・こっそり様子を窺ってみたのですが、本当に幸せそうでした」
ちょうど、船乗りは仕事で家を空けていたが、兄弟たちは仲が良く、娘のお腹には次の子が宿っているようだった。一番上の子は、そんな自分の母親を
常に気遣っていた。偶然道端で顔をあわせたが、意思の強そうな瞳が印象的な子供で、剣術道場に通っているようで―――
「儂が認めるまでもなく、娘はもう充分素晴らしい家庭を築いている。儂の助力など必要ないでしょうし、それなら・・・・・・」
再び、言葉が途切れた。さく、さく、と。ふたりの足元から雪を踏む音だけが響く。
薫は、おせっかいなのは承知の上だ、と思って、口を開いた。
「わたしの父は、先の戦争で亡くなりました」
老人は、はっとしたように薫の横顔を見た。
「母は、それより早くに亡くなっています。両親がいなくなってから、わたしは独りで父の道場を継いだんです」
「それは・・・・・・大変だったでしょうな。あなたの年齢で、しかも女性の身で・・・・・・」
気遣わしげな声音に、薫は首を横に振った。
「確かに、最初は心細かったです。でも、まわりの人たちが応援してくれたし、今は、良人がいてくれますから」
好きな人ができて、その人も同じ想いでいてくれた。そして、一緒になることができた。
花嫁衣装を着て剣心の隣に座ったときは、こんな奇跡のようなことが本当に起きるんだろうかと、信じられないくらい嬉しかった。
「今はもう独りじゃないし、とても幸せなんです。でも・・・・・・それを両親に見てもらうことは、できないんです」
両親に、剣心に会ってほしかったし、花嫁姿も見てほしかった。
でも、それは叶わぬ夢だ。
「それだけが、残念だって思うんです・・・・・・でも」
老人の背中を押すような、迷いのない声で、薫は続けた。
「生きているなら会うこともできるし、気持ちを伝えることも、できるでしょう?」
老人はまじまじと薫の目を見つめ―――やがて大きく息をついた。そして、先程までとは違う、決意のような色を目に宿し、頷く。
「ありがとう、お嬢さん。貴女のおっしゃるとおりだ」
目深にかぶった帽子を片手で直し、老人は前を見据えた。
「手助けしてもらっただけではなく、道案内までしていただいたようですな。感謝します・・・・・・本当に」
老人は、娘の家がある場所は既に知っている。彼の言う「道案内」とは地理的なそれではなく、心の迷いを晴らして、行くべき方向へと後押しをしたこと
を指していた。薫はその意味を理解して「いやそんな別にー」と照れくさそうに笑う。
「・・・・・・それに、わたし多分、おじいさんの娘さんもその家族のことも、知っています」
そう、話を聞いているうちにぴんときた。
西国から、妻となるひとを伴って帰った船乗り。
沢山の子供に恵まれて、長男は剣術をやっていて―――
間違いない。老人の娘は栞で、その子供は神谷道場の門下生、航吉だ。
「だから、ほんとうに大丈夫。わたしが、保証します」
★
さて、航吉である。
わざわざ弥彦に言伝を頼んだのは、勿論、これから自分がやろうとしていることを剣心が知ったら、反対されるに決まっているからだ。
いや、やろうとしているのではなく、既に準備は整えてある。
―――ごめんさない、薫先生、剣心さん。
航吉は、心の中でふたりに詫びた。
―――でも、非常事態なんです。母ちゃんは俺が守らなきゃいけないんです、父ちゃんに任されたんです。
自分は、人を傷つけようとしているのではない。
薫から教わった「剣」を振るおうとしているわけではない。
ただ、自分が使えるものを使って、できることをして、悪者を追いはらおうとしているだけ。
―――だから、許してください。
航吉は、昂然と顔をあげた。
彼の前には、このたび協力をかって出てくれた同志たち―――航吉の友人たちがいた。
「みんな・・・・・・今日は朝早くから準備を手伝ってくれて、ありがとう」
航吉が礼を言うと、友人のひとりが「手伝うのは準備だけじゃないぜー」と答えた。周りからもそうだそうだと同調する声があがる。
緊張した面持ちだった航吉は友人たちの反応に、少し笑顔になり―――すぐにまた、表情を引き締める。
「母ちゃんをねらっている奴は、毎日この界隈に現れている。今日もきっと、やってくるはずだ。でも・・・・・・それも今日が最後だ」
航吉は足元から雪を一掴みすくい取り、小さな雪玉を作り、皆の前にかざしてみせた。
「この文明開化の世に、暴力でものごとを解決するのは時代おくれだし、俺が教わっている剣術の流儀にも反している。だから俺は・・・・・・これで、奴と
戦ってみせる!」
航吉の力強い声に感じいったように、幾人かが手を叩く。そして「俺はじゃねーだろ! 『俺たち』だろー!」と、心強い叫びも返ってきた。
「みんな・・・・・・ありがとう! 本当にありがとう!」
声を詰まらせる航吉の肩に、友人たちは「わかっているさ」と言うように手を置く。
「みんながいれば何もおそれることはない! 勝つのは・・・・・・俺たちだー!」
雪玉を握った手を高く天にむかって突き上げて、航吉は高らかに宣言した。少年たちが皆で「おおー!」と鬨の声をあげる。
「・・・・・・ばかに賑やかだなぁ」
「いったい何が始まるんでしょうねぇ」
通りを占拠して異様に盛り上がっている子供達を玄関先や窓の隙間から眺めながら、近所の大人たちは不思議そうに首を傾げた。
7 「氷の要害」に続く。