「御息女と、夫婦になることを・・・・・・どうか、お許しいただきたい」
・・・・・・言えた。
それが、本題だった。
薫にとっては、今日の墓参は単純に両親への新年の挨拶だったが、剣心にとってはこちらが大事な目的だった。
薫と夫婦になることを、彼女の両親の墓前で報告することが。
「報告しよう」と決めたのは他ならぬ自分自身だったが、しかしいざ墓の前でひとりきりになると流暢に言葉を紡ぎ出せない。いつもはすらすらと
流れ出る口八丁は完全になりをひそめてしまい、剣心は緊張で固まりそうになる舌を叱咤しつつ、なんとかかんとか喋るのを続けた。
「実は、もう祝言は来月にと決まって・・・・・・ええと、決めていて」
そう、この寒さが、やわらいだ頃に。
次の季節の足音が近づく頃に。
「ちょうど一年前、拙者と薫殿が初めて会った頃がいいと。そう、決めたでござる」
あの夜のことは、はっきりと覚えている。
夜気を割って響いた、はっきりと大きな声。
気の強そうな瞳と、怒ったような表情で。
ずいぶんと、無茶をする娘だと思った。
危なっかしくて、心配になった。
しかし気がつくと、それからずっと心配されていたのは、自分のほうだった。
「この十余年、様々な地で沢山の人に出会ってきたが、ひとつのところに留まったのは、御息女のもとが、はじめてでござった」
流浪人として各地を転々としてゆくなかで、繰り返してきたいくつもの出会い。
薫もそのうちのただの一人で終わるはずだった。けれど、終わらなかった。
終わらせたくないと、思ってしまったのだ。
「拙者は、大義の為といいながら、沢山の人を傷つけて、大切なものを奪ってきた。だからこの腕と命で償えるだけ償って、あとはいつ死んでもい
いと、そう、思っていた」
上手く動かなかった口が、だんだんと滑らかになってきた。薫と出会ったときの事。そこから始まった自分の変化を思い返すうちに、どんどん言葉
が溢れ出してくる。
「しかし拙者は、薫殿に出会って、薫殿を好きになった。自分の心が再びこのように動くことがあるなど・・・・・・誰かを愛することができるなど、思っ
てもいなかったでござるよ」
薫の笑顔が胸に浮かんで、剣心の口元がかすかにほころぶ。
笑顔と泣き顔と怒った顔と、無造作に唇からこぼれる、優しい言葉と。そのすべてが愛しくて、彼女を想うだけで心に灯りがともったようになる。
人の死に慣れすぎて、罪悪感にがんじがらめにされて、後悔に凍りついた心を融かしてくれたのは、薫の明るさと優しさだった。
「薫殿が、拙者の帰る場所になってくれたから、待っていてくれるひとのところへ、帰りたいと思うようになったから・・・・・・生きたい、と思った」
思い出す、昨年の夏のこと。
あれは志々雄と対峙したとき。闘って傷を負って血を流して、死を感じた。
その瞬間、自分を呼び戻してくれた、彼女の声と微笑み。
まだ死ねないと思った。
あの笑顔のために、まだ死ぬわけにはいかない、と。
「これからは彼女とともに、生きていきたい。拙者に新しい命を与えてくれたのは、薫殿でござる」
目の前にいない両親にむかって、剣心はまっすぐに語りかける。
本当なら、会って話をしたかった。薫を慈しみ育ててくれた彼女の大切な家族と。
伝えたい相手は既にこの世にはいないけれど、それでも、どうしても聞いてほしかったのだ。自分の決意と、そして感謝の気持ちを。
「これまで薫殿には何度も辛い思いをさせてしまって・・・・・・泣かせて、しまった。だけどこれからは、一生かけて、御息女は拙者が守る」
しんと冷たい冬の朝の大気を、熱をもった剣心の言葉が震わせる。
しどろもどろだった口調は、いつか迷いなく明澄になっていた。
「薫殿も、ありがたいことに拙者の妻になることに否やはないと言ってくれたでござる、だから、どうか・・・・・・」
答える者は、いない筈だった。
しかし、まるで剣心の訴えに呼応するように、ことん、と。
背中に、柔らかく何かがぶつかってきた。
すっかり冷え切った背中に、暖かい何かが。
「・・・・・・え?」
と、思った途端、うしろから首に回された細い腕。ぎゅうっと抱きついてくる、よく知った感触と香り。
「って・・・・・・か、かおるどのっ?!」
思わず声がひっくり返る。薫は無言でぐりぐりと頬を剣心の髪にこすりつけた。
「え、ちょ、待って、なんで薫殿がここに」
慌てて立ち上がると、後ろからしがみついたままの薫の身体も、ぐいんと一緒に持ち上がる。彼女の顔をのぞきこもうとして首をありったけ後ろに
まわすと、薫は押しつけていた顔をぱっと上げた。
その頬は真っ赤に染まり、潤んだ双眸が剣心を見つめる。
「ありがとう」
「え」
「父さんも母さんも、絶対喜んでると思う」
かくん、と剣心の顎が下がり、みるみるうちに頭に血がのぼる。
「薫殿、今の、聞いて・・・・・・」
「ごめん、気になっちゃって途中で引き返して、ばちあたりだと思ったんだけど余所のお墓の陰に隠れて」
「・・・・・・いつから?」
「えっと、『夫婦になるのを許してください』から」
殆ど最初からだ。
恥ずかしさに気が遠くなってよろめいた剣心を、抱きついたままの薫が支える。
「ごめんなさいっ!剣心の事だからわたしがいるの気づいてるんだろうなーって思って・・・・・・それに、その、内容が内容だったから、口を挟みづら
くて、その」
剣心は倒れそうになるのをなんとか踏みとどまって、謝る薫を制した。
「い、いや、無理もないでござるよ・・・・・・何の用かも言わずこそこそしていた拙者も悪かった」
平素なら、誰かに近くから様子を窺われていたならすぐに気づく剣心も、今回ばかりはそれどころではなかった。とにかく、墓前で何を言ったもの
か、考えを整理するのにいっぱいいっぱいだったのだから。だがしかし、薫は剣心の台詞の後半のほうに反応して、きっと眉をあげた。
「・・・・・・そうよ、こんなだいじな報告をするんだったら、わたしも同席させてよね!」
同席されていたら更に恥ずかしくて、それこそ何も喋れなかったのではないだろうか。剣心がそう思っていると、薫は首にまわしていた腕をするり
と解き、両親の墓に向き直った。
「と、いうわけで父さん母さん。わたし、この人と夫婦になります!」
先程までの剣心に倣うように、薫も墓の前で膝をつく。そしてはきはきとした声で喋りだした。
「父さんも母さんも、わたしみたいなはねっかえりを貰ってくれる人なんているんだろうかって、気をもんでいたわよね。でも、ちゃんといたのよ、こ
んな物好きなひとが」
拙者は別に物好きなわけでは、云々と呟く剣心に、薫はくすりと笑みを零す。背筋を伸ばして、更に続けた。
「剣心ね、とっても剣の腕がたつの。父さんが生きていたら立ち合いたがったと思うわ。政府のひとにも一目置かれていてね、ご一新のときには
この国のため、必死で戦ったの」
迷いのない声音で、薫は真剣に語る。
話が自分の過去のことに至って、剣心は少し困ったように眉を曇らせた。
「でも、沢山のひとを救けて未来を信じて戦ったのに、今までずーっと、他人を傷つけたことに苦しんできたの。剣心、とっても優しくて生真面目だ
から・・・・・・自分だって、沢山傷ついてきたのにね」
傍らに立つ剣心は、その言葉に胸をつかれて、ゆっくりと長く息を吐いた。
そう、薫は常にそうだ。
自分の過去をすべて知っていながら、それを全部包み込んで、微笑んでくれる。彼女といると、赦されたような気持ちになって、目の前が明るく開
けてゆくように感じる。
「それでね、凄いのよ。わたし、剣心がそばにいてくれるだけで、それだけで幸せな気持ちになれるの。剣心のことを考えるだけで、胸の奥があっ
たかくなって、嬉しくてたまらないの。そんな人に初めて出会えたのよ、これって・・・・・・凄いことよね」
ふいに、薫の語尾が揺れたのに、剣心は気づいた。
「その人が・・・・・・わたしをお嫁さんにって、言ってくれたの。ずっと、一緒に、いようって・・・・・・」
剣心はそっと薫に近づき、背後からその両肩に、手を置いた。
細い肩は、微かに震えていた。
「父さんも母さんも、わたしがひとりぼっちになっちゃったって、心配していたと、思う・・・・・・でも、もう大丈夫。これからは、剣心と、一緒だから」
言葉が途切れがちになるのは、溢れてきた涙が邪魔をするからだ。
ぎゅ、と剣心が肩を掴む手に力を込めると、薫はその手に自分のそれを重ねた。
そして剣心を見上げるように振り向いて、笑った。
頬を伝う涙は拭わないままの、それはとても綺麗な笑顔だった。
「剣心と、大好きなひとと夫婦になれるんだから、もう・・・・・・心配しないでね」
剣心は重なった手をそっとずらして、するりと背中を撫でた。そのまま抱きかかえるようにして薫を立たせる。
「駄目でござるよ、薫殿」
「え、何が?」
「ずっと守ると約束したばかりなのに、もう泣かせてしまった」
「あら」
薫はくすっと笑って目尻を拭う。
「これは泣かされたわけじゃないわよ。ってゆーか、泣くほど嬉しかったんだからね」
「・・・・・・そうか」
つられて微笑んだ剣心は、薫の頬を両手で挟みこんだ。やわらかくて、ひんやり冷たい。
「おろ、すっかり冷えてしまったでござるなぁ」
「ん、剣心の手も冷たいわよ。そろそろ、帰りましょうか」
剣心は頷いて手を離した。そして、墓に背を向けると思いきや、もう一度相対した。
「では帰る前に、もう一言伝えておかねばな」
何をだろう、と薫が首を傾げる前で、剣心は両親の墓石にむかって、深々と一礼した。
「父上殿、母上殿・・・・・・薫殿を、ありがとうございます」
もういない父親と母親へ、ありったけの敬意をこめて。
しっかりと力強く、感謝の言葉を口にした。
「薫殿を、この世に産んでくださって、こんなに明るくて優しくて、まっすぐな女性に育んでくださって・・・・・・ほんとうに、ありがとうございます」
そう、どうしても両親に、その礼を言いたかったのだ。
ゆっくりと頭を上げて振り向くと、またもや薫が泣きそうな顔になっていた。
「・・・・・・帰ろうか」
まだ少し照れながら、微笑みかける。
手を伸ばして、彼女の小さな手のひらを自分のそれで包むと、しっかりと握り返された。
泣き顔を笑顔にかえて、薫が「はい」と返事した。
(3 へ続く)