ぎゅっと、して。











        どきどきどき、と。
        早鐘を打つ心臓の音がうるさい。



        これだけぴったりくっつきあっていると、剣心にも聞こえてしまうんじゃないかしら―――
        そんなことを心配していると、お腹のあたりでもぞもぞと、何かがうごめく、くすぐったい気配がした。


        ―――あ、やだ、これって。


        「ちょ・・・・・・こらこらこら! 剣心!」
        慌てて重ねていた唇を離し視線を落とすと、案の定、剣心が治療中の右手を三角巾から抜こうと試みていた。
        「もー、何やってるの! 動かしちゃ駄目じゃない!」
        「平気でござるよ、もう殆ど痛くないし」
        「殆どってことはちょっとは痛いってことでしょ? あと数日で取れるって言われたんだから、ちゃんと診断は守らなきゃ!」

        まだ、数えるくらいしか交わしたことのない口づけの余韻に頬が熱い。きっと今わたしの顔は、見事に真っ赤になっているのだろう。
        それでもなんとか眉のあたりに力をこめて、剣心を睨んで諌める。迫力に欠けているのは、承知の上で。

        「ほんとに大丈夫なのに」
        むくれた声で彼が呟く。
        そんな子供のような反応を返す剣心は新鮮で、しかめた顔がつい、緩んでしまう。
        無茶をするのは困りものだけど、こんな甘えた態度をとってくれるのはこれまで滅多になかったことだから、正直に言って、それはかなり嬉しい。


        「もう二、三日が我慢できないの?」
        「いや、どうにも・・・・・・もどかしくて」
        「利き腕が使えないのは大変でしょうけれど・・・・・後少しの辛抱だから、頑張りましょ? ね?」
        緩んでしまった三角巾を直して、怪我をしている腕とは逆の左肩をぽんぽんと軽く。すると剣心は少し頭を手前に傾けて、そのままふるふると首を横に
        振った。

        「不便なのはもう慣れたでござるよ、こういう怪我をするのははじめてではないし」
        じゃあ、いったい何がもどかしいのだろうか、と。
        そんなもの問いげなわたしの視線を察したのか、剣心は更に首を前に倒した。こつん、と、額と額が軽くぶつかる。


        「・・・・・・早く両腕で、ちゃんと、ぎゅっとしたいんでござるよ」


        え? と思う間もなく再び抱き寄せられた。
        左手一本で、ぎゅうっと。


        ―――だから、まだ、こんなふうにされるのは慣れていない、のに・・・・・・


        「あの、剣心? これって、じゅうぶんぎゅーっとしていると思うんだけど・・・・・・」
        首筋をかすめる息が熱い。
        こっちはどぎまぎしながらなんとか声を絞り出しているというのに、彼は聞き分けのない子供のように首をふり「全然足りない」と駄々をこねる。

        ・・・・・・やだ、可愛い。
        うん、可愛いのはいいんだけれど、でも。


        「わ、わかったから、とりあえず離して・・・・・・」
        左手のみでも、彼の力は充分強い。なんとかその腕から逃れて、息を整える。
        「えっと・・・・・・剣心、ちょっと目を閉じて」
        「・・・・・・どうして?」
        「いいから、どうしても!」

        びし、と強く言い放つと、剣心は訝しみながらも目を閉じた。
        見えていないのを確認して、小さく、咳払いをして。
        せーの、と心の中でかけ声をして、えいっと腕をのばす。



        「かお、る・・・・・・?」


        目を閉じていても、何が起きたのかはすぐにわかっただろう。
        あるいは、もう開けてしまったかもしれないけれど、この姿勢では彼の顔は、わたしからは見えない。
        腕をのばして首に抱きついている、この格好では。


        「ぎゅっと、って・・・・・・このくらいで、いい?」
        「え?」
        「だから、剣心のかわりにわたしが、ぎゅっとしてあげるから・・・・・・ちゃんと治るまで、我慢して」

        ふたりで行った京都でも、わたしのほうからこんなふうにしたことがあったけど―――あの朝よりも力をこめて、しっかりと彼のことを抱きしめる。
        しかしながら。こういうことを「される」のは勿論だけど、自分から「する」のは、更に全然慣れていないわけで。
        そんなわけで当然、おさまりかけていた鼓動がさっき以上に速さを増してきて―――あああ、この音、今度こそ剣心に伝わっちゃうんじゃないかしら。


        くすり、と。
        彼が笑いをもらす気配を感じた。


        「・・・・・・何よ、わたし、そんなに変なこと言った?」
        抱きついたまま、おそらく真っ赤な顔のまま精一杯強がった声を出すと、剣心は小さく首を動かして、左腕でふわりとわたしの背を抱いた。
        それは、とても優しい触れ方。

        「いや、そうではなくて、嬉しいんでござるよ・・・・・・ありがとう」
        「・・・・・・どう、いたしまして」
        これも、ちょっと変な返答かもしれない。
        けれど、他にどう答えたらいいのかわからなかったから、仕方がない。


        「もっと、ぎゅっとしていいでござるよ」
        「苦しくない? 傷、痛くないの?」
        「全然。むしろ気持ちいいでござる」
        「ばか」
        くすくす笑いとともに剣心の顔が動いて、猫が甘えるようにすりよせられる。彼の髪が、柔らかく頬をくすぐる感触が心地よい。

        「あと数日、我慢できそう?」
        「うん、あと数日、こうしてくれるなら」
        「・・・・・・えーと、一日一回、ってこと?」

        またしても、我ながら間の抜けたことを言ってしまったものだから、剣心は可笑しそうにまた笑う。
        ・・・・・・いいんだけれどね、それで我慢してくれるんだったら。
        それは、いいんだけれど、でも。



        先程片腕で抱きすくめられたときの、あの熱っぽい感覚。
        あれを思うと少しばかり心配になる。

        今からこんなだったら、怪我が治ったらこのひとはどうなっちゃうんだろう?
        そうよ、治ったら、えーと、その・・・・・・「襲ってもいいよ」って、許可もしちゃったわけだし。



        そんなことが気になったけれど―――今こうして、背中を撫でてくれている剣心の手は、とてもとても優しい。
        だから、とりあえず今は、この甘い感覚に身をゆだねることにしよう。






        そう決めたわたしは、剣心の首に腕を絡めたまま、そっと目を閉じた。












        了。






                                                                                          2013.04.30






        モドル。