「母さんの、お守り?」
それは親父が久々に、警察からの依頼で出かけた朝のこと。
先程しおらしい顔で親父を見送っていた妹は、今は何故かうってかわって、大きな目を楽しげに輝かせている。
「うん、剣路お兄ちゃんも見たことあるでしょ?さっきもお母さんがお父さんに、わたしていたの」
「・・・・・・あー、あれか」
確かに見たことがある。
親父が仕事で何日か家を空けるとき、母さんは決まって出掛けに、親父に御守り袋を渡していた。
手のひらに握りこめば隠れてしまうくらいの小さなそれは、神社で売られているお守りではなく、母さんの手作りだった。俺も弟も妹も、母さんが端切れを
使って器用にそれを縫い合わせているところを目にしたことがある。
「あれって、中になにが入っているんだとおもう?」
妹がぶつけていた疑問に、俺はとりあえず常識的な答え方をしてみる。
「お守りの中身っていったら、普通、御札じゃねーの?」
「神社で売っているのはそうだろうけど・・・・・・でも兄さん、あれって手作りだよ」
ひょっこり顔を出した弟も、話に加わった。
「袋が手作りってことは、きっと中身も母さんの手作りの何かじゃないかな」
「ね、なにが入っているのか、気にならない?」
やけにきらきらした目で、妹が訊いてくる。
これはつまり「気にならない?」というより、「調べてみない?」と。
要するに、そう言っている目だった。
「じゃあみんな、お留守番お願いねー」
いってきます、と出稽古に出かける母さんを三人で見送ってから、俺たちは今が好機と親父と母さんの部屋に忍びこんだ。
「そこのひきだしの、いちばん上らしいの」
妹の背丈では届かない、箪笥の一番上の段のひとつを引き抜き、俺は弟と妹の前に置いた。
「まえに、お父さんが帰ってきたときにね、ここにお守りをしまっているのを見たの・・・・・・きっと、この箱の中だとおもうんだ」
抽斗の中には、綺麗な千代紙が貼られた小さな紙箱がひとつ収められていて―――なんというか、いかにも「それらしい」感じがする。
「もしも、お父さんとお母さんにばれちゃったら、お兄ちゃんたちもいっしょに怒られてね」
「だから僕と兄さんにも声かけたんだ・・・・・・」
「まぁいいよ、なんか俺も気になってきたし」
俺たちはなんとなく顔を見合わせて無言で頷きあってから、厳かな気分で、箱のふたを開けた。
「わぁ・・・・・・」
鮮やかな色が溢れた。
「きれーい・・・・・・」
妹がため息をついた。
その気持ちはよくわかる。其処にあったのは、いくつものお守り袋。
箱の中のそれらは、ひとつひとつ違った柄と色の端切れを使って作られていて、まるで色とりどりの花が咲いたようだ。
「これ、全部手作りだよな」
「僕たちが生まれる前からかな。だから軽く十年以上分だよ」
弟がひとつ、お守りをつまんでしげしげと眺めた。
「・・・・・・お守りって、開けたら効き目がなくなるんだっけ?」
「だとしても、これは『使用済み』なんだから大丈夫だろ、開けてみろよ」
俺に促されて、弟は手にしたお守りの紐を注意深くほどき、その口をそっと広げた。
「あ」
かさり、と。乾いた音が小さく鳴った。
中から出てきたのは、小さな紙片。
「やっぱり、おふだ?」
「いや、違うみたい・・・・・・何か書いてあるけど」
俺は弟の手のひらからその紙をつまみ、四つに折られたそれを慎重に開く。
綴られていたのは、水茎の跡もうるわしい―――
「母さんの字だ」
ふたりが、俺の手を覗きこんだ。
『怪我をしないで、無事に帰ってきてね』
それは、手紙と呼ぶには短すぎる文。
だけど確かに、母さんから親父に宛てた一言。
一瞬、その文字を無言で見つめてから、俺たちは次々と他のお守り袋にも手を伸ばした。
『寒い季節です、風邪をひかないでね』
『いつもあなたのことを想っています』
『帰ってきたら梅の花が咲いていますよ』
小さな紙切れに書かれた内容は、すべて違っていた。
そして、すべてに母さんから親父への優しい想いが込められていた。
短い文章ながらも、それはしっかりと、伝わってくる。
「あ、兄さんこれ・・・・・・傑作」
笑いを含んだ弟の声に、どれどれとその手元を覗き込んで―――俺も吹き出した。
『ごめんね、わたしが悪かったです。早く帰ってきてね』
どうやら、出発直前に喧嘩をしたらしい。
これを手渡した時の状況が、目に浮かぶようだった。俯きながら、少し困ったような顔でお守りを差し出す母さん。それを受け取りながら、目を細めて微笑
む親父―――まぁ、あの夫婦の喧嘩は大抵一日ももたないから、これを渡した時点で、既に仲直りできてたんじゃないかな。
「・・・・・・剣路お兄ちゃん」
今度は妹が一枚、俺の手に紙片をのせた。
また「笑える」ことが書いてあるのかなと思い、軽い気持ちでその文章を読んだ俺は、言葉につまった。
『お腹の赤ちゃんも、あなたの帰りを待っています』
敬虔な、祈りのような一文。
弟もそれを読んで、俺と同様に無言になる。
「・・・・・・これ、だれのことかな」
妹がぽつりとつぶやいた。
あたたかい潮が胸の奥に流れ込んで満たしてゆくような、不思議な気分。
弟も妹も、今こんな気分なのだろうか。
「お守りってさ、開けたら効力なくなるんだよね」
「うん」
「でも、これはきっと・・・・・・開けることで効力があるお守りなんだね」
弟の言葉に、俺たちは頷いた。
道中、親父はこの袋を開ける。今度はなんて書いてあるのだろう、なんて思いながら。
そしてこれを読んで、母さんや俺たちのことをきっと思い出して―――きっと帰れない間、何かの折にこの紙の文字を読み返すのだろう。
両親の間にある、優しくて強い絆のようなものを、俺は垣間見たような気がしていた。きっと、弟たちも同じ思いなんだろう。
俺たちは、それから改めて、ひとつひとつのお守りの文章に目を通して、ひとつひとつを元通り、丁寧に袋にしまった。
そして、そっと箱の蓋を閉める。
「・・・・・・お父さん、はやくかえってこないかなぁ」
それは妹の口癖。
親父が留守にするたび、しつこいくらい繰り返しこの台詞を吐くのをうざったいと思っていた。
でも―――今の俺は珍しく、その言葉に素直に同意できた。
了。
2017.03.03
モドル。