「・・・・・・で、お見合いを持ちかけてきた伊波屋っていうのがまぁアコギな商売をしている店で、これがとにかく感じ悪くってー」
入れ替わりをあっさり見破られた馨は、家に戻ることを渋った。
しかし剣心が「とにかく見合いの席に連れていけ」と刀を抜かんばかりの勢いで迫るので、嫌々ながらに加納屋へとって返すことに同意した。
「断ろうとしてものらりくらりとかわされてゴリ押しされてー、先日からずーっと困っていたの。で、今日がそのお見合い当日というわけなんだけど」
「つまり、薫殿はその身代わりに?」
「そうそう、薫さんがわたしのフリをしてね、そして見合いの席で、相手に条件を出してやることにしたのよ」
「条件?」
「剣術でわたしに勝てたら、あなたのところにお嫁にいきます、って条件」
「そんな馬鹿な事を!万一負けたりしたら・・・・・・」
「だーいじょーぶよー、薫さんがあそこのブタ息子に負けるなんて、万に一つどころか億に一つもないもの」
剣心は乗り込んだ馬車の中で、馨にことの次第を問い詰めた。
切羽つまった表情の剣心に対し、馨は開き直ってしまったのか全く悪びれない様子でするすると経緯を白状する。
「御両親に入れ替わりがばれたらどうするつもりでござるか?」
「そこは平気よ、お父様もお母様も乗り気じゃない縁談なんだから、むしろ歓迎されるくらいだわ。だからそんな、急いで戻らなくたって大丈夫よー」
いらいらと落ち着かない様子の剣心を馨は諭したが、剣心は噛み付くような勢いでそれを撥ねつける。
「しかし急がないと見合いが始まってしまうでござろう」
「この時間ならもう始まってると思うけど・・・・・・別にいいじゃない、ぶち壊すのが前提のお見合いなんだから」
「そういう問題ではなく!」
だん、と馬車の床をひとつ苛立たしげに足で鳴らし、剣心は激高する。
「俺は単に、薫に見合いをさせたくないと言っているんだ!」
馨は、剣心の剣幕に驚き、一瞬言葉を失う。
そうして、一気に力が抜けたかのように表情が緩み、泣き笑いのような顔になる。
「わたしは、一度も、そんなふうに呼ばれたこと・・・・・・ない」
剣心は、その言葉の意味がわからず、怪訝そうに眉をひそめた。
「薫って・・・・・・そうやって呼ぶのね」
指摘されて、漸く気づく。
人前では滅多に使わない呼称を口にしてしまった。よりによって、馨の前で。
「そりゃ、まぁ、二人のときとかは、そう呼ぶことも・・・・・・」
もごもごと口の中で呟く様子を、馨はからかったりはしなかった。ただ、羨むような目でじっと剣心を見ていた。
「・・・・・・もともと馨殿は、見合いをぶち壊させるのが目的で薫殿に近づいたんでござるか?」
「違うわ、全然そんなこと考えていなかった。薫さんに昨夜お見合いの話をしたら、彼女のほうから入れ替わろうって言い出してくれたんだから」
剣心は驚いたが、考えてみると、薫なら平気でそのくらいのお節介は焼きそうだ。
「薫殿はお人好しで・・・・・・いつもそうやって、人の心配ばかりしているんでござるよ」
今にしてみると、彼女のそんなところが危なっかしく感じて、自分が守ってやらねばと思ったことも薫を好きになったきっかけのひとつかもしれない。
もっとも、そのお人好しで世話焼きなところも、とても好きな部分なのだが。
「薫さんに近づいたのは、単に仲良くなりたかったからよ。大事なハンカチを拾ってくれて、わたしにそっくりで、お話をしてみると明るくて優しくて・・・・・・
この人と姉妹だったら素敵だなぁって思ったわ。だから」
だから、姉妹になれないなら、せめて友達になりたいと。心から思った。
「でも一方では・・・・・・羨ましくてたまらなかった」
馨は俯いて、膝の上でぎゅっと握った手の甲に、視線を落とした。
「好きなひとと並んで歩いたり、一緒に食事をしたり、夫婦の約束をしたり・・・・・・今みたいに呼び捨てにされたり。わたしが好きなひとと、そうしたくても
出来ないことを、全部やってるんだもの。同じ顔なのにどうしてこんなに違うんだろうって思ったら悔しくって・・・・・・だから、つい剣心さんに色々嫌がらせ
をしてしまったのだけれど」
「・・・・・・なぜ、拙者ばかりに?」
ここ数日、馨から向けられていた悪意はやはり気のせいではなかったことが判明し、剣心は憮然とする。
「だって、わたし薫さんが大好きなんだもん。いくら羨ましくても薫さんに意地悪はしたくなかったんだもん」
「屈折してるでござるなぁ」
「なによ、剣心さんは薫さんのこと、いっぱい泣かせてきたんでしょ?そんなひと意地悪されて当然だわ」
つんとした言い方に、反論できず剣心は苦笑する。そこは馨の言うとおりなのだから。だけど―――
「たしかに、泣かせたし辛い思いもさせてしまった。だから、それを挽回するくらい・・・・・・これから一生かけて幸せにしてやりたいと思っているでござる」
剣心の声音の真摯さに、馨は、両手で顔を覆った。
「・・・・・・ああもう、ほんとに、羨ましいったらありゃしないわ・・・・・・」
それきり、黙り込んでしまう。
剣心は、このあと取るべき行動について考えた。
さんざん「意地悪」をされた相手にどうかと思うが、仕方ない。昨日弥彦に言ったとおり、基本的に自分は「人に優しい」のだ。それに、中身はまるで違う
とはいえ、顔だけでも薫にそっくりな娘が悲しんでいるところを見るのは、精神衛生上よろしくない。
「あのハンカチは、静馬殿から?」
馨の肩が、ぴくりと反応する。
「・・・・・・使用人から贈り物だなんて、普通ありえないわ・・・・・・でも、あれは静馬が一度だけ贈ってくれた、宝物なの・・・・・・」
顔を隠したまま、馨が答える。
「だから、ひょっとして静馬も、わたしのこと、主人の娘ってだけでなく・・・・・・ひとりの女の子として見ててくれたのかしらって、期待もしたわ。でも、今回
の見合い話が出たときは、何も言ってくれなかった」
声が、微かに震えている。
こんな時に何だが―――泣き声まで薫にそっくりなんだな、と剣心は思った。
「剣心さんみたく、大人気なく取り乱すくらいしてほしかったのに・・・・・・結局、わたしのひとりよがりだったんだと思ったら、悲しくて」
「って、こんな時にも拙者をこきおろすのは忘れないのでござるな」
剣心はがくりと肩を落とした。やっぱり、中身は全然似ていない。
「馨殿は、呼び捨てにされたり、並んで歩いたりしたいと言うが・・・・・・静馬殿も同じように思っているのかもしれぬよ?ただ、立場があるから我慢をして
いるだけで」
「なんで、剣心さんがそんなこと言い切れるの・・・・・・」
剣心は、いつかの静馬の顔を思い返した。
馨にむける包み込むような、慈愛に満ちた目。
言葉にするのは我慢ができても、抑えることのできない想いが、あの目にはあった。
「・・・・・・馨殿。ひとつ、提案があるのでござるが」
★
剣心を馨を乗せた馬車は、加納屋の近くで別の馬車とすれ違った。馨は顔を見られないように慌てて頭を低くする。
すれ違った馬車には夫婦らしい中年の男女と、放心したような顔の小太りの若者が乗っていた。一瞬だったのでしっかり確認はできなかったが、若者
の額には赤く打たれた痕があったようだ。
薫のことだ、手加減はしただろうが迷いなく真っ正面から頭を狙ったのだろう。
形だけとはいえ薫が他の男と見合いをしたのは非常に面白くないが、相手の男が一本取られる瞬間はちょっと見たかったかもしれない。剣心は少々身
勝手にそう思った。
馬車を加納屋の裏口につけてもらい、剣心と馨はこっそり屋敷に入る。
馨が「こっちのお庭よ」と案内するのに従って進むと、広い庭に面した縁側に座った薫が、高価そうな着物にかけられた襷をほどいている姿が見えた。
「―――あ、剣心!馨さん!馬車の音が聞こえたから、そうじゃないかと思ってたわ」
薫が晴ればれとした笑顔でふたりに駆け寄った。
「その様子だと、勝負は圧勝のようでござるな」
薫は、剣心の言葉に「あらら」と首を大きく傾げてみせた。
「うーん、その様子だと、もう全部バレてるのかしら」
「ああ、全部馨殿に教えていただいた」
「全部吐かされた、の間違いでしょ」
「・・・・・・剣心、あんまり馨さんをいじめないで!これ、言い出したのはわたしなんだからね?」
苛められているのはこっちのほうなのだが、と思ったが、ちょうどその時屋敷の中から静馬が出てきたのが見えたので口には出さないでおいた。
ああやっぱり俺って優しい、と剣心は心の中でこっそり呟く。
「馨様、お帰りなさいませ」
「ただいま、静馬・・・・・・ってことは、静馬にもバレちゃってる?」
「勿論ですよ、一目でわかりました」
そう言って笑う静馬に、馨の表情が柔らかく緩んだ。
「何かお考えがあってのことと思って、敢えて触れないでいたのですが、まさかあんな勝負を挑むためとは思いませんでした・・・・・・ところで馨様」
「なぁに?」
「何故、襷をおつけになるのですか?」
静馬の見ている前で、馨はしゅるっと襷がけをして桜の柄の袖をまとめる。先程まで薫が使っていたものだ。
「―――静馬、さっきの勝負のときの、薫さんの台詞、覚えている?」
言いながら馨は、見合いの席で薫たちが使った竹刀を二本、手に取る。
「はい、『わたしに勝てたら、貴方のところにお嫁にいきます』と・・・・・・」
馨は、竹刀を一本、静馬のほうへ差し出した。
静馬は不思議そうな顔をしながらも、それを受け取る。
「まったく同じことを、わたしも、やります」
前川道場で教わったとおりに、馨は姿勢良く竹刀を構える。
「あなたがわたしに勝てたら、静馬のところに・・・・・・お嫁にいきます」
6 へ続く。