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        招待をうけたものの、薫は加納屋を訪問するのに少なからず緊張していた。


        何しろ、老舗の有名な呉服屋だ。貴族のお嬢様がお得意先という高級店。馨の両親はそんな大店の主人と奥様なのだ。
        自分のようなしがない町道場の娘が訪ねていってお会いして、失礼はないものかと心配していたのだが―――それは杞憂に終わった。

        馨の両親は気取ったところのない明るい人達で、薫が自分たちの娘にそっくりなのに心底驚き、そして歓待してくれた。家族に混じって頂く夕御飯は豪
        華でとても美味しかったのだが、薫はなにより、亡くなった両親と過ごした夕餉の時間がよみがえり、胸の奥が暖かくなった。
        「これからもうちの娘と仲良くしてやってください・・・・・・ああ、そうだ、今度は是非ご主人になる方もご一緒にいらっしゃるとよい」
        馨の父にそう言われて、薫は心から「はい!こちらこそお願いします!」と返事をした。






        お屋敷には客間もあったが、馨は自分の寝室に客用の布団を敷き、夜はふたり並んで横になった。
        当然、そこは若い娘がふたりである。すぐに眠りに就くことはなく、行燈の灯りは落とさずになんだかんだとお喋りをした。

        「いいなぁ、馨さんは。優しいご両親がいて」
        夜もだいぶ更けてきた頃、薫がぽろりとそんなことを口にすると、馨は穏やかな笑みを浮かべた。
        「・・・・・・わたしも、薫さんがうらやましい」
        何が?と言うように目で問うと、馨は薫の方に顔を向けて―――しかし、どこか遠くを見るような目で、続けた。


        「好きなひとといつも一緒にいて、並んで歩いたり、食事に行ったり・・・・・・夫婦の約束をしたり」


        ふうっと、馨の目に涙があふれる。
        「わたしの好きなひとも、とても近くに、いつもいてくれるの・・・・・・それなのに、薫さんと剣心さんみたいには出来なくて、だから・・・・・・」
        後は言葉にならなかった。
        ぽろぽろとこぼれる涙は枕と敷布に落ちて染みを作る。薫はそっと片手を、馨にむかって伸ばした。
        布団の中から馨がそろそろと手を出したのを、きゅっと握る。白くて小さい、柔らかい手。



        馨の想い人―――「とても近くにいつもいるひと」が誰なのか、この数日間を馨と過ごした薫は、もうわかっていた。



        「わたしも、剣心のことでよく泣いたんだよ」
        「・・・・・・そうなの?」
        「うん、いっぱいいっぱい泣いた」
        馨は、すんと洟をすすりながら、憤慨した顔を見せる。
        「薫さんをそんなに泣かせるなんて、ひどい人だわね」
        「でもわたし、今はとても幸せ」


        悲しい思いも辛い思いもしたけれど、結局剣心と薫は、一緒にいる未来をふたりで選んだ。
        沢山泣いたことも悩んだことも、今となってみると、すべてが自分たちにとって必要なことだったように思える。


        「馨さんは大丈夫、絶対に全部うまくいくから。だって、わたしと同じ顔なんだもの」
        「なぁにそれ?意味がわかんない・・・・・・」
        涙に濡れたままの瞳で、馨はくすくすと笑う。
        「・・・・・・薫さん、聞いてくれる?あのね、実はね・・・・・・」




        同じ顔をした少女ふたりは、額をくっつけるようにしてひそひそと話し始める。
        朧の月の柔らかい光が、ふたりのいる部屋の障子を、優しく照らしていた。










        ★










        翌日、冬の太陽がのんびりと空の高い場所まで昇った頃、馬車の音が聞こえた。
        剣心は主人の帰りを待ちわびていた子犬よろしく、いそいそと玄関に出た。
        すでに見慣れてしまった馬車が、道場の門前に停まる。


        「剣心、ただいまー!」


        昨日出かけたときと同じ、桜の模様が散った着物を着た薫が降り立ち、出迎えた剣心に明るい笑顔を向ける。
        「昨日はひとりにしちゃってごめんなさいね。馨さんが、剣心によろしくって言ってたわよ」
        軽やかな足取りで薫は剣心の横を通りすぎ、玄関へむかう。剣心は首をめぐらせてその後ろ姿を一瞬視界におさめてから、走り去ろうとする馬車の御
        車台にむかって声をかけた。
        「すまないが、この後ちょっと用が出来そうでござる。少々待って頂けないか?」



        剣心が沓脱ぎのほうへ戻ると、薫は草履を脱ごうとしているところだった。
        「楽しかったでござるか?もっとゆっくりしてくるとよかったのに」
        薫は顔を上げて、笑顔で答える。
        「うん、とっても楽しかった!馨さんがこの後用があるっていうからおいとましてきたんだけど・・・・・・あちらのお父様とお母様が、今度は剣心も招待した
        いって」
        「それはありがたい、是非お言葉に甘えさせていただくでござるよ。ところで―――」


        どこか不自然な間が生まれ、薫は不思議そうに剣心を見つめた。



        「どうして、馨殿がここにいるんでござる?」



        ぴしり、と。薫―――もとい馨の笑顔が強張った。



        「薫殿の着物を着て、薫殿のように振舞っているということは、まさかとは思うが入れ替わったつもりでござるか?」
        剣心の唇は緩やかな曲線を描き、口調も優しげだったが―――目が笑っていない。
        馨は、あちゃあ、というふうに手のひらを頭にあてて首を振った。

        「もう、バレちゃった?」
        「当たり前でござろう、拙者が薫殿を見誤る訳がない」
        きっぱりと断言する。
        清々しいくらいのその自信に、馨は一瞬呆気にとられたような顔になり、そしてやれやれと息を吐いた。
        「・・・・・・薫さんも言ってた。剣心さんなら絶対に間違えないだろうなぁって。なりすましても無駄だろうって・・・・・・ほんと、そのとおりなのね」
        「その会話から察するに、ただの悪戯というわけではなさそうでござるな。一体何のために?薫殿はどうしているのでござる?」

        次第に詰問口調になる剣心に、馨は正直に言ってもよいものかと迷うように、束の間両手で頬をおさえてうーうーと唸っていた。が、やがて観念したか
        のように、ぱらりと手を下におろして、白状する。



        「薫さん、今、お見合いをしてるの」



        「は」



        その言葉の意味を理解するのに、剣心は数秒を要した。





        「はあぁぁぁぁぁああっ!?」









        その時の剣心の顔を、後々馨は「本気で斬られるんじゃないかと思ったほどの形相だった・・・・・・」とふりかえった。














        5 に続く。