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        「剣心、お待たせ・・・・・・これ、どうかしら?」




        すらりと襖が開く。そこに現れた薫の姿を見て―――剣心はつい、ぽかんと口を開けて見蕩れてしまった。



        桜の花びらを幾重にも重ねて濃い色合いにしたような、深みのある鴇色の地の振袖は、雪輪と花くす玉の意匠。派手すぎない程度に華やかで、品も
        ある。帯は柔らかな象牙色にけぶるような牡丹の刺繍、振袖と同じ色のリボンが長い髪を飾っている。
        うっすらと化粧を施された薫は、普段着慣れない高価な着物に全身を包まれたせいで、緊張した面持ちで襖を開けたのだが―――剣心があからさまに
        ぽわーっとした顔で自分を見ているものだから、つい、笑ってしまった。

        「剣心、口、閉じたら?」
        「おろ、いや、つい・・・・・・なんというか・・・・・・」
        剣心は何やら呟くようにもごもごと口を動かした。綺麗だと言いたかったのだが、どうも照れくさくて、上手く口にできない。


        「うふふ、わたしの見立てどおり!やっぱり似合うわー」
        ひょこっと薫の後ろから顔を出した馨は、うんうんと満足げに頷いた。
        彼女が身につけているのは薫と色違いで、同じ柄の振袖だった。地の色は紫で帯はまったくの揃いにして、薫と綺麗に対称をなす組み合わせだ。

        「ありがとう馨さん!わたし、こんなに豪華な着物着たの初めて!」
        「さ、それじゃあこれ履いて、お出かけしましょ!一緒に街に出てお買い物するの。そしてお昼にはまた、赤べこでお食事しましょうね」
        馨は桐箱から、縮緬の鼻緒が可愛らしい草履を取り出した。当然、それもお揃いなのだろう。薫と同じ顔で馨はにこにこと楽しそうに笑った。







        薫も馨も、もともと明るい表情が人目をひく美少女である。
        それが、瓜二つの顔で連れ立って、華やかな晴れ着で並んで歩いているわけだから、これが目立たないわけがない。
        連れ違うひとたちは驚いたように二人の顔を眺めていたが、当の本人たちはたいして気にならない様子で歩いていた。と、いうより歩きながらのお喋り
        に夢中で、周りを気にしている場合ではないのだろう。小鳥がさえずるように絶え間なく言葉を交わしては、他愛もない話題にも鈴を転がすように笑いあ
        う。

        剣心は、馨のお付の青年とふたり並んで、彼女たちの後ろを少し離れて、従者よろしく歩いていた。
        いささか、複雑な心境である。
        自分の恋人が他の者から綺麗だと賞賛されるのは、嬉しいし誇らしい。だからといって、ここまで目立つというのはどうだろう。
        花魁道中でもあるまいに、これではまるで見世物ではないか。


        ふと剣心は、隣を歩く青年に目をやった。
        馨は、確か静馬と呼んでいただろうか。際立って整った顔立ちというわけではないが、誠実さが表情ににじみ出たような、優しげな青年だ。年齢は自分
        と同じくらいか、少し若いくらいだろうか。

        「失礼でござるが、静馬殿、と仰いましたか?馨殿の・・・・・・」
        「ああ、これはご挨拶が遅れて、失礼をいたしました。私は加納屋にお仕えしております、田添静馬と申します」
        静馬は律儀に足を止めて、深々と頭を下げた。

        「この度は薫様には、馨様と懇意にしていただき、誠にありがとう存じます」
        「いや、こちらこそ・・・・・・あのように見事な着物を拝借して、薫殿も喜んでいるでござる」
        再び、先をゆく娘ふたりの後について歩きながら、静馬は話を続けた。
        「実を言いますと、馨殿は生来たいへん明るい御方なのですが・・・・・・最近暗くふさぎ込むことが多くて、心配していたのです。しかし昨日からはとても
        御機嫌がよくて、あんな楽しそうなお顔は久しぶりに見ました。薫様と親しくなれたのが余程嬉しかったのでしょう」


        ・・・・・・暗く、ねぇ。


        暗く塞いだ馨を、剣心はなかなか想像できなかったが、いつも明るい薫だって落ち込むことはあるのだ。馨にも、そういうことはあるのかもしれない。
        そう思いつつ、なんとなく隣の静馬の視線を追った。彼は前方を行くそっくり同じふたつの背中のうち、馨のほうを慈しむような目で見守っている。


        ・・・・・・なるほど。


        自分も今、薫の後ろ姿を、同じような表情で見ているのだろうか、と剣心は思った。







        「ねぇ、薫さんは剣心さんと、二人で暮らしているの?」
        「うん、そうだけれど?」
        「用心棒とかじゃないわよね」
        「違うわよー、確かに腕はたつけれど」
        ふうん、と馨は首を傾げる。とても強そうには見えないけれど、と思ったけれど口には出さないでおいた。
        「じゃあ、薫さんのいいひとって事?」
        「・・・・・・うん、まぁ、そう」
        「・・・・・・夫婦になるの?」


        薫はぼっと頬を赤く染めて―――そして、はにかみながら笑顔で答えた。
        「冬の終わる頃に祝言を挙げようって、そう、言われた・・・・・・」


        後ろをゆく剣心と静馬は、娘ふたりが突然「きゃあー!」と声をあげて、小鳥のように着物の袖をぱたぱたさせるのを見て、「楽しそうだなぁ」と異口同音
        につぶやいた。







        「そろそろ赤べこに行きましょうよ」
        昼時になった頃馨がそう言うと、静馬は「では、私は馬車に戻っていましょう。お時間になりましたらお迎えにあがります」と、至極当然のように言った。
        使用人は主の娘と席を同じくすべきではない、そう考えての返事だったが、そんな静馬に対して薫は、なんの躊躇いもなく明るい声で訊いた。
        「あら、静馬さんも行きましょうよ。牛鍋、お嫌いですか?」
        「いや、私は御一緒するわけには・・・・・・」
        「よいではござらぬか、薫殿もこう言っていることだし・・・・・・それに、鍋は大勢のほうが楽しいでござるよ」

        そう言って剣心は、ちらりと馨の顔に視線を走らせた。
        剣心と薫の提案に、驚いたような瞳。かすかに、赤く染まった頬。


        ・・・・・・なるほど。


        剣心は、再び納得した。


        「そうしましょうよ、わたしも静馬と一緒のほうが嬉しいわ!」
        馨は、大きな目をきらきらさせ、力をこめて同意した。
        確かに、こんな生き生きとした表情は薫に似ているな、と剣心は思った。






        ★






        「今日は楽しかったねー」
        その夜、薫は神谷道場の居間で、夢見るような顔でつぶやいた。おそらく昼間貸してもらった着物のことを思い出しているのだろう。

        「薫殿、綺麗だったでござるよ」
        「やだー!何よ突然!」
        薫はきゃらきゃら笑って着物の袖で剣心を打つ真似をしてから、赤い顔で「でも、ありがと・・・・・・」と、つぶやいた。
        その様子が可愛らしくて、剣心は目を細める。


        しかし、と剣心は改めて今日一日のことを思い返す。
        薫は楽しかっただろうが、彼女は一日中馨に連れまわされていたわけで・・・・・・剣心はその後ろを、ただ付いてまわっていたような状態だった。
        これは、あまり面白くない。
        薫と馨が仲良く友人づきあいをするのは構わないし、好いことだとは思うが、今日のような日が頻繁にあるのは・・・・・・どうだろう?


        しかしまぁ、明日は薫は前川道場に出稽古にゆく日だ。
        いくらなんでも、流石に馨もそこまでついてきたりはしないだろう―――と、思ったのだか。



        剣心の考えは、甘かった。






        ★






        「薫さーん!お迎えにきましたよー!」



        翌日、またしても馨の声が道場に響き渡り、剣心は思わず頭を抱えた。


        「馨さん?あの、わたし今日は出稽古があるって・・・・・・」
        「うん、昨日そう聞いたから、今日は稽古を見学させて欲しいなーって思って。お昼までかかるんでしょ?だから向こうの道場の人たちにもと思って、お
        弁当も沢山作ってもらっちゃった!」
        そう言って、馨は屈託なく笑う。そこまで準備をしたものを無下にするわけにもいかず、薫は「しょうがないなぁ」という顔をした。
        「じゃあ・・・・・・もし、退屈だったらごめんね?」
        「退屈なんてしないわ!薫さんの稽古を眺めているだけで、絶対楽しいはずだもの」

        そんなやりとりがあり、あれよあれよという間に薫は馬車の中へと押し込まれた。
        剣心が見送ろうとして玄関先に出ると、馨は馬車の上から彼を見下ろしながらにっこりと―――


        「じゃあ、行ってきますね」


        笑顔なのに、素直に善意の表現とは受け取れない笑顔だった。



        馬車が勢いよく発進し、後にはもうもうと砂煙が立ち上る。
        残された剣心は、なんだかひどく「おいてきぼりをくらった」ような気分になり、平素より乱暴に玄関の引き戸を閉めた。












        3 へ続く。