friendly girl





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        その悲鳴に一番早く反応したのは、薫だった。





        少女のものらしいその声は、どこかで聞いたことのある声だった。
        誰だったろう?そう思いつつ振り向くと、年が明けたばかりの真冬の冷たい風に、白い手ぬぐいらしき布切れが一枚、ふわりと宙に舞っているのが目に
        入った。



        「誰かー!取ってくださーいー!」



        再び少女の声が響き、薫は気づいた。
        聞き覚えがあるのではなく、その声は自分に―――薫の声に、とてもよく似ていたのだ。





        その日、薫は出稽古の帰りに剣心と待ち合わせて、連れ立って買い物をしていた。悲鳴が聞こえたとき丁度剣心は砥屋に入っていて、薫は道端で彼を
        待っているところであった。
        薫は声の主のほうを見やった。遠目に鮮やかな着物の色が映る、あの格好で走って追いかけるのは難しいだろう。しかし自分は、胴着姿だ。
        一瞬で判断した薫は、白い手ぬぐいを追って走り出す。

        風に飛ばされた手ぬぐいは地面に落ちそうになり、その瞬間また風が吹いた。
        運の悪いことに、道の先にあった橋を越え―――川の方へ落ちた。


        少女が「ああああっ!」と悲愴な声を上げるのを背中で聞きながら、橋に駆け寄る。欄干から身を乗り出すと、上手い具合に渡しの舟が橋下にいた。
        橋から川面への距離は、薫の身長ほどだろう。これなら―――
        「すみませーん!ちょっとお邪魔してもいいですかー!」
        「おや、神谷道場のセンセイ」
        船頭は薫の顔を見知っていた。評判の「剣術小町」は、「赤毛の剣客さん」と対でここいらでは顔が知れている。
        薫は手にしていた竹刀を袴の腰紐にしっかりとたばさんでから、欄干をひょいと乗り越えた。橋桁に手をかけてぶら下がると、その様子を見ていたのか
        また少女の悲鳴が聞こえた。が、今は構っている暇はない。衝撃で舟がひっくり返らないように注意をはらいつつ、手を離した。

        うまく舟に下りられたところで、橋の上から見物していた通行人たちから拍手が起こる。薫は「ありがとうございます!」と船頭に礼を言いながら、竹刀を
        川面に伸ばす。川縁でくるくる踊るように漂っていた白い布切れが、竹刀の先にひっかかった。あと少し遅かったら、手ぬぐいは流れに乗って下流へ消
        えてしまっていただろう。間に合ってよかったと薫は安堵のため息をついた。


        改めて、手の中の布を見る。
        手ぬぐいと思ったのは誤りで、正方形の白い布に銀糸で刺繍を施したそれは、西洋のハンカチだった。四方は繊細なレース縁取られ、見とれてしまう
        程美しい。
        これは高価そうなものだ。なくしたものなら悲鳴も上げてしまうだろうと、薫は納得する。



        船頭は気を利かせて、薫を近くの船着場まで送ってくれた。
        そして薫とほぼ同時に、川沿いに走ってきたハンカチの落とし主である少女も、船着場にたどり着き―――


        「ありがとうございます!とても大事なハンカチなんです、本当にありが、と・・・・・・」


        少女は舟からあがってきた薫に駆け寄って感謝の言葉をかけようとし、途中で絶句する。
        改めて少女の顔を正面から見た薫も、同様に言葉を失った。


        「薫殿?! 大丈夫でござるかー?!」
        桟橋のむこうから剣心の声が聞こえ、反射的に薫はそちらに顔をむけた。つられて少女も、薫の視線を追う。
        「騒ぎになっているから驚いたでござるよ、いったい何が―――」
        そして、剣心も二人の顔を同時に視界に確認して、やはり絶句した。



        「・・・・・・薫殿が、ふたり・・・・・・?」



        高価そうな友禅を着たその少女は、鏡に映したように、薫と瓜二つだった。








        ★







        「いやぁ、びっくりしたわぁ。わたしと冴もそっくりやけど・・・・・・双子でもないのにここまで似てはるなんて・・・・・・」


        ハンカチを救出してくれたお礼をさせてくれ、と少女は薫に申し出た。
        お礼なんて別にと薫は固辞したが、同じ顔のふたりが出くわして、このまま別れるのも勿体無いような気もした。なので「では一緒に食事というのはどう
        だろう」という話に落ち着き―――一行が向かったのは「赤べこ」だった。そっくり同じ顔のふたりを見比べながら、妙が感嘆の声をあげる。

        「かおりちゃん、やっけ? 何や名前まで似てはるのねぇ」
        「はい、加納馨と申します。うちは呉服屋を営んでいるんですが、店の用事で使いに来ていたところで、ハンカチを飛ばされてしまって・・・・・・ほんとうに
        助かりました」


        改めて、剣心と薫、そして赤べこに手伝いに来ていた弥彦と、妙と燕も―――馨の顔をまじまじと見て驚きのため息をつく。
        生気に満ちた大きな瞳に、形のよい唇。偶然にも高い位置でひとつにくくった髪型までも薫にそっくりで、双子と言ったら誰もが信じることだろう。

        「あら、呉服屋で加納屋いうたら、老舗の大店やないの」
        「有名なお店よね?ってことは、馨さんてお嬢様なんだ!」
        「やーだ!そんな、お嬢様なんて柄じゃなわよー。似合わないからやめてー」
        立派な出自に妙と薫は驚いたが、馨はそれをきゃらきゃらと笑い飛ばした。そして、薫に良く似た目をきらきらさせて、今度は薫に質問をする。
        「ところで、薫さんはさっき、道場の先生って呼ばれていたわよね?剣を教えてるの?」
        「あ、そうなの、父の道場をわたしが継いだから・・・・・・」
        「女剣士なのね!すごーい、格好いい!」

        きゃあきゃあと賑やかにはしゃぐ様子を見る限り、確かに馨は「お嬢様」という柄ではないようだ。年頃の娘ふたりの会話が弾みだしたのを見て、弥彦
        は小さく「中身も薫とそっくりか・・・・・・やかましさが二倍だな」と、呟いた。
        それは剣心の耳にも届いたが、同意はせずに、苦笑するにとどめておいた。



        「静馬!待たせてごめんなさいね!」
        食事を済ませた後、赤べこの前に待たせていた馬車の傍らに立つ男に、馨は上機嫌で手を振った。
        静馬と呼ばれた背の高い細身の青年は、柔和に微笑んで馨に礼をとった。

        「じゃあ、薫さん、今日は本当にありがとう!皆さんにもお会いできてよかったわ」
        馨が心から嬉しそうに、そして名残惜しそうにそう言ったので、薫は思わず「よかったら、また会いましょうよ」と返した。
        「ええ!薫さんの道場も、是非見せて欲しいわ!」
        馨は大きく頷き、静馬に手を取られて馬車に乗り込んだ。
        剣心たちは、馨を乗せた馬車が走り去り見えなくなるまで、店の前で見送った。







        ★






        ハンカチがきっかけで、薫の「そっくりさん」と知り合った、その翌朝。
        剣心と薫はいつものようにふたり揃って起き出して、差し向かいで朝食をとった。
        薫が後片付けを済ませて庭に出ると、洗濯をする剣心の背中が見えた。
        縁側に腰掛けて、薫は剣心の背を眺めながら話しかける。


        「ねー、剣心」
        「んー?なんでござる?」
        剣心は、洗濯の手を止めずに答える。
        「昨日の、馨さん。びっくりするくらいわたしとそっくりだったわね」
        「そうでござるなぁ」
        「それじゃあ・・・・・・」
        薫は、悪戯っぽい口調で続けた。
        「わたしとおんなじ顔で、お金持ちのお嬢様なら、剣心、お金持ちのほうが魅力的なんじゃないの?」

        からかうような声色に、剣心は手を止めた。
        濡れた手を拭って、縁側の薫に歩み寄る。そのまま地面にしゃがんで、下から薫の顔を覗き込んだ。
        「じゃあ薫殿は、もし拙者と同じ顔の大店の跡取り息子が現れたとしたら・・・・・・そっちを選ぶでござるか?」
        笑いながらの問いに、薫は小さく首を横に振って答えた。
        「・・・・・・ぜったい、剣心のほうがいい」
        「拙者も同じでござるよ」

        ごく近い距離で見つめあい、二人は同時に笑った。
        剣心は洗濯で冷えてしまった指をのばし、薫の頬をなぞる。
        「剣心、冷たいよ」
        言いながらも、薫は逃れる様子はない。
        「ちょっと、我慢して」
        そのまま細い首筋に手を添え、引き寄せて、唇を重ねようとして―――





        「薫さぁぁぁん!おはようございまーすっ! お言葉に甘えてほんとに来ちゃったー!!」





        玄関から響いた元気な声に、剣心と薫はあわてて飛びすさり、三尺ばかりの距離をとる。




        「・・・・・・声まで、そっくりでござるな」
        剣心はそう言って笑ったが、その笑顔は少々ひきつっていた。















         2 へ続く。