「畜生! 覚えてやがれ!」
酔漢たちはおそろしく芸のない捨て台詞を吐いて、わたわたとその場から逃げ出した。
「怪我はないでござるか?」
道端にへたり込んでいた娘は、ぽーっとした様子でたった今難儀を救ってくれた緋い髪の剣客を見上げる。
差し出された手をとり、娘は可愛らしく頬を染めた。
Defenseless
「よっ、嬢ちゃん何してんだ? 天下の往来に突っ立って」
ぽこん、と何か軽い物で小さく頭を叩かれ、薫は振り向いた。
視線を上に上げると、なにやら筒状に丸めた紙を手にした長身の青年と目が合う。
「あら、左之助」
「ちょうどよかった、今お前らのとこ行こうと思ってたんだよ。剣心は一緒じゃねーのか?」
「うん、今待ってるとこなの」
「待ってる? 何を?」
「人助け」
薫が指差した方向を見ると、今まさに柄の悪い男たちが二人、ほうほうの体で逃げ出すところだった。
「ほら、どこぞの娘さんに絡んでいた酔っぱらいを、刀を抜くまでもなく追い払ったところ」
薫は、どこか誇らしげに左之助に実況する。
左之助は丸めた紙を担ぐようにして肩をぽんぽんと叩きながら、「成程」と頷いた。
「まぁ、あいつらしい鮮やかなお手並みだったみてぇだが・・・・・・でもよ嬢ちゃん、あれはいいのか?」
「え?」
地面にへたり込んでいた娘に、剣心が手を差しのべる。
娘は言葉もなくぽーっとした様子で剣心を見つめていたが、いたわりの言葉に頷くと、頬を紅潮させてその手をとった。
立ち上がり恥ずかしげに裾を整え、改めて剣心に礼を言う娘。その姿は薫と左之助が立っている位置からもよく見えた。
桜色の頬と潤んだような熱っぽい瞳で、うっとりと剣心を見つめる、その顔も。
「・・・・・・惚れたな、あれは」
「はぁ!? ちょっと、左之助!」
慌てた声を出す薫をよそに、左之助は可笑しそうにからからと笑う。
「いやー、なんつーか、あいつあーゆーところ無防備だよなぁ」
「無防備?」
「あんなふうに颯爽と助けられたらころっと参っちまう女も多いだろうに・・・・・・嬢ちゃんだってそうだったんだろ?」
「ばっ・・・・・・何言ってんのよ! わたしはそんなんじゃないもんっ!」
反論すると同時に、ごすっと鋭く左之助に肘鉄を食らわす。肋骨の間に楔を打つような強烈な一撃に、左之助は「げふっ」と変な咳を洩らした。
「い、今のは結構効いたぜ・・・・・・さすが師範代、的確な狙いじゃねーか・・・・・・」
「あんたが無神経なこと言うからでしょ! ってゆーか、無防備ってどーゆー意味よっ?」
「だってよ、見てくれがアレで、その上常識外れに強いときたら、そりゃトキメク女も多いだろうよ」
薫の渾身の攻撃は「打たれ強い」彼にもかなりのダメージを与えたらしい。痛そうにあばらの上をさすりながら、左之助は続けた。
「だけど、あいつ自身はその事全然意識しねーであんなふうに優しく振る舞っちまうんだから・・・・・・これは惚れてくださいと言ってるようなもんだろ?
罪つくりだよなぁ」
確かに、そういう意味では「無防備」と言えるかもしれない。
薫は返す言葉に詰まって、ぐっと黙り込んだ。
「すまない薫殿、待たせたでござる・・・・・・おろ、左之」
よっ、と左之助は手をあげて応える。その隣にいる薫が何故か憮然とした表情をしているのに気づき、剣心は首を傾げた。
「薫殿、どうしたのでござる? 何かあったのでござるか?」
「・・・・・・なんでもない」
しかしその声は明らかに不機嫌だったので、剣心は咎めるような目で左之助を見た。左之助は笑いながら顔の前でふるふると手を横に振る。
「おいおい、俺じゃねーよ。むしろ、お前ぇの所為だ」
「拙者の?」
「もー! なんでもないって言ってるでしょ!? わたし、先に行くからね!」
ぷい、と男たちに背を向けて薫はずんずん歩き出す。
すぐ後からふたりがついてきているのがわかったが、聞こえてくる左之助の声が笑い混じりなのが腹立たしかった。
★
しゅる、とリボンをはずした。
長い髪がするりと背中に流れる。
目の前にいる鏡の中の自分は、ぶすっとむくれた顔をしていて、はっきり言って可愛くない。
「まったく! 左之助ってば、好き勝手なこと言って・・・・・・」
一緒になんてしないでほしい。
わたしは、そんな一瞬の気持ちで好きになったわけじゃないのに。
・・・・・・そりゃ、まあ、確かに、救けてもらったときはときめいたけれど。だけど、それだけじゃなくて。
一緒に過ごす時間が増えるにつれて、だんだんと「好き」な気持ちが増えていって。
そして今では、この有様だ。
「・・・・・・なんか、やだな。わたしばっかり」
さっきの女の子に、恵さんだってそうなんだし。
そして左之助の言うとおり、今までもきっといたのだろう。彼に救けられて、淡い想いを抱いた女性は。
いや、今日がそうだったように、これからも―――?
「やだな、その度にこんな思いしてたら、いよいよぶさいくが定着しちゃいそう」
薫は自分の頬を両の手のひらで挟んで、ぐにぐにと動かす。下がりっぱなしの口角を、むりに上向きにするように。
わたしばっかりが勝手に彼のことを好きになって、勝手に心をかき乱されて嫉妬してやきもきしてじりじりしてる。
わたしが一方的に好きなだけなんだから、彼は全然悪くないってわかっているのに。
でも、やっぱりなんか―――わたしばっかりなのは、ずるい。
ため息をひとつ吐いて、櫛を手にする。
こわばった感情も一緒に解きほぐされるようにと念じながら、丁寧に丁寧に髪を梳く。
ようやく、気分が落ち着いてきた頃、折りよく廊下から弥彦の声がした。
「薫ー! 風呂あいたぞー!」
「ありがと! 湯冷めするんじゃないわよー!」
襖越しにかけられた元気な声に返事をし、薫は櫛を鏡台に置いた。
鏡に映る顔は、さっきよりは幾分和らいでいる。これでお湯につかれば、もっと気分もすっきりすることだろう。
薫は「よし!」と鏡に向かってひとつ呟き、支度をして部屋を出た。
★
居間を通りかかると、熱心に何かを読んでいる剣心の姿があった。気配に気づき、こちらを向く。
「あ、追い焚きしておいたでござるよ」
「うん、ありがとう・・・・・・何読んでるの?」
「ああ、昼間に会ったとき左之から渡されたんでござるよ。津南殿が書いたそうだ」
そういえば、左之助はなにやら丸めた紙を手にしていた。と、いうことは、あれが・・・・・・
「絵草紙新聞! 出来たの?」
「いや、まだ試作の段階らしくて、感想がほしいそうだ。ちょっと読んでみたが結構面白いでござるよ」
「へぇ・・・・・・」
座って新聞を読む剣心の傍らに立ち、彼の手元に目を落とす。
成程、津南らしくふんだんに絵を使っており、ぱっと目を引く紙面になっている。
薫はもっとよく見ようとして、腰を折り曲げるようにして剣心の手元を覗きこんだ。
と、その拍子に、おろした髪がさらりと肩から流れて、ふわ、と剣心の頬に触れた。
甘く優しい香りが、剣心の鼻腔をくすぐる。
「ほんとだ、文章も堅苦しくないし、読みやすそう・・・・・・そっかぁ、津南さん頑張ってるのね」
薫の感心した声に、しかし剣心は返事をしなかった。
返事をせずに、困ったような顔でちらりと目だけを動かして薫を見上げたのだが、薫はそれに気づかない。
「ね、わたしにも後で貸して? 読んでみたいな」
「・・・・・・ああ、それはいいけれど、薫殿」
「え?」
「・・・・・・髪」
そこでようやく薫は、剣心の顔をかすめるように流れた自分の髪に気づき、慌ててかきあげようとする。
「あっ、ごめん! 邪魔だったわね」
「そうではなくて」
思いがけず、不機嫌な声だった。
剣心の右手が素早く動き、薫が髪を背中に流すのより早く、その一房を、指で捕まえる。
くい、と。
小さく引っ張られた。
「・・・・・・無防備でござろう」
どきりとした。
そして、びっくりした。
だって、髪なんて、そりゃ身体の一部だけど触られても感覚なんてないはずなのに。
そこに、ほんの少し、指を絡められただけなのに。
なのに、どうして、こんなに―――
「・・・・・・余所で、こんなふうにしては駄目でござるよ」
こんなぶっきらぼうな剣心の声を聞いたのは、はじめてかもしれない。
髪に触れられたのにも驚いたけれど、少し怒ったようなその口調にも、薫はもっと驚いた。
どぎまぎしながらも、素直に「・・・・・・うん」と答えて、小さく頷く。
その拍子に髪が揺れる。剣心は、絡めた一房から指を離した。
彼自身、今のは思いがけずとってしまった行動、思わず口をついて出てしまった言葉だったのだろう。その顔には「しまった」というような表情が貼りつ
いていた。
「・・・・・・えっと、じゃあ、お風呂、いただいてくるね」
「・・・・・・うん」
交わす言葉が、いつもよりぎこちない。居間を出る前にちらりと剣心の顔を盗み見ると、僅かに赤くなった頬が見てとれた。
「余所じゃなかったら・・・・・・いいのかしら」
薫は廊下の一角で立ち止まり、こっそり、そう呟いてみる。
わたしばっかりが勝手に彼のことを好きになって、勝手に心をかき乱されて嫉妬してやきもきしてじりじりしてる。そう、思っていたけれど。
ひょっとしたら、もしかしたら。わたしばっかりではないのかもしれない。
わたしが一方的に好きなんだから仕方がないと思っていたけれど、ひょっとしたら、もしかしたら―――
「・・・・・・いいのかな」
ほんの少しほんの少しだけ、そう思っても・・・・・・いいのかな。
先程まで感じていた幼い嫉妬の感情は跡形もなく消え去り、かわりに胸の奥が締めつけられるように甘く痛む。
薫は、ふいに泣きたいような気持ちに襲われて、あわてて風呂場にむかった。
髪に残る彼の指の余韻を洗い流してしまうのは、少し勿体無いけれど。
(了)
2012.09.19
モドル。