じゃじゃ馬。
        男勝り。
        お転婆で気が強くてはねっかえり。



        周囲のひとたちがわたしを表現するときに使うそんな言葉たちは、いったい何処にいってしまったの?











        
誰も知らない 










        「ちょ、ま、待って剣心」
        「どうして?」
        「だって、その、まだ弥彦が道場に・・・・・・」
        「何もしないでござるよ」
        「や・・・・・・してる・・・・・・」
        「ごめん、少しだけ」




        胴着姿のまま、いとも簡単にあなたに捕まえられる。
        戸惑う声は唇で強制的に封じられる。



        実際のところ、同じ年頃の男の子に稽古の後で迫られたことは、今までに何度かあったのだ。
        けれどその度に(主に拳を使って)それを突っぱねて(撃退して)きたわけで、そのせいで「あの子は男勝りだから」云々の些か不本意な、けれどそれほど
        嫌いではない称号を賜っていたのだ。今まではずっと。




        高い位置できつく結っていた髪を、あなたは当然のように指で解く。
        それだけで、纏っていた鎧を剥がされたような頼りない気分になるのは何故だろう。


        あなたの前ではこんなにも無力になってしまうわたしを、誰も知らない。
        じゃじゃ馬で男勝りで気の強いはねっかえりが、虎か獅子にでも捕まって食べられるのを待っている小さな子猫みたいに、あなたに押さえ込まれて動け
        なくなってしまう。



        「けん、しんっ・・・・・・」
        ほどかれた髪は、あなたの指に遠慮なく乱される。
        呼吸を奪うような口づけが苦しくて、すがりつく指が震える。
        「ふ・・・・・・あっ」
        漸くあなたの唇が離れて息が楽になったと思った瞬間、腰をぐっと抱き寄せられた。
        反らせてしまった首筋は無防備で、あなたは当然のようにそこに歯を立てる。

        「あ、嘘っ・・・・・・!」
        肌を舌でなぞられるその感触に、眉が歪むのがわかる。
        柔らかく、体重をかけられた。少しでも力を抜けばきっと、そのまま押し倒されてしまうだろう。
        「だ・・・・・・め・・・・・・」


        ねぇ、あなたの言う「少しだけ」とはつまり、こうやってわたしの頬を真っ赤にさせて、おろおろ困らせて苛めることなの?
        じゃあ、いっそこのまま、あなたの首にぎゅうっと抱きついて、一緒に畳の上に倒れこんでやれば、一矢報いることができるのかしら。



        「薫・・・・・・」



        けれど、耳にぴったりと唇を寄せられて、微かな声でそう呼ばれて、なけなしの反抗心はあっさり霧散する。
        どうして、いつもと違う呼び方をされるだけで、泣きたくなってしまうんだろう。



        子供の頃、近所の餓鬼大将と取っ組み合いの喧嘩をしたときも泣かなかったのに。偽抜刀斎の騒動で最後の門下生が去る時、「元気でね」と言って
        送り出したときも涙をこらえることはできたのに。なぜ、名前ひとつでこんなにも泣きたくなるの?



        ―――不意に、抱きしめられる腕がゆるんだ。
        気配に敏いあなたに一拍遅れてわたしも、道場から母屋に戻ってきた弥彦が廊下を歩いているのに気づく。

        あなたの指先が、ぴたりと封をするようにわたしの唇を押さえた。
        「続きは、後で」
        緊張がとけて、ふっと、わたしの身体から力が抜ける。
        「・・・・・・嘘つき、何もしないって言ったくせに」
        尖った声を出したつもりが、なんだか拗ねたみたいな調子になってしまい、それがまた悔しい。
        あなたの前じゃ、いつもわたしはこんな有様。悔しいけれど、でも、嫌ではない。

        「ああ・・・・・・いや、すまない」
        わたしの乱れた髪を撫でつけながらあなたが返した声には、意外なことに、困ったような響きがあった。



        「そのつもりだったのだが・・・・・・ちょっと、我慢できなくなってしまったでござる。すまない」



        そう言って、笑う。
        その、悪戯好きな少年のような表情は、あなたがわたしだけに見せる顔。
        わたしの他、誰も知らないあなたの顔。



        ―――ああ、そんな顔を見せられたら、怒るに怒れないじゃないの。
        ちゅ、と小さくひとつ頬に口づけてから、あなたは立ち上がり部屋を後にする。いったいどんなふうに言いくるめて、弥彦を長屋に帰すのかしら。




        あなたを想い始めてから知った、わたし自身が知らなかったわたし。
        ねぇ、それはきっと、あなたも同じなんでしょう?







        膝を抱えて紺の袴に顔をうずめると、おろした髪がさらりと肩をすべって流れる。
        そっと睫毛を伏せて、耳をすませてわたしはあなたの足音を待っている。
        あなたの指がもう一度、髪に唇に触れるのを待っている。











        (了)







                                                                                          2012.09.13





        モドル。