change to sweet





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        「生姜、入れていい?」



        食後の番茶を淹れる際、薫は剣心にそう訊いた。
        「いいでござるが・・・・・・入れるのなら、その半分くらいでいいでござるよ」
        彼女が手にしていた生姜の欠片は明らかに適量より多かったので、剣心は了承しながら助言も付け加える。
        薫は「半分ね」と頷きながら包丁を入れる。その手つきを見ながら、前よりは危なっかしくなくなったかな、と思う。


        しかし、生姜茶ということは、もしかして―――


        「薫殿、風邪でござるか?」
        「ううん、違うわよ。風邪気味・・・・・・までもいかないかしら? ちょっとこのへんの具合がおかしいかな、って」
        そう言って、喉のあたりを指で押さえた薫を見て、剣心は「大丈夫でござるか?」と気遣わしげに尋ねる。
        「横になったほうがよいのでは? 辛いようなら、今日の稽古は拙者がかわりに・・・・・・」
        おろおろと過保護っぷりを発揮する剣心に、薫は思わず「大袈裟ねぇ」と吹きだした。

        「ちょっと気になったから、用心に飲んでおこうと思っただけよ。だいたい風邪気味なんて病気のうちに入らないものでしょ? 見てのとおり元気だから、大
        丈夫!」
        そう言って笑いながら、刻んだ生姜と茶葉を入れた急須に、熱い湯を注ぐ。
        ふたりぶん淹れた生姜茶を盆に乗せて、薫は「縁側に行きましょうよ」と提案した。




        小春日和の今日は、屋内にいるよりも表で陽にあたっているほうが暖かい。柔らかな晩秋の日射しを頬に受けながら、薫は淹れたての生姜茶を喉に流し
        こみ「あったまるー」と目を細める。その様子を眺めながら剣心はかわいいなぁと口許を緩めたが―――ふと、首を傾げた。

        「薫殿、それ、嫌いだったのではござらんか?」
        そういえば、まだ弥彦が一緒に暮らしていた頃、川遊びをして冷えきって帰ってきた彼に同じものを作ってやったことを思い出す。確か、あの時薫は「なん
        だか、辛そうね」と言って口をつけなかった筈だが―――
        「うーん、嫌いっていうか、食わず嫌い?この場合飲まず嫌いかしら? でも、この前剣心が飲んでいるのを見ていたら美味しそうに見えてきて・・・・・・」
        言われてみれば、数日前の冷え込んだ朝、なんとなく思いついて急須に生姜を入れたことがあった。その時は彼女には勧めなかったのだが、あれを見
        て、薫は宗旨替えをしたらしい。


        「おいしいでござるか?」
        「うん、おいしい」
        「それは良かった」

        剣心はにこにこ笑ってそう言うと、ふっと指を伸ばして薫の頬に触れた。
        「・・・・・・なぁに?」
        「いや、嬉しいなぁと思って」


        不思議そうな顔でまばたきをする薫に、剣心は「食べ物の趣味は、変えようと思ってもなかなか変えられるものではないでござろう?」と言って、彼女の唇
        を指先で小さくつついた。
        「それを拙者が変えたと思うと、なんだか嬉しくて」
        「えー? そんな、小さな事が?」
        「結構、たいした事でござるよ」
        「そうかしら・・・・・・でも、剣心はもっと大きなものを変えているじゃない」
        「おろ?何でござる?」
        「この国よ」

        人差し指をぴっと立てて、薫は澄ました顔で言う。
        彼はこの国が大きな変化を遂げたとき、その渦中にいた一員なのだから。


        「それは・・・・・・拙者ひとりでやったことではござらんよ」
        「でも、一番辛い役目を引き受けて、守らなきゃならない人たちを守ってきたのは、あなただもの」
        薫はふわりと微笑むと、湯呑みを置いて、彼の真似をするかのように剣心の頬に触れた。
        「それに、考えてもみてよ。もし新しい時代が来なかったのなら、わたしは剣心に会えなかったかもしれないのよ?その事だけでも、わたしはあなたに感謝
        しているんだから」
        薫はありがとうと言って微笑み、剣心は彼女の顔をまじまじと見つめる。

        誰もが笑顔で暮らせるような、よりよい時代を創りたかった。そのために、沢山の人を斬った。
        結果、新しい時代は訪れた。仲間たちは皆「あの時流れた血は、新時代を迎えるために必要なものだった」と言った。
        それは、事実だろう。そうでないと、あの時散らした命はすべて無駄なものになってしまう。そう頭では理解していても、感情の上で納得することはできなく
        て、ずっと後悔を抱いて生き続けてきたけれど―――今の感謝の言葉で、ごく単純な事実に気づかされた。


        そうだ、あのまま幕府が倒れずにいたら、新しい時代を迎えられなかったら、俺と君の生き方は今とは違ったものになっていたかもしれない。そうなってい
        たとしたら、俺と君は出逢えなかったかもしれないんだ。

        今の、この時代があるからこそ、俺と君は出逢えた。それは本当に単純な事実だけれど、確実な「答え」をひとつ手に入れたようで。
        自分の辿ってきた道は、間違いではなかったと認められたように思えて―――



        薫は剣心の頬から指を離して、湯呑みをもう一度手に取ろうとしたがそれは寸前で阻まれた。
        こみあげた感情に言葉が追いつかなかったので、かわりに剣心は行動であらわすことにした。


        彼の腕にぎゅうっと抱きしめられた薫は、「あたたかいなぁ」と思いつつうっとりと目を閉じた。







        ★







        「風邪の予防なら、金柑がいいですよ」




        風に乗って聞こえてきた台詞が耳に引っ掛かったのは、食後の会話の内容が頭の中にあったのと、それが聞き覚えのない男性の声だったからだろう。
        声変わりをとっくに済ませた、青年の声である。庭で洗濯物を干していた剣心は、その声がした方へ―――道場の方へと足を向ける。
        稽古は今し方終わったところのようで、門下生たちは帰り支度をしているところだった。薫の姿を探すと、見覚えのない若者と話をしているのが目に入る。


        「よう、剣心お疲れー」
        「ああ、弥彦。あの御仁は誰でござるか?」
        ぽん、と背中を叩いてきた弥彦を捕まえて、「丁度良い所に」とばかりに訊いてみた。弥彦は剣心の視線を目で追って、ああ、と首を縦に動かす。
        「庄吉の兄貴だよ。弟を迎えに来たんだろ」
        庄吉、というのは薫が教えている門下生の少年で、剣心も見知っていた。弥彦の話によると、ここ最近その庄吉の兄者が、「すっかり日が短くなって、暗く
        なるのが早くなったから」という理由で、稽古終わりの弟を迎えに来ているらしい。

        「確かに日は短くなったが、まだ明るいでござるよ。夕方には充分間があるでござろう」
        「だから、それは方便だろ?まったく、世の中には物好きが多いよなー」
        後半の台詞には、明らかにからかう色が含まれていた。剣心は「迎えに来た」と言っている割には弟を放っておいたまま薫と談笑している兄とやらの顔を
        遠目に見て、「成程」と頷いた。
        「庄吉の兄貴も『年頃』だからな。何とかして気になる相手と話す機会を作りたいんだろうよ。涙ぐましいよなぁ」
        背伸びをしてきいたふうな口をきく弥彦に、剣心はつい頬を緩めた。弥彦自身はまだ「年頃」の一歩手前だから、こうやって面白がって評することもできる
        のだろう。あと数年もすれば、自分も燕殿相手に同じような状況になるやもしれぬのに、と思ったが、それは口にしないでおく。


        「確かに、涙ぐましいでござるな。少し考えれば徒労だと気づくだろうに」


        かわりに、身も蓋も無い台詞で庄吉の兄をばっさりと斬り捨てる。弥彦はあんぐり口を開けて剣心の顔を眺めてから、そのまま首を反らせて空を仰いだ。
        「お前さぁ・・・・・・薫に対してはそういう所、ほんとに清々しいくらいだよなぁ」
        呆れるのを通り越して感心した口ぶりだったので、剣心は「かたじけない」と笑った。




        その表情のまま、剣心はもう一度薫たちの方を見やる。
        かくんと首をもとに戻した弥彦は剣心に聞こえないように、「目が笑ってねーぞ」と口の中で呟いた。














        2 へ続く。