Calling you  【左之助】










        「・・・・・・まぁ、こんな怪我どうってことねーんだけどさ、それでも一応血や肉になるものは食っておいたほうがいいかと思ってよ。だから今日も赤べこに行っ
        てきたんだよな」




        洗濯をしている剣心の横でなんだかんだと世間話をしているのは、昼時にふらりと神谷道場を訪ねてきた左之助である。斬馬刀をかついで闘気もあらわ
        に「喧嘩」をしに来たのはつい一昨日のことだったが、今日の彼は丸腰で剣呑な空気も微塵もまとっていなかった。

        「毎度タダ飯食わしてもらってるからさ、流石に一番忙しい時間に邪魔をするのは悪ぃと思ってよ、ちっと早くから出掛けたんだよ。そしたら妙の奴、ひとの
        顔見るなり帳面を突きつけやがってよ、これまでの分もちゃんとツケにしてありますから、って言いやがるんだよ!」
        「しかし、食べ物屋では代金を払って食べるのが当然でござろう」
        只で食べるのが当然と言わんばかりの左之助を苦笑しながら諭すと、彼は「それにしても、殊更にっこり笑顔で言われたのが癪に障るんだよなぁ、一本取
        られたような気がしてよ」とため息をついた。その様子から見るに、反省の色はあまりないようだ。

        「むしろ、妙殿からの気遣いでござろう。お主を食い逃げ犯にしないためのな」
        「ああ、確かにそんな事も言ってやがったなぁ。こんなことで左之助さんを犯罪者にするわけにはいきまへん、とか何とか」
        妙の声色を真似てみせる左之助に、剣心はつい笑みをこぼす。そして、面白いものだなぁと心の中でひとりごちた。



        一度剣を交えた相手と、闘いの後にのんきに会話を交わしている。こんなのは、はじめてではないだろうか。
        幕末の頃の闘いは、そもそも命懸けだったから相手がその後生きていることのほうが少なかった。流浪人になってからは、刀をとって叩きのめしてきたの
        は悪党ばかりで、その後親しくしたいと思うような相手はいなかった。

        しかし、この喧嘩屋を廃業した青年は、歪んではいても根は真っ直ぐな男なのだろう。誰とでも親しくなれるような天性の明るさと正直さを持っているから、
        一度闘って負けた相手ともこうしてわだかまりなく接することができるし、妙にしてもそんな彼の憎めない人柄に、「ツケにしてあります」などと気遣いせず
        にはいられないのかもしれない。
        自分が、十九のときとは大違いだな、と。剣心は左之助の朗らかな性分をすこし羨ましく思った。

        「そんなわけでよ、昼飯食わして欲しいんだが、ひとり増えても大丈夫か?」
        それでどうして「そんなわけで」に繋がるのだと可笑しく思いながらも、剣心はとりあえず頷いてみせる。
        「大丈夫だとは思うが・・・・・・今日の昼の支度は拙者ではないので、訊いてみるといいでござるよ」
        「ああ、あの嬢ちゃんが作ってるのか。何ていったっけ、嬢ちゃんの名前」
        「薫殿でござる」
        「そうそう薫! 薫だったよな」



        左之助の明るい声に、洗濯をしている剣心の手が、ぴたりと止まった。



        「じゃあちょっくら台所に行って聞いてくらぁ。つーか、あの薫って娘、巷じゃ剣術小町って呼ばれてるんだろ?天下の剣客が小町娘の家で洗濯してるんだ
        から、つくづく平和な世の中だよなぁ。に、しても俺は器量はよくてもああいう気の強すぎる娘はちょっと・・・・・・」

        ぎりっ、と。妙な音が耳に入り、左之助は口を止めた。
        それは、剣心が洗濯物を絞る音だったのだが―――どれだけの力をこめているのか、とっくに水気の落ちきった洗濯物は、剣心の手の中でぎしぎしと繊
        維が軋んで悲鳴のような音をたてている。


        「薫殿は、台所でござるよ」
        にっこり笑顔で念を押すように。そして「殿」の部分を強調するように剣心は言った。
        左之助は壊れた操り人形のような動きでこくこくと頷くと、「・・・・・・ありがとよ」とだけ答えて踵を返した。










        「ご飯とお味噌汁なら、もう一人分くらい大丈夫だけど・・・・・・っていうか左之助、あなたやっぱりまだ入院してたほうがいいんじゃないの?」
        襷掛けで昼食の支度をしていた薫は、左之助の顔を見ながら眉をひそめた。
        「・・・・・・え?」
        「だって、昨日より顔色悪いしなんか脂汗も浮いてるし。傷が悪くなると剣心も心配するわよ」
        「いや、大丈夫大丈夫ほんとに大丈夫」
        むやみやたらに首を振る左之助に、薫はますます不思議そうな顔になる。そんな彼女に左之助は「闘気にあてられただけだからよ」と答えた。

        「なぁに、まだ剣心と喧嘩する気なの?懲りないわねぇ」
        可笑しげに笑う薫に、左之助はひきつった笑いを返した。


        ―――さっき、剣心から感じた闘気は、一昨日戦ったときの比ではなかった。顔は笑っていたが、明らかに目の色が違っていた。
        彼とこれから親しく友人づきあいをしてゆくためには、この娘のことは「嬢ちゃん」と呼び続けたほうが良さそうだ。あんなのを恋敵にまわしたら、命がいくつ
        あっても足りなさそうだから。




        「・・・・・・まぁ、こういう気の強い女は俺の好みじゃねえのが幸いだったな・・・・・・」
        「・・・・・・ちょっと、喧嘩売ってるの?」


        左之助の呟きを聞き逃さなかった薫は、手近にあったすりこぎ棒を振りかざし、「受けて立つわよ」と言って彼を睨んだ。











        了。







        
次は、誰の名前を。





                                                                                           2016.07.09