「まだ、痛むでござるか?」
寝間着姿で寝台の前に座り、ごそごそと紅絹の眼帯を外している薫の背中に声をかけた。
「・・・・・・あんまり見ないで」
「見ていないでござるよ」
「嘘。鏡、映ってるんだから」
「おろろ」
ブラインドナイト
薫の右目がしくしく痛み出したのは五日前のこと。
たいしたことないから大丈夫だと言い張る薫を半ば叱りつけるようにして、剣心は彼女を医者に引っぱって行った。
玄斎から紹介された眼医者は「眼球に異常はないですよ、ただ目蓋の裏に小さなできものがありますね」と診断した。
「取ってしまえば再発もしませんから」
医者はあっけらかんと言ったが、目蓋を引っ張られてするりとやわらかい粘膜にメスを当てられたときは、薫は生きた心地がしなかった。
それは、メスが近づいてくるのが見えるのと切られるのとが怖いのもあったけれど―――それより何より、扉を隔てた向こうからひしひしと剣心の殺気らし
きものが伝わってくるのが、気が気でなかったからだ。
ごく簡単な手術が終わった後、痛み止めを飲んで寝台で休んでいる薫にむかって剣心は、「いや、もしあの医者がうっかり薫殿の目や顔に傷をつけでもし
たら・・・・・・どうしようかと思ったでござるよ」と笑った。
「どうしよう」と言ってはいるが、薫の耳にはあの医者を「どうしてくれよう」と言っているように聞こえた。まず、途中に挟んだ妙な間が怖かった。薫はやっぱ
りひとりで来たほうがよかったかしらと冷や汗をかいたが―――それでも心配してくれるのは嬉しかったので、「ありがとう」と剣心を見上げながら笑ってみ
せた。
「薫殿、冗談抜きでちょっと見せてみて。どんな具合か気になるでござるよ」
「・・・・・・いいけど、笑わないでよ?」
薫は渋りながらも、布団の上に座る剣心のそばに膝でにじり寄った。
右手で隠していた目を、そっと露わにする。
「笑うって、何を?」
「お岩さんみたいでしょう」
拗ねた口調。確かに、右の目蓋はいつもよりは少し腫れぼったく見えなくもない。
「言われないとわからない程度でござるよ」
「本当?」
「それに・・・・・・」
「何?」
眼帯を片手に、右目を押さえる薫が首を傾げる。
平絹の紅が映えて、薫の肌はいつもより余計に白く見えた。
「目病み女は色っぽいと昔から言うが・・・・・・成程そのとおりだな、と思って」
薫の頬が、赤く染まった。
「・・・・・・ばか」
「もう、痛くない?」
「うん、おかげさまでもう全然! このぶんだと、そろそろ眼帯も取れるんじゃないかしら」
そう言って薫は、眼帯を結びなおそうとした。夜、寝る前には必ず新しいものと換えないと悪い菌が入るから、と医者から言われている。
「ちょっと待って。それ、拙者がつけてもいいでござるか?」
「いいけど・・・・・・」
あんまりきつく締めないでね、と言いながら、薫は紅絹の布を渡した。眼帯、と言っても、要は襷のような一本の布地である。ぎゅうぎゅうに結ばれては
逆に痛くてかなわない。
「大丈夫、じっとして」
薫は、近づいてくる剣心の気配に、反射的に両目を閉じた。
閉じた目蓋に、眼帯が触れる感触。しかし、これは。
「ねえ剣心」
「ん?」
「隠すのは、片目だけでいいんだけれど・・・・・・」
頭の丸みに沿って、きちんと巻かれた眼帯。
と、いうより―――両目を塞がれたのでは、ただの目隠しだ。
「もー、遊んでないでちゃんと結んで?」
薫はのんきに笑ったが、剣心の返事はなかった。
「―――剣心?」
目隠しをしているのだから、何か言ってくれないと彼がどうしているのかわからない。軽い不安が首をもたげて、薫は自分で眼帯を外そうとした。
しかし、ふいに剣心の気配が近づく―――というか、肉薄したのを感じる。
「え? わ・・・・・・きゃっ!」
見えないけれど、わかる。背中に、布団の感触。
そして、身体に感じる剣心の重さ―――押し倒された。
「ちょ・・・・・・な、なに?」
薫は仰向けにされたまま、眼帯をはずそうとして頭に手をやろうとした。が、剣心に制される。
「そのまま」
「え?」
意味がわからず、薫の語尾に疑問符がつく。
「目隠しをしてすると、『いい』って・・・・・・聞いたこと、ないでござるか?」
理解するのに、僅かばかり時間がかかった。
「・・・・・・な・・・・・・?!」
剣心の髪が、頬にあたるのを感じた。そして、唇の重なる感触。
「・・・・・・!」
口付けられながら、薫は目隠しを取ろうともがいたが、その手を剣心の手がぐいっと掴む。
「っ・・・・・・冗談、よね・・・・・・?」
「いい子だから、おとなしくして」
「や・・・・・やだぁっ!」
結ばれた紅絹の下からのぞく柔らかい耳たぶを、剣心は唇できゅっと噛む。舌先でくすぐられて、薫が身体を大きく震わせた。
「―――怖い?」
答えられずに、薫は唇を噛みしめる。
怖くない、と言ったら、それは嘘だ。
みずから目を閉じているのとは、まったく違う感覚。
視界を完全に奪われて、剣心の指が、唇が、何処に触れようとしているのがわからないのが不安で。
けれど反対に、抱きしめられていないと、何も見えない闇夜に投げ出されたみたいでもっと心細くなってしまいそうで。
「ねぇ、いつもと違うでござるか?」
「・・・・・・よく、わからない・・・・・・」
「じゃあ、わかるまでそのままでいて」
しゅる、と寝間着のしごきが解かれるのがわかった。素肌が空気に晒されるのを感じる。
剣心の肌が触れる。彼も夜着を脱いだのか、重なったところから彼の体温が直に伝わってくる。そして―――
「―――あ」
「・・・・・・何?」
「剣心、ちょっと、そのままでいて」
おそらく無意識に、薫は剣心の言葉をそっくり繰り返した。
「・・・・・・鼓動が」
「え?」
しっ、と薫は剣心の台詞を遮った。
ひととき、ぴったりと身体を重ねたまま黙っていた薫は、やがて、口許を緩めた。
「剣心、鼓動が早い」
「・・・・・・え?」
「こういう時って・・・・・・わたしばっかりどきどきしてるものかと思っていたんだけど、剣心もちゃんとどきどきしているのね」
薫はそう言って、嬉しそうに笑みをこぼす。
剣心は薫の上に身体を重ねたまま―――彼女の指摘に、「ばれてしまったか」と眉根を寄せた。
肌を重ねて愛し合うようになってずいぶん経つけれど、未だに君に触れる瞬間には慄えてしまうし、未だに心臓はどきどきと早鐘を打つ。
けれど、そんなの当然だ。こんなにも大好きなひとを抱けるよろこびに、慄えないほうがどうかしている。
ふるえるほどに嬉しくて、胸がどうしようもなく高鳴って―――そして結果的に、みっともないくらい溺れてしまう。
出来ることなら、せめて夜くらいは君より優位に立っていたいから。ひとまわり大人なぶん、君より余裕があるところを見せたいから。君の視界を奪うこの
悪戯だって、結局は、そういう思いから生まれた衝動だ。
本当は、余裕なんてまるでない。
夜を重ねてゆくたびに、君はどんどん綺麗に、どんどん大人になってゆくようで―――そのことが嬉しくもあり、また怖くもある。
日に日に艶やかになってゆく君に、俺はどこまで溺れてゆくのだろう。
いつまで俺は―――君に対して、優位に立っているふりができるのだろう。
ともあれ、どきどきしていることに気づかれてしまったことは失敗だったが、今日のところはまだ取り繕うことは可能だろう。
「・・・・・・それに気がついたくらいだから、やはり普段より敏感になっているのかな」
え? と、薫の心音がひとつ大きく跳ねて、口許から笑みが消えた。
「あの、剣心・・・・・・これ、はずしても、いい?」
「駄目」
乳房に、舌が触れる感触。
「・・・・・・や!」
不意打ちに、薫の白い喉が大きく仰け反る。
強く吸われて、震える唇から切れ切れの声が漏れた。
「いつもと違う?」
「そんなの、わからな・・・・・・やんっ!」
「ねぇ、薫」
「お願い、はずし、て・・・・・・」
それには応えずに、剣心は薫の脚の間に指をすべりこませた。
鼓動の早さのことなど忘れてしまうくらい、頭の中を真っ白にさせてやろう。何も見えずに、何も考えずに。ただ、俺のことだけを感じるように。
彼女の内側に指で触れると、薫は泣いているような声を上げた。見ると、うっすらと眼帯に涙が滲んでいる。
―――泣き顔を見るのも、好きなんだけれどな。
しかし、紅絹の色と、それに負けないくらい朱に染まった、薫の頬。散らばる長い黒髪。
この取り合わせも、また美しくて。
「ごめん、しばらく・・・・・・そのままでいて」
耳元で囁くと、薫がいつもより強い力で抱きついてきた。
応えるように細い身体をかき抱いて、剣心は彼女のなかにふかく身を沈めた。
★
「・・・・・・剣心、痛む?」
「いや・・・・・・それほどでも」
「あー、まだ腫れてる」
「あの医者・・・・・・伝染る病なら、一言そうだと言ってくれればいいものを・・・・・・」
数日後、今度は剣心の左目に同じできものが出来た。
薫に眼帯を結んでもらいながら、剣心はがくりと肩を落とす。
「悪戯した罰よ、きっと」
すっかり完治して眼帯が取れた薫が、ころころと笑う。
「・・・・・・気持ちよかったくせに」
ぼそりと小声でつぶやいたのを聞き逃さず、薫はぺちんと軽く剣心の頬を平手で打った。
「薬湯つくってくるから、ちゃんと飲んでよね」
赤くなった顔を隠すようにして、ぱたぱたと厨へ走る後ろ姿を、剣心は右目だけで見送る。
―――否定は、されなかった。
明日眼医者に行ったら、余分の眼帯も貰っておこうか。
また、「使う」機会があるかもしれない。
了。
2015.05.25
ブログから下げましたので、挿絵はこちら。
モドル。