どぉん、と。
        音とともに、夜空に大輪の花が咲く。
        花びらは光の雫となって漆黒の空に溶けて消える。




        「きれい・・・・・・」




        思わず声に出したあと、視線を感じて横を向いたら、隣にいた剣心と目が合った。
        ふたり、特に言葉を交わすわけでもなく、同じタイミングで柔らかく微笑みあう。
        立て続けに打ち上がる花火に辺りが明るくなり、あちこちで歓声があがる。


        追いかけて、捜して見つけて追いついた大好きな人。
        あの夜さよならを告げられて別れたひとと、こうして今、並んで同じ花火を見て同じ時間を共有している。



        その幸福を、薫はそっと噛みしめた。










     あの夏の花火








        東京を発ったときはまだ柔らかな色だった木々の葉は、すっかり濃い緑となった。
        鮮やかな青に染め上げられた空に入道雲が沸き立つ季節は、そろそろ終わりを迎える。
        残り僅かな夏を楽しまなくては損だ、と言い出したのは左之助で、その夜は妙や燕も加わり皆で花火見物に繰り出すこととなった。

        打ち上げ場所にごく近い河原は昼間以上の人出だった。
        全員はぐれないようひとかたまりに集まってはいるが、自然な流れで剣心と薫は、皆の一歩後ろに並んで立つ形になる。



        「―――え、なぁに?」
        ふいに、横にいる剣心が何か口にしたが、聞き取れない。
        声は、ちょうど打ち上げられた花火の音と周囲のざわめきにかき消された。

        「―――これ、ありがとうって言ったんでござるよ」
        改めてそう言いながら、剣心は着物の襟元を指で示す。
        今日の剣心は麻地の夏物を着流しにし、逆刃刀を落とし差しにしている。その着物は、薫の父親が若い頃着ていたのを仕立て直したものだった。
        「あ、いいのよそんな、お古だし・・・・・・それ、父さんが夕涼みに行くときによく着ていたから、剣心にもいいかなぁと思って・・・・・・つい」
        「でも薫殿、昨夜遅くまでかかったのでござろう?」
        お見通しだった。
        確かに、花火見物は急遽決まった話だったから、薫はかなり慌てて針を進めた。幸い針仕事は得意なほうなので、急ぎでやっつけたがみっともない出
        来にはならずに済んだのだが。

        「ぴったりでござるよ、ありがとう」
        そう言って、笑う。
        少年のように、無邪気な笑顔で。

        ああ、初めて見る顔だわ、と思った。
        一度道場を去って、また帰ってきた彼。
        もう、あんなふうに消えたりしないのならば、これからの暮らしのなかで、こんなふうにどんどん新しい表情を見せてくれるのだろうか。




        花火が、あがる。
        どん、どん、と、音が身体に当たって響く。




        「    」




        歓声が起こる。
        花火の音と人々のざわめきが交錯する中、薫の唇が小さく動いた。




        「・・・・・・薫殿?」
        「え?」
        「すまない、今なんと言ったのでござるか?」
        「・・・・・・いいの、聞こえなかったなら」
        薫はふるふると両手を顔の前で振った。
        首を傾げる剣心に、もう一度「たいしたことじゃないから、ほんとにいいのよ」と話を打ち切り、視線を空へと向ける。


        花火はそろそろ終了に近づいてきたようだ。空にうっすら広がった煙が風に流れるのを待ったのち、連続して光の花が打ち上がる。
        花火の音と観客の声が一際高まった瞬間、薫は袖を横から軽く引かれた。
        「え?」
        隣の剣心を見る。今しがたの薫のように口を小さく動かし、何かを言っているようなのだが―――

        「ごめん剣心、聞こえな・・・・・・」
        ぐい、と。
        今度は強く、肩を抱かれて引き寄せられた。  
        よろめいた薫の身体を受け止めながら、剣心は内緒話をするように耳元へ唇を寄せた。
        触れてしまいそうなくらい、近くに。




        「―――拙者も、って言ったんでござる」




        最後の残りを全部まとめて、と言わんばかりに連続して上がる花火。
        しかし薫はその様子を眺めている場合ではなくて。周囲の賑わいも花火の音も耳から遠ざかって―――


        「・・・・・・聞こえてたんじゃないのよぉ・・・・・・」
        かあっと、急激に顔に血がのぼるのがわかる。恥ずかしくて・・・・・・消えてしまいたい。
        「いや、だって、とてもじゃないが今のは、『たいしたことじゃない』では済ませられないでござるよ」
        肩を抱いたまま囁く声は思いがけず真剣で、耳にかかる息がくすぐったくて、薫はますます縮こまる。


        最後の花火、一番大きな花が空に散る。
        色とりどりの光が黒い空を明るく照らし、幻のように消えてゆく。地上から見上げる人々から名残惜しげな声があがり、それらは波のようなさざめきに変
        わってゆく。
        「いやー、やっぱ間近で見ると違ぇなー!」
        「凄い迫力でしたねー!」
        左之助たちが振り向くのより一瞬早く、剣心は薫の肩からそっと手を離した。

        興奮気味の感想を口にしながら、帰路につき始める人々。剣心と薫も、皆の一歩後ろについて歩き出す。
        夜道でよかった、と薫は思った。真っ赤になった顔を皆に見られずに済んだから。いや、あるいは気づいている者もいるかもしれないが、とりあえず今は
        誰もひやかしの声をあげることはなかった。



        「・・・・・・剣心のせいよ」
        「おろ?」
        「おかげで、一番最後の凄い花火、見そびれちゃったじゃない」
        拗ねたような言い方に、剣心が目を細めて笑う。つい先程の再現のように、薫の耳元へ口を近づける。
        「それはすまなかった、でも、また来年があるでござるよ」
        「・・・・・・それもそうね」
        慣れない距離での会話にどぎまぎしながら、薫は答えた。そして、次の夏を思って胸の奥が暖かくなった。


        「来年も、一緒に見られるんだものね」
        赤く染まった頬を撫でる夜風は涼しく、微かに秋の気配を感じさせた。











        花火が、あがる。
        どん、どん、と、音が身体に当たって響く。



        花火の音と人々のざわめきが交錯する中、小さく口にしたのは「すき」という一言。











        (了)






                                                               
 2012.08.10






        モドル。