今日は12月24日。嬉しいことに、今年のイブは日曜日。
予定としては、剣心がうちに来てお父さんとお母さんに挨拶をして、それからふたりで街に出て軽くお茶して映画を観に行って、夜はちょっといいお店でご
はんを食べるはずだった。完璧なスケジュールのはず、だった。
けれど、今。
わたしは剣心のアパートの台所で、彼のお茶碗にお粥をよそっていた。
Wonderful Xmas Eve
「ごめん、本っ当ーに・・・・・・ごめん」
鼻声の彼からの、今日何度目かの謝罪に「だから、もういいってばー」と笑って返す。
剣心につきあって、わたしもお昼は一緒にお粥。滅多に風邪もひかない頑丈すぎるのが取り柄の身としては、こんなのもたまにはいいなと思っている。
ああでも、出逢ってから二年半くらい経つけれど、剣心がこんなひどい風邪をひいたことなんて、今までなかったなぁ。それを、よりによってイブに発熱し
ちゃうなんて―――うーん、運が悪いというか、タイミングが悪いというか。
熱はまだ、38度台。映画もレストランもキャンセルで、わたしは彼のお部屋にお見舞いにきている。
これもまぁ、ふたりきりのクリスマスといえなくもないけれど。
「梅干しと、卵黄の醤油漬けと、鶏そぼろと、どれがいい?」
「そんなのうちにあったっけ・・・・・・」
「お母さんが持たせてくれたの。クリスマスプレゼントだと思ってどうぞ、ですって」
「・・・・・・なんかもう、ほんと、申し訳ない・・・・・・」
パジャマ姿でがくりと頭を垂れる彼を観ていると、なんだかこちらのほうが申し訳なくなってきた。だって、剣心には悪いけれど―――実のところわたしは
この珍しい状況を、ちょっと新鮮に受け止めているんだから。
何せ、彼はわたしよりひとまわり以上年上の恋人なわけで、人生経験も豊富で家事のスキルも上でいろんな面で頼りがいがあって、そうなると普段はど
うしたってわたしのほうが「世話を焼かれる」ポジションになるわけで。でも今日はそれが逆転し、わたしが彼を看病する側―――つまりは「世話を焼く側
で・・・・・・あああごめんなさい、料理上手で普段からなにかと気の利きすぎる彼氏を持った女子としては、こっちの側に立てるだけでときめいちゃうものな
んですごめんなさい。
と、いっても、剣心のおうちの炊飯器はお粥が炊ける機能もついてるし、お粥のおともはお母さんがつくったやつだし。文明の利器と主婦の力に頼りまくっ
てはいるのだけど。
「この埋め合わせは必ずするから、約束するから」
「そんなの、気にしないでいいってばー。素敵なプレゼントだって貰っちゃったんだし」
そう、こんな状況ではあるけれど、しっかりプレゼントは贈りあった。剣心がわたしにくれたのは、腕時計。実用的でシンプルデザインだけれど、ピンクの
リボンでラッピングされた箱を開けるなり感激してしまった。なんとなれば、その時計は剣心が普段つけているものとお揃いだったのだ。
女性サイズの、小さな文字盤と華奢な鎖。でも、すぐに彼の時計とペアになっていると気づいた。
「これなら、学校にもつけていけるでしょう?」と剣心が言ってくれて、もっと嬉しくなった。去年のクリスマスに彼がくれたのは星のモチーフがついた可愛
いネックレスで、それはとても嬉しかったしとても気に入ったのだけれど、いかんせん、高校はアクセサリーは禁止されているから。でも、腕時計なら問題
なく着用できるから。つまり、これなら会えない時も、毎日お揃いのものを身につけていられるわけで・・・・・・うふふふふ、困ったな、これからは時計を観る
たびににやけてしまいそう・・・・・・
ちなみに、わたしからのプレゼントは手袋でした。昨年がマフラーで、幸いにして気に入ってもらえたらしくこの冬も使ってくれているから、それと一緒に使
えるようなのを・・・・・・うん、わかっています、芸がないですよねごめんなさい。でも限られたおこづかいのなかで必死に選んだんですごめんなさい。ともあ
れ、剣心も喜んでくれて「明日から使うよ」と言ってくれたからほっとしたんだけれど―――でも、このぶんだと、明日は会社、休んだほうがいいと思うんだ
けどなぁ。
昼食のお粥を、剣心はきれいにたいらげてくれた。きちんと食欲があることに、安心する。
お茶碗を台所に下げつつ、今朝着替えたというパジャマを洗濯機に放り込む。きっとこの後も汗をかくだろうから、今のうちに洗っておかなくちゃ。ちなみに
その際「下着は洗わなくていいから」と真顔で訴えた彼が、ちょっと可愛かった。まあ、まめな剣心は普段から洗濯物をためこんだりはしていないから、下
着の替えについては大丈夫でしょうし。
お皿を洗い終えて、ベッドの彼を覗きこむと、すやすやと寝息をたてていた。うん、薬も飲んだことだし、しっかり眠ったほうがいいわよね。
さて、と。
どうしようかな、これから。
今日は夕ご飯まで剣心のうちに居るつもりだけれど、とりあえず、ちょっと暇になったかも。洗濯機が止まるまで、なんとなくスマホをいじったりしていたけ
ど、じきにそれも飽きた。少し前なら「じゃあ勉強しようかしら」と参考書を開いたりしたんだろうけれど、おかげさまで、数週間前に推薦での合格を頂戴し
たのでもはや受験生ではないわけだし。
パジャマを干すと、いよいよすることがなくなった。
剣心の寝顔を見ているだけでも時間はつぶせるだろうけれど、ずっと眺めているのもどうかと思うし(逆の立場で考えると、ちょっと恥ずかしい)。
さて、どうしようかなぁと思っていたら、テレビの脇に出したままになっている、DVDのソフトが目に入った。
レンタルのお店のラベルがついたそれを、手にとってみる。どうやら、古い洋画のようだ。主演の俳優の名前が書かれているけれど・・・・・・聞いたことのあ
る名前。たしか、結構有名なひとの筈。
ベッドの方を見る。剣心は、まだ眠っている。
そーっと動いて、DVDをプレイヤーに入れる。テレビの音は、ぎりぎりまでしぼる。うん、字幕があるから音は小さくてもいいや。
座椅子をベッドのそばに寄せて、画面に見入る。
映画は、モノクロだった。
★
暇つぶしのつもりで観始めた映画だったけれど、気がついたら真剣に画面に集中していた。
主人公は、子供の頃から自分のことより他人のために生きてきたような青年だった。
その性格ゆえに、何度も精神的にも肉体的にも傷ついて、時には損をして悔しい思いもして。
けれど彼は、目に映る人々や愛すべき友たちの幸せのため、生まれ育った故郷の町のために、尽くさずにはいられない。
やがて彼は、大好きな女性と結ばれて、可愛い子供にも恵まれる。
ささやかながら、幸せな日々が続くと思われたが―――思いがけない悪意により、彼は身の破滅に追い込まれる。
陥れられ、八方塞がりになった彼。
残された道は、独り死に行くことだった。
しかし―――彼はすんでのところで救われる。
窮地に立たされた彼に救いの手を差しのべたのは、これまでに彼が助けてきた人々だった。
沢山のひとたちの善意と優しさに助けられ、彼は絶望的な状況を切り抜ける。
主人公が妻と子供たちを笑顔で抱きしめるシーンで、映画は幕となった。
「・・・・・・いい映画でしょう」
ふと、後ろから声をかけられる。
「・・・・・・ごめんね、起こしちゃった?」
「いや、ちょっと前に目が覚めたんだけど、ちょうど山場だったから」
すぐには、振り向けなかった。
何故なら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔になっていたから。
「びっくりした・・・・・・何の気なしに観たのに、こんな感動すると思わなかった・・・・・・」
ティッシュでなんとか見られるような顔にしてから、ようやく剣心のほうを向く。
「この映画、アメリカではクリスマスに観るのが定番なんだって」
「そうなんだ・・・・・・剣心は、前に観たことあったの?」
「学生のときにね。久々に観返したくなって、借りてきたんだけど」
「いい映画ね」と、まだ残る涙に鼻を詰まらせながら言うと、「薫が気に入ってくれてよかった」と、剣心はベッドの上で笑った。
ほんとに、いい映画だった。
ひとりの男のひとの人生を淡々と描いた、地味な内容なのかなぁと思いながら観始めたのだけれど―――「誰かのためになりたい」という想いが常に行
動の基準にある主人公が、辛い思いをしながらも最後には揺るぎない幸せを手にする姿には、なんというか、純粋に感動しかなかった。うん、やっぱり
こういうひとにこそ、幸せをつかんでほしいもの!
「・・・・・・なんか、いいわね。こういうの観ると、人に優しくなれそう」
心が洗われたというか、殊勝な気持ちになるというか。ああでも、本来クリスマスというのは、そういう日であるべきなのかしら。
今や日本のクリスマスといえば、キラキラしたイルミネーションの中ロマンチックにデートをする日みたいになっているけれど・・・・・・確か、昔読んだ絵本
にも、与えられるのではなく与えるのがクリスマスの精神なんだと、そう書いてあったっけ。
そう考えると、大好きなひとの看病のために過ごしている今年のクリスマスは、ものすごく正しいクリスマスなのかもしれない―――いやいや、いい話風
にしちゃったけれど、それって風邪で苦しんでる剣心に失礼よね、ごめんなさい。
「観終わったんだし、今日は早く帰りなよ。せっかくのイブなんだから、今夜は越路郎さんたちと過ごさないと」
「あ、大丈夫。今日はお父さんとお母さんもデートだから、帰っても誰もいないの」
「え?」
「せっかくのイブだから、レストランでご飯するんだって」
そう、「イブは剣心とデートするの」と報告すると、お父さんはちょっと面白くなさそうな顔をしたけれど、それならば夫婦水入らずのイブにしようと思ったら
しく、その後すぐにお店を予約していた。ちょうど今頃、いそいそと家を出るくらいのタイミングじゃないかしら。
「そうかぁ・・・・・・いいね、結婚しても、ずっと恋人同士みたいで」
「そうなの、らぶらぶなのようちの両親」
それは、娘からするとちょっと自慢だったりするので、座椅子にすわったまま軽く胸を張ってみせる。そう、小さいときからそんな仲の良い両親の姿を見て
育ったから、ごく自然に「わたしも結婚したら、お父さんとお母さんみたいな夫婦になりたいな」と思うようになって。そして、今はその夢はもっと具体的にな
って―――
「俺たちも、そんなふうになりたいなぁ・・・・・・」
まだ、眠そうな剣心の声。
でも、その声にその言葉に、心臓が止まるかと思うくらいびっくりした。
それはまさに、心を読まれたかのような一言だったから。
子供の頃からの、漠然とした憧れ。でも、今ではその憧れは、「いつか剣心と、そんな夫婦になりたいな」という願いにかわった。
それを、口に出して言ってみたことはなかったけれど、今の剣心の言葉は―――
どきどきとうるさい鼓動をもてあましながら、伸びあがるようにして、ベッドのほうを窺う。そこから先、彼の言葉は続かない。
そろりと立ち上がって、剣心の顔を覗きこんだ。
彼は、目を閉じていた。再び眠ってしまったのか、狸寝入りなのかはわからない。
今のひとことは、意識的に口にしたのか、それとも、熱に浮かされて胸の裡がぽろりとこぼれてしまったのか―――なんとなく、後者なような気がする。
剣心も、おんなじように思っているのかな。
わたしのこと、お嫁さんにしたいって、思ってくれているのかな。
嬉しくて、嬉しすぎて、また泣きたくなってしまって。膝をついてぼすっと彼の枕元、シーツに顔を押しつけた。
ごくごく近くに寝息を感じて、とてもあたたかな気持ちになった。
夕食は、目を覚ました剣心と一緒にシチューを食べた。
「わたしが作った」と言いたいところだけれど、正しくはお母さんと共作で・・・・・・あーん!だって病人に微妙なごはんを食べさせたくなかったんだもの!
っていうか、今回の剣心の風邪で改めて実感したけれど、こういう事態のためにもこれからは、剣道だけじゃなくお料理もがんばらなきゃ・・・・・・
ともあれ、タッパーに入れて持参してきたのを温めなおしてふたりで食べる。食後には、クリスマスケーキのかわりにコンビニで買ってきたアイスが待って
いる。
まだ、熱で少し潤んだ目をしている彼が、今日何度目かの「ごめん」を口にしたので、くすくす笑いながら「剣心、いいかげんしつこい」と言ってやった。
「いや、何ていうか、嬉しい、って思っちゃって」
「え?」
「予定がキャンセルになったのは残念だよ?でも、薫がずっと一緒にいてくれて、一所懸命看病してくれて・・・・・・それが凄く、嬉しくてさ」
星形に抜いたにんじんをスプーンでつつきながら、剣心は頬をほころばせた。
「独り暮らしをしてるとさ、風邪をひいたときにひしひしと孤独を実感するんだよなぁ。どんなに熱が出て苦しくても、全部自分でなんとかしなきゃいけない
から」
だから今日はとても嬉しいよ、と。おもはゆい台詞を臆面もなく言ってしまうところを見ると、まだ熱で頭がぼんやりしているのかしら。
いや、クリスマスだからかしら。今日は特別な日だから、こんな嬉しい感謝の言葉を、素直に贈ってくれるのかもしれない。
「わたしも、今日はとっっっても嬉しい日よ?風邪ひきの剣心には申し訳ないけれど」
力をこめてそう言ったら、「おろ?プレゼント、そんなに気に入ってくれた?」と返された。
「気に入ったけれど、それだけじゃないの」
「え、他になにかあったっけ」
「なんでもいいの!とにかく今日はいい日なの!」
熱にうかされてうっかりこぼれた、彼のひとこと。
まるで、小さなプロポーズのような、嬉しいひとこと。
イルミネーションも豪華な食事もない、風邪ひきの彼とふたりきりのクリスマス。
けれど、今日は最高の日。
互いが一緒にいられる幸せを再確認できて、優しい気持ちを贈りあって、泣きそうなくらい嬉しい言葉ももらえた日だもの。
そう、さっき観た映画のタイトル風に言うと―――
「素晴らしき哉、イブ!」
呟いてみたら、ぼさぼさ頭の剣心が破顔した。
カップのアイスクリームで乾杯をして、この聖夜を一緒に過ごせる幸福を、わたしはそっと神様に感謝した。
Merry Christmas!
了。
モドル。
2017.12.23