抱かれているとき、顔を隠すのは癖だろうか。




        「ちゃんと、見せて」
        顔を覆う手を剥がして、仰向けに正面を向かせる。
        汗で額に貼りついた黒髪を掻き分けて、剣心は薫の瞼に口づけた。

        「見てって、言ったでござろう? ほら」
        「やっ・・・・・・そういう意味じゃ・・・・・・な・・・・・・」
        「隠さないで」 
        「・・・・・・意地悪っ!」


        ぎゅっと目を閉じて唇を噛み、羞恥と快感に必死で耐える様子が可愛らしくて、もっともっと彼女が欲しくなる。
        何度夜を重ねて、何度肌を合わせても、果てしなく彼女を求めてしまう貪欲さには我ながら呆れるが、こうでもしないと追いつく気がしないのだ。
        君を想う気持ちはあとからあとから増えていって、どんどん膨れ上がって苦しいくらいで。こうやって身体ごと愛することで、少しでも君に伝えられないか
        と思っている。        

        薫の目尻にうっすら滲んだ涙。
        それは苦しさに流す涙ではないとわかっているから―――剣心の上気した頬に笑みが浮かんだ。










       
 3.5  (幕間)









        「目、閉じないで」


        ふにふにと頬をつつかれて、薫は重たげに瞼を動かした。
        「眠い?」
        「・・・・・・ちょっと、眠い」

        薫は掠れた声で返しながら、ぐりぐりと頭を剣心の胸にすりつけた。
        幾度も求められて、夜もすっかり更けて。
        そろそろ眠くなってしまっても無理はないのだが、剣心はそんな薫に構わず、小さな顎を捕まえると噛みつくように口づけた。
        「ちょ・・・・・・剣、心・・・・・・」
        「目、開けて」
        「む、無理っ・・・・・・」
        「薫殿の目が、好きなんでござるよ」
        唇の上で囁かれて、薫はおずおずと目を開ける。
        触れてしまいそうな近さで彼の睫毛を感じて、なんだか胸が苦しくなる。

        「・・・・・・こういう事、してるときの、目?」
        「いや、いつも」
        「だったら、こんなふうにしないで、もっとちゃんと言って? ほらっ」
        今度は逆に剣心が薫にぐいっと顔をつかまれて、きちんと目を見て話せる距離に頭を据えられる。
        真っ赤な顔で、ちょっと怒ったような表情で。けれど瞳は少し潤んでいてそれがなんとも艶っぽくて。


        ああ、こういう目も、好きだなぁ、と思う。
        けれど、勿論、それだけじゃなくて。


        「いつも、どこを見ているのかなぁって、凄く気になる。薫殿の視線はあちこちよく動くから」
        「・・・・・・落ち着きがないって言いたいの?」
        「そうではなくて・・・・・・きれいだから、見ていて飽きない」
        「・・・・・・」
        「それに、生き生きしている」


        大きくてきらきらした彼女の瞳は、今何を捉えているのか。
        どんな素敵なものを見つけて、そんなに楽しそうにきらめくのかと。

        生命力にあふれた、黒い瞳。
        彼女の見つめる先を追ってゆけば、自分も光のあるほうへ、ぐいぐい強く引かれてゆくような気がして―――



        「なんだろう・・・・・生きていてよかったなぁ、と。じいっと見つめられたら、そう思うんでござるよ」



        しみじみとそう言われて、紅潮した薫の頬に更に血がのぼる。
        昼間と同じく―――まさかそんな返答は、予想していなかった。

        「う、嬉しいけど・・・・・・さっきみたいな時に、ずっと開けているのは、無理・・・・・・」
        「うん・・・・・・それは、ごめん」
        「でも、わたしも剣心の目、好きよ」
        緋い前髪に指を絡めて、そこから覗く明るい色の瞳をじっと見つめる。


        「・・・・・・優しい色」
        「そうでござるかな」
        「なんかね、安心するの」

        熱っぽく見つめられたら、それだけでどきどきと苦しくて息が止まりそうになる、あなたの瞳。
        剣を手にしたときは、その視線は研ぎ澄まされた刃のようだけれど。微笑んだときの瞳は、とても優しい。
        その優しさが、きっとあなたの本質なのだろう。


        「・・・・・・ほかにも、剣心の好きなところ、いっぱいあるんだけれど」
        剣心の顔が近づいて、そっと目許に唇が触れる。
        先程、強制的に開けさせられた瞼が、今度は優しく閉ざされる。

        「いっぱいありすぎるから、どこが一番好きかわからなくなっちゃうの」
        「ああ、それは拙者もだ」
        「・・・・・・やっぱり、結局、そういうことなんだわ」
        「・・・・・・薫?」
        「好きなところがいっぱいありすぎて、どうして好きなのかわからなくなっちゃうのが・・・・・・ほんとに好きってことなのかなぁ」


        眠そうな声で、薫は結論づける。
        ことり、と剣心の胸に頬を寄せると、ふわりと彼の腕に包まれたのを感じた。
        「・・・・・・うん、わかるよ」
        かすかに耳に届いた同意の声に小さく微笑んでから、薫は安心したように眠りに落ちていった。









        剣心は、眠る薫の髪を静かに撫でながら、昼間の彼女の台詞を思い出していた。


        「わたしがそばにいるときくらい・・・・・・わたしの事見ててくれなきゃ、嫌なんだもん」
        まったく、そんな事を言われるのは今更だというのに。
        もうこの目は、君しか見えなくなるのではないかと疑うときさえあるのに。さっきみたいに君を支配しているときは、特に。


        君のことしか見えなくなって、心のなかの奥の奥まで、すっかり君で埋め尽くされてしまう。
        なのに君はあんなふうに見当違いのやきもちで拗ねて怒ったりして―――

        けれど、そんなふうに妬いたり可愛らしい我侭を言ったりするところも、困ったことに大好きだったりするから、我ながら始末に負えないと思う。
        好きなところがありすぎて、どうして好きなのかわからなくなる。つまりは君のその存在を、全部まとめて愛しているということ。



        君に出会って、一緒に過ごすようになって、気がついたらどうしようもなく好きになっていた。
        きっと、この想いは理由もなく始まったものだろうけれど―――数え切れないほどの「君の好きなところ」は、これからもどんどん増えてゆくのだろうな。
        君もそんなふうに俺のことを好きになってくれたのなら、とても嬉しいのだけれど。
        
        




        「しかし・・・・・今日も渡させなかったな」


        ひとりごちて、小さくため息をつく。
        数日前から懐に忍ばせている、青い蝶のかんざし。
        明日こそ絶対に手渡そうと心に決めて、剣心は薫を抱いたまま目を閉じた。















       
 蝶の見る夢 了。





                                                                                     
 2013.03.20







        モドル。