「一晩寝たら、もとに戻っているでござるかなぁ」
布団の上、寝間着姿の剣心が―――わたしの姿をした剣心が、そう言った。
おとなしく、ふたりでひきこもったままでの一日がもうすぐ終わる。今日はどこかに行って何をしたわけでもないけれど、わたしも剣心も妙に疲れてしまった
から、早く床につくことにした。きっと、慣れない相手の身体で過ごしたことや、入れ替わってしまったことに対する精神的な衝撃とかで、揃ってぐったりし
てしまったのだろう。
横になる前に、長い黒髪をいつもの三つ編みに編んであげた。そして手のひらの擦り傷に、軟膏を塗り直してあげる。
「ほんとね・・・・・・むしろ戻っていないと困るわよね」
「まったくでござる・・・・・・傷をつけてしまった拙者が言うのもなんだが、拙者はやはり、薫殿を守れる立場の身体でいたいでござるよ」
「だからぁ、こんな擦り傷、傷のうちに入らないんだってば」
あまりにしつこく気にする彼の額を、わたしは小さくぴん、と指で弾いてやった。剣心は「ああっ、駄目でござるよ薫殿の身体にそんなことをしては!」と慌
てて抗議してくる。うん、その反応はちょっと面白いかも。とはいえ―――過保護も度が過ぎるのはよくないと思うわ。
「ねぇ、剣心。大事に扱ってくれるのはありがたいんだけど・・・・・・わたしは別に、壊れ物じゃないのよ?あなたからしてみると華奢で脆くて心配なのかも
しれないけれど・・・・・・わたしの身体、それなりに健康で元気でしょ?」
一日、わたしと入れ替わって、彼もそれは実感していたのだろう。ぐいぐいと力強く、腕を曲げ伸ばしする仕草をしながら、「それは、そうでござるな」と大き
く頷いてくれた。
「あなたのような男性の身体に比べたら、頼りないかもしれないけれど・・・・・・それでも鍛えているぶん、そのへんの女の子よりは頑丈にできていて、体
力だってあるつもりよ?だから・・・・・・」
そこで口ごもったわたしの顔を、剣心が訝しげな目でのぞきこむ。
またしてもこれは恥ずかしい発言だわと思いつつ、でもこの流れではもう仕方ない、と。開き直って、続ける。
「だから、わたしはきっと長生きするし、元気な赤ちゃんだって産んでみせます。だから、安心して?」
わたしの姿の剣心の頬に、ぽーっと血がのぼった。
そして、次の瞬間ぎゅっと飛びつかれて抱きつかれて、ああ本当に早く戻りたいと思った。
一日そうされなかっただけで、わたしはすっかり、力強く頼もしく包んでくれる彼の腕が、恋しくなっている。
―――そうよね。剣心も大概過保護だけれど、わたしだってかなりの甘えん坊よね。
それからわたしたちは、手を繋いで眠った。
とてもじゃないけれどわたしも剣心も、入れ替わった今の状態で愛し合ったりする気にはなれなかった。
でも、互いの温もりは感じていたかったから―――せめて、ぎゅっと手を繋ぐ。
朝になったら元に戻っていますように、と祈りながら。
★
祈りは、天に通じたらしい。
翌朝目が覚めると、わたしはわたしに、剣心は剣心になっていた。
一日ぶりに、大好きなひとの姿を目の前にすることができて、わたしたちは嬉しくてたまらなくて抱き合って喜んだ。
やっぱり、わたしは理屈抜きで、剣心にこうやってぎゅっとされるのが大好きなんだわ、と。改めて、そう思った。
「しかし・・・・・・あれは夢だったのでござろうか」
わたしの手をとりしげしげと見つめながら、剣心は首をひねる。
と、いうのも、昨日転んでつけた擦り傷が、跡形もなくなくなっていたからだ。
「夢にしては、いやに臨場感があったんだけれど・・・・・・」
「ふたり揃って、同じ夢を見たのだとしても、それも奇妙でござるしな」
剣心は、わたしの手に傷がついていないことをひどく喜びつつも、「不思議でござるなぁ」と繰り返す。
「・・・・・・でも、もし夢だったとしても、よかったでござるよ。一日だけ、薫殿になることができて」
「え、どうして?」
剣心は、「元に戻れたからこと言えるんでござるが」と付け加えつつ、わたしの身体をもう一度抱き寄せた。
「薫殿を守りたい、と―――ますます強く、思えたから」
昨日、剣心は何度も繰り返していた。わたしの身体の細さ、か弱さに驚いた、と。
その、か弱さを身をもって体感して、「このひとを守っていかなくては」と、より奮い立たされたらしい。
そして、よりわたしのことを―――
「今までより、もっと、いとおしくなった」
抱きしめる力は強くて、そして優しい。触れてくる手のひらからも、彼の想いが伝わってくるようで、幸せすぎて眩暈がした。
確かに、この言葉を聞けてこの抱擁がもらえただけでも、昨日の「入れ替わり」には凄く価値があったと思う―――それに。
「わたしも、一日だけ、剣心になれてよかったわ」
「おろ?どうしてでござるか?」
「どうしてだと思う?」
うふふと笑ってはぐらかしたら、剣心は「気になるでござるよ」と言ってぐいーっと体重をかけてきた。
「おもーい!」と笑って悲鳴をあげながら、わたしは昨日、彼と入れ替わった感覚を思い出していた。
剣心の腕、剣心の足、剣心の身体。
彼の目から見える世界、聞こえる音も触れる感覚も、とても―――健やかだった。
見よう見まねで剣を抜いてみても、力をこめて洗濯物を絞っても、彼の身体はどこも痛くないしごくごく普通にそれができた。
ああ、よかった。
自分でそれを感じてみて、そう、思った。
ずっと、気になっていた。
恵さんが会津に行く前に告げた、剣心の身体の変化。
微弱ながらも蓄積されてゆく損傷、淀み。
いつかは今までのように、飛天御剣流は撃てなくなるということ。
剣心は、その事実を受け止めていた。
自然の樹々が、永遠に枝を伸ばし続けることはないように。それが当然のことで、年を重ねるという事なのだと、受け入れていた。
わたしも彼の想いに頷いてはいたが―――でも、心配だった。
普段の日々を、出逢ったときと変わらず、普通に振舞い、普通に過ごしている剣心。
しかし、本当は―――彼の身体の損傷は、淀みは、剣心を苛んでいるのではないかと。それがずっと気がかりだった。
優しい彼のことだから、もしも身体に不調があったとしても、痛かったり苦しかったりすることがあっても、わたしに言わず我慢している可能性もあるわけ
で。だからこそ面と向かって尋ねることもできなくて。
けれど、この度の入れ替わりで、それが杞憂とわかった。
昔の彼の身体の感覚と比べることは、流石にできないけれど―――昨日わたしが入っていた彼の身体は、それでもちゃんと健やかだった。どこも痛くも
苦しくもなかった。
それを知ることができたから。
だから、一日だけ、あなたになれて本当によかった。
あなたが「無事」で―――ほんとうに、よかった。
剣心の重さに耐えきれず、わたしは布団に倒れこむ。
敷布が背中を受け止めるのと同時に、彼の唇が降ってきた。
「・・・・・・昨日はこういうことも、できなかったからな」
どうもこれは、口づけだけでは済まなさそうな雰囲気だけれど―――今朝はわたしもあなたの腕が熱がいとおしくてたまらなくて、素直に腕をのばして背
中をかき抱く。昨日はこうして抱きしめあえなかったぶんも、しっかりと、想いをこめて。
「・・・・・・剣心」
「うん?」
「大好きよ」
その声も身体もなにより心も、あなたのすべてが大好きだから。
だから、ほんの少しの間、あなたになれてよかった。
あなたを感じることができて、互いの大切さを改めて感じることができて、よかった。
「・・・・・・拙者も」
だいすき、と耳許で囁かれる、その声に心の奥がふるえる。
あなたがあなたでいること、わたしがわたしでいられることに感謝をしながら、わたしはそっと目を閉じた。
とりかえばや夢譚 了。
2016.10.09
モドル。