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        午後になり、祝言が始まった。




        仲人を務めるのは浦村署長夫妻で、前川夫妻が親代わりとなった。彼等に見守られるなか、いつになく緊張した面持ちで金屏風の前に座っていた剣心
        は、ひそやかな足音に気づいてそちらに目をやった。
        浦村夫人に手を取られて、薫がしずしずと広間へ入る。
        美しい花嫁御寮の姿に、皆一様にため息を漏らした。そして、剣心の顔を見た前川が「ああ、これは大変だ。新郎が天女に魂を抜かれてしまった」とおど
        けた声で言い、あたたかな笑いが起こる。


        白い打掛と綿帽子を重たげにまとった薫の美しさは、清らかな白い花が咲いたようで、剣心が見とれるのも無理はなく―――いや、見とれるというより
        は、前川の言ったとおり魂を奪われてしまったように、なにか、とても尊いものを見るような目で、薫を見つめる。

        ああきっと今のこの瞬間、こいつの目には薫しか映っていないんだろうなぁ、と。傍らに控えていた弥彦はそう思った。
        弟子の自分から見ても、今日の薫はとてもとても綺麗だと素直に思えたくらいなのだから―――剣心の目には、その輝きはいかばかりだろうか。


        誓いの盃を持つ、剣心の指が震えていた。
        花嫁の頬にも、ひとすじふたすじと、透明な涙が流れる。
        厳かに、三三九度の儀は進み、剣心と薫は夫婦の誓いを交わした。

        彼らが出逢って間もない頃からずっと一緒に過ごしてきて、幾度も困難に行く手を阻まれるのを間近で目にしてきた弥彦は、ふたりが晴れて夫婦となる瞬
        間に立ち合うことができてよかった、と。心からそう思った。


        ふと、隣を見ると、一緒に男蝶女蝶を努めた燕が、感極まってぐすぐす涙ぐんでいた。
        「また泣く・・・・・・」と小さな声で言ってみたら、「仕方ないよ!」とやはり小声で言い返された。それは事実なので、弥彦は素直に「うん、そうだな」と謝った。
        実際、ちょっと自分も感動で泣けてきそうだったから、人のことは言えない。








        儀式は滞りなく結びとなり、剣心と薫は神谷家の仏壇に結婚の報告をし、香華をたむけた。
        そしてふたりが広間に戻ると、既に宴席は始まっていた。

        祝言に駆けつけてくれた者たちは、口を揃えて花嫁の美しさを誉めそやし、剣心はその横で終始相好を崩していた。はるばる京都からやってきた操はそ
        んな彼を「緋村にやけすぎ!新郎がそこまで締まらないのってどーなの?!」と茶化し、皆が笑い声をあげる。
        やがて、庭先が賑やかになってきた。ふたりの結婚を祝いに―――もしくは、剣術小町の花嫁姿を拝みに足を運んできた、他道場の剣術青年たちである。
        このあたりの剣術道場の関係者が祝言を挙げる際には、餅つきをするのが恒例となっていた。台所から蒸し上がった餅米を運ぶのを手伝う彼等に、花嫁
        が「今日は来てくれてありがとう!」と極上の笑顔を向ける。皆がぽーっと見とれたところに、すかさず花婿が「ありがとうでござる」と顔を出し、薫に想いを寄
        せていた幾人かの青年たちは断腸の思いで祝福の言葉を口にした。


        道場全体が賑やかであたたかな空気に包まれる中、次々と祝いの客が訪れる。
        そして、弥彦と燕が餅つきの順番待ちをしていたら、新たにやってきた客人に、「やあ、おふたりとも、お似合いですね」と、声をかけられた。

        ふりむくと、彩月堂の主人の姿があった。
        「どうですか?かんざしの件は、上手くいきましたか?」
        少し声を落として、こっそり訊いてくれた店主に、弥彦と燕は「それが・・・・・・」とばつが悪そうに真相を打ち明けた。店主は「おやおや」と驚いたように目を大
        きくする。
        「そうでしたか・・・・・・いや、でも良かったですねぇ。お祖母様お母様から受け継がれたかんざしを挿せるのならば、それが何よりですよ」
        「せっかく貸してくださったのに、すみません・・・・・・あの、これ、ありがとうございました」
        燕は、振袖の長い袂を探り、袱紗を取り出した。その中には彩月堂から借りたかんざしが入っている。
        しかし、店主は笑って首を横に振った。



        「それはもう、あなたがたのものですよ」



        言われた言葉の意味がわからずきょとんとする弥彦と燕に、店主は「そのかんざしは、差し上げます」と言い直す。

        「・・・・・・ええっ?!いやっ、そんなっ、駄目ですよそんなこと!」
        「そうだよ!薫のほうは丸くおさまったんだし・・・・・・これ、高いものなんだろ?!」
        「古いものですし、おふたりが思われている程高価でもありませんよ。それとも、このかんざしはお気に召されませんでしたか?」
        問われた燕は反射的に「そんなことありません!とっても素敵だと思います!」と答えてしまい、店主は「言質はとった」とばかりににっこり笑う。
        「でしたら、是非お納めください。あなたたちの一所懸命な様子を見ていたら、なんというか・・・・・・嬉しくなってしまいましてね」

        ふたりとも、薫のために必死になって―――そして弥彦は、燕を助けたいがために必死になって。子供ふたりが「誰かのために」懸命になる姿は店主の
        心を打ったらしい。
        「よかったら、あなたが大人になってお嫁にゆく時に髪を飾ってください。ああ、ほら・・・・・・あんなふうに」
        わっ、と庭に歓声があがる。弥彦と燕が店主の目線を追うと、そこには色直しをして綿帽子を外した新婦の姿があった。

        花嫁が登場したとたん、庭の空気がぱっと華やかになる。打掛の色は、あでやかな赤。大輪の花々が描かれたそれは、薫の快活な雰囲気によく似合っ
        ていた。
        そして、高島田に結われた髪に挿されたのは、鶴のかんざし。
        赤い水引で結びつけられ、身を寄せあった比翼の鶴が優雅に羽を広げている。


        改めて皆からの祝いの言葉を受けて、薫と、そして彼女の傍らに立つ剣心ははにかみながら礼を返す。彩月堂の店主は、弥彦たちに「それでは」と会釈
        すると、新郎新婦のほうへ足を向けた。
        燕は、かんざしが包まれた袱紗に目を落とし、「弥彦くん、一本持ってる・・・・・・?」と小声で訊いた。
        「は?いらねーよ!それを俺の頭につけろって言うのかよ?!お前が二本とも持っておけよ!」
        昨年、京都の白べこを手伝ったときに、冴の「趣味」とやらで髪にリボンを結われたことを思い出した弥彦は即座に断わった。燕は笑って袱紗を手のひら
        の上で開きながら「でも、わたしの髪じゃこれはつけられないよね」と、困ったようにつぶやく。

        「そんなの、今だって花飾りつけてるくらいだし、何とでもなるだろ。大人になったときに伸ばしてもいいし、なんだったら髢をつけるとかすりゃいいんじゃ
        ねーのか?」
        「あ、そっか・・・・・・それもそうだね」
        頷いた燕は、かんざしをひとつつまんで、耳の上あたりにかざしてみせた。


        「こんな感じ・・・・・・かな?」
        小首を傾げて微笑む燕は、馨があつらえた黒地の振袖も相まって、いつもより大人びて見えて―――いつもより、綺麗に見えた。


        弥彦は、自分の頬に血がのぼるのを自覚する。燕が問いかけたのに、どう返したものか答えあぐねていたら、「弥彦!燕ちゃん!」と、明るい声が降って
        きた。
        はっとして振り向くと、そこには新郎新婦の姿があった。

        「改めて、ふたりとも、今日はありがとうでござる」
        「おかげさまで、つつがなく三三九度を交わせました!ほんとに、ありがとうね」
        男蝶女蝶の礼を言われて、燕は「いいえそんな!」と、ぶんぶん首を横に振る。
        「こちらこそ、素敵な席のお手伝いをさせてもらえて嬉しいです・・・・・・おめでとうございます!」
        「ありがとう!ね、燕ちゃんも晴着姿きれいねぇ。ちゃんと見せてー」
        女性ふたりがきゃあきゃあとはしゃぐのに、弥彦は助かったとばかりに大きく息をつく。そして、今日はもう一貫して目尻を下げっぱなしの新郎にこっそり聞
        いてみた。
        「お前さ、薫に言ったか?花嫁姿の感想」
        「ん?勿論でござるよ」
        「・・・・・・なんて?」
        「きれいだ、と」

        当然、というふうに剣心は答えた。照れもせずに言い切った上に、こんな綺麗な花嫁と結婚できることが誇らしくてたまらないという風情の剣心に、弥彦は
        がくりと首を前に倒す。
        「・・・・・・大人になったら、そういう事って平気で言えるようになるものなのか?」
        「まあ、人それぞれでござろう。思ったことを言葉にして告げるのは、事によってはとんでもなく勇気が必要な場合もあるでござるしなぁ」
        「それって、暗に自分は勇気があるって言いたいのか?」
        「いや・・・・・・言わずに後悔するのはもうごめんだと、そう思っているだけでござるよ」

        その台詞に、弥彦は納得した。
        一度、薫を亡くしたと思いこまされた剣心は、告げるべき言葉を告げる前に、その機会を永遠に失ってしまう悔悟を嫌というほど味わった。だからこそ、現
        在の彼は気恥ずかしい言葉も躊躇わず口にできるようになったのだろう。でも、
        「・・・・・・いやだめだ、俺はまだ、その境地までは行き着けねーよ・・・・・・」
        眉根を寄せて唸る弥彦に、剣心は「頑張るでござるよ」と笑った。晴れやかなその笑顔に、弥彦は「ああ、こいつもこんな顔できるんだなぁ」と、眩しいもの
        を前にしたように目を細めた。


        昨年の、冬の終わり。
        掏摸の世界から救いあげてくれた剣心は、そんなお節介をしながらも、自分はいつも一歩引いたところに身を置いているような、いつ何処へ消えてしまっ
        てもおかしくないような空気をまとっていたのに。
        それが今日は、大勢のひとたちに囲まれて、その中央で祝言の主役として、これ以上ないというくらいの幸せそうな笑顔で、皆からの祝福を受けている。

        ―――あの日、剣心と薫に出会って俺の人生が変わったように、こいつも変わったのだろう。
        薫に出逢って、薫のことを好きになって、過去に決着をつけて、迷いなく未来を見つめられるようになった。


        ひとは、変われる。
        歩んできた過去を変えることはできないけれど、これから歩む未来を変えることはできる。
        そして、変わりたい、変わろうと思う原動力となるのも、また、ひとなのだろう。


        自分にも、いつか訪れるのだろうか。
        人生をともに歩みたいと思う、未来を見つめる指針となるような相手との、出会いが。

        漠然とそんなことを考えていた弥彦は、自分が無意識のうちに愛らしく着飾った燕を見つめていたことに気づき、慌てて首を横に振る。
        既にその相手とは、出会いを果たしている―――という可能性を認めるには、弥彦はまだ幼すぎた。
        「おろ?どうかしたのでござるか?」
        「あー、いや、別になんでもねーよ・・・・・・とにかく、剣心!薫!」

        改めて、弥彦はすうっと大きく息を吸い込むと、ばん、ばんと景気よく剣心と薫の背を叩き、そして―――



        「・・・・・・よかったな!おめでとう!!!」



        大音声の言祝ぎに、新郎新婦が目を丸くする。
        が、すぐにふたりは顔を見合わせ、これ以上ないという程嬉しそうに、笑った。



        「ありがとうー!!!」



        異口同音に叫ぶと、剣心と薫は弥彦に飛びつく。
        ふたりがかりでぎゅうぎゅうと抱きしめられて、弥彦は「苦しーって!」と笑い声混じりの悲鳴をあげた。

        「弥彦ー!燕ちゃんー!餅つき、あんたたちの番だよー!」
        操の呼ぶ声に、弥彦は花婿と花嫁の手をふりほどき、「おう!今行くー!」と応える。
        「ほら、行くぞ燕も」
        「うんっ!」
        燕は負けずに元気に返事をして、ふたりは揃って駆け出した。

        小さな後ろ姿を、剣心と薫は寄り添いながら見守る。
        頬には、よく似た柔らかな笑みをたたえながら。



        この一年、色々な出会いがあった。再会もあれば、別離もあった。
        色々なことが起こって色々なことが変化して、皆がそれぞれの道を歩み始めた。

        そして今日、剣心と薫は旅立つ。
        ふたり手を取り合って、新たな一歩を踏み出す、冬の終わりの門出の日。







        明治十二年、初春―――新しい季節が、今はじまる。














        祝言 了。








        モドル。