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        燕は、小さな風呂敷包みを胸に抱えて、長屋の戸の前で弥彦を待っていた。
        包みの中にあるのは、かんざしが入った桐箱である。


        あの後、弥彦と燕は誰にも声をかけずに、そっと道場を出た。皆が祝言の支度に慌ただしく、そして楽しげにこまごまと働いていたため、子供ふたりがこ
        っそり出かけたことに気づく者はいなかった。
        「祝言が始まるのは午後になってからだろ?それまでに戻れば大丈夫だって」
        そう言って弥彦は燕を促したのだが―――

        「待たせたな。じゃ、行くか」
        程なくして、長屋から出てきた弥彦に燕は駆け寄った。燕は彼の思惑についてはまだ何も聞かされておらず、頭の中には疑問符がいくつも詰まっていた
        が、まずは「行くって、どこに?」と訊いてみる。



        「代わりのかんざしを、探しに行くんだよ」
        その答に、燕は目を丸くした。








        ★








        「そのかんざしってさ、普段はしまいこんで、使っていないやつなんだろ?」


        燕が薫から聞いた話によると、鶴をかたどった鼈甲のかんざしは、彼女の祖母、そして母の遺愛の品らしい。
        祖母が祝言の際に挿したというそのかんざしは、薫の母の髪にも飾られた。それを受け継いだ薫も、今日の晴れの日に身につける為、ひきだしの一番奥
        から箱を取り出したのだという。

        それはつまり、大事なものではあるが「普段滅多に見ることがないもの」と言えよう。現に、一年近くあの家で暮らした弥彦も、その間あの箱を目にしたこと
        は一度もなかったし、存在すら知らなかった。

        「滅多に見ないってことは、よく似たかんざしとすり替えても、気づかれないかもしれないってことだろ」
        毎日身につけている着物や帯をすり替えるとしたら、相当似ているものを用意しない限り、気づかれてしまうことだろう。しかし、どんなに大事なものだとし
        ても、ごくたまにしか目にしないものならば、気づかれずに済む可能性もある。


        「だから、まずはよく似たかんざしを探しに行かないとな」
        「そんなに上手くいくかなぁ・・・・・・」
        「ぎりぎりまで探して、見つからなかったら素直に謝ろうぜ」
        「それに、探すってことはお店をまわるんでしょう?もし見つかったとしても、鼈甲のかんざしってかなり高価いんじゃないの・・・・・・?」
        「さすがに買うのは無理だろうから、貸してもらうよう頼むんだよ。勿論、借り賃を払ってさ」
        「だとしても、お金が・・・・・・」
        弥彦は懐を探って財布を取り出し、燕の前に突き出した。その財布は、普段彼が使っているのとは違うものだ。
        遠慮がちに開いてみると、大金とまではいかないが予想していた以上の金子が入っており、燕は目を丸くする。

        「弥彦くん、これは・・・・・・?」
        「赤べこで手伝いを始めてから、少しずつ貯めてたんだ。たいした金額じゃないけど、まぁ無いよりはマシだろ」
        弥彦が長屋に立ち寄ったのは、この財布を持ってくるためだったらしい。普段は手をつけないよう仕舞いこんである「貯金」用の財布なのだろう。


        「じゃ、行こうぜ。かんざしが売ってるのって、まずは小間物屋だよな?」
        そう言って、弥彦は燕の背中をぽんと叩いた。








        ★








        「鼈甲のかんざしで、鶴ですか。はい、ございますよ」


        小間物屋の女主人は、細面の顔に優しげな笑みを浮かべ、子供ふたりの客を招き入れた。
        店構えと店主の雰囲気から察するに、扱っているのは手の届きやすい値の品が多そうである。弥彦と燕はそれでもなんとなく緊張しながら、目当てのか
        んざしが来るのを待った。

        「お待たせしました。鶴のかんざしでしたら、今はこのようなものございます」
        戻ってきた店主が白木の盆に乗せて運んできたのは、まぎれもなく鶴のかんざしである。しかし、それを目にするなり弥彦と燕は、揃って肩を落とした。
        確かに、鼈甲で作られた鶴の意匠ではあるが、鶴だけではなく、その周りには松やら梅やらが華やかにあしらわれていた。大きさも薫のかんざしより、大
        ぶりに作られている。


        「これじゃ、いくらなんでもバレるよなぁ」
        「弥彦くん、それだけじゃないよ、ほら・・・・・・」
        燕は、小風呂敷を解いて桐箱を開けた。取り出した薫のかんざしを、店のかんざしの隣に並べてみせる。

        鼈甲は、天然のものであるから、ひとつひとつの色合いが異なっている。
        店のかんざしは明るい黄色だが、薫のそれは幾分落ち着いた色だ。新品と、長い時間を経たものとで質感も違っており、たとえ大きさや意匠が同じであ
        ったとしても、この風合いの差は如何ともしがたいだろう。


        「新品と取り替えるのは、無理かー・・・・・・」
        やはり浅はかな計画だったかと、眉間に皺を寄せて、弥彦は唸った。彼らが持参した羽の欠けた鶴を見て、店主はおおよその事情を察したのだろう。頬に
        指を当て「では、新品でなければいかがでしょう」と提案した。

        「え?」
        「骨董や古美術品の店でも、こういった装飾品を扱っているところはありますから・・・・・・そういう店のほうが、お探しのかんざしに似たものもあるかもしれま
        せんよ?」
        「骨董や、古美術品?」
        「そうですねぇ、この近所でしたら彩月堂さんが、かんざしも置いていたと思いましたが」
        「彩月堂!」
        大声で反応した弥彦に、燕は驚いて「知ってるの?」と尋ねる。
        「ああ、知ってる。っていうか薫が昔から馴染みの店なんだ、あそこなら・・・・・・」
        弥彦は彩月堂の主人の柔和な顔を思い浮かべる。あの店ならば、多少の無理はきいてくれるかもしれない。



        助言をくれた女主人は、「今度はゆっくりお買い物に来てくださいね。うちは若い娘さん向けのお手頃なものも、色々ありますから」と笑って見送りをしてく
        れた。
        ふたりは彼女に礼を言うと、善は急げとばかりに小間物屋を後にした。













        3 へ続く。