信 仰




     

誰かを好きになるということは、信仰に似ている。



「あー、おいしかった!」
天井の高いホテルのロビーで、君はご機嫌な声を上げる。
「結構お腹いっぱいになったね」
「うん、これなら来てくれる人たちも満足してくれるわよね」

まず第一に「料理の美味しいところにしよう」と。それが結婚式場選びについて、俺と君とで意見が一致したことだった。
このホテルには同僚の結婚式に出席したことがあり、その時食べた料理が美味しかったのとスタッフの対応が丁寧だったことで印象に残っていた。そのことを話してみると「剣心がおすすめするなら」と第一候補になり、他にも何軒か当たってはみたものの結局は初志貫徹することになった。無事に予約を取ることができ、今日は婚礼料理の試食会である。
どんな料理をお客様に提供するのか実際に試してみることができるし、披露宴での新郎新婦は―――特に新婦は、忙しくてろくに料理も食べられない可能性が高い。ブライダルフェアの試食会には、「それならば事前にじっくりゆっくり味わってもらおう」という目的もあるそうだ。


「やっぱり、ここに決めてよかったわねー」
「でも、普通こういうことって花嫁の希望を優先するものでしょう?最初に俺の提案したところでそのまま決まっちゃったけど、本当に良かったの?」
「もちろんよ!担当のプランナーさんもいい人だし、今日の試食会の会場も素敵だったじゃない?それに・・・・・・わたしまだ友達の結婚式に行ったことがないから、どんな会場でどんな結婚式がしたいとか、いまいち具体的なイメージがつかみづらいのよね」

ああ・・・・・・それは確かに、そうかもしれない。
何せ、君はまだ大学在学中。俺のプロポーズを受けてくれたのは、忘れもしない高校の卒業式直後である。まず間違いなく、君は親しい友人たちの中で一番早く、結婚式を挙げることとなるのだろう。
「会場に飾るお花もドレスも、わたしの好きなのを選ばせてくれたじゃない。挙式も神社に決まったし・・・・・・充分、希望に沿わせてもらっているわよ」
そう、「挙式はチャペルではなく、神社で白無垢がいい」というのが君の希望。古式ゆかしい白打掛に身を包んだ君を想像した俺は、一も二もなく賛成したのだった。そんなの、絶対に似合うに決まっている。

「でも、せっかくだからここのも見ていこうか。『空に近いチャペル』だって」
「見たーい!」
提案に、ぱっと挙手して賛成する君。そんな子供みたいな反応もまた可愛い。フェア中は、ホテル内の結婚式に関する施設が開放されており、受付したカップルは好きなところを見学できる。と、いうわけで、リーフレット片手にふたりでエレベーターに乗り込んだ。



「わぁ・・・・・・素敵・・・・・・!」
ホテル併設とは思えないほど、広々とした作りのチャペル。
白を基調とした祭壇へと続くバージンロード。それに沿って並ぶ参列者の座る椅子にも、やはり白い花々が飾られている。
真横の壁は一面のガラス張りで、この時間はたっぷりと陽の光が注ぎ込んでいる。ガラスの向こうはテラスになっており、屋外での写真撮影も可能なようだ。
「眺望が自慢なチャペル、アフターセレモニーはテラスで・・・・・・って書いてあるね」
「空に近いって、そういう意味なのね」

扉の傍に控えていたスタッフから「よろしければ歩いてみてくださいね」と言われて、ふたりでバージンロードにむかって一歩踏み出す。見学とわかっていながらも、なんだかくすぐったい感じがした。

「こういうところでの挙式も、ロマンチックでしょうね」
祭壇に向かって歩きながらうっとり目を細める君に、「予約、変更する?俺は薫の好きな方でいいよ」と提案してみた。が、君はすぐに首を横に振る。
「大丈夫!ここはここで素敵だけど、やっぱり白無垢が着たいもん」
「そこは、こだわりなんだ」
自分なりに、結婚式についてのこだわりがあること。そういうところはやはり女の子らしいなぁと、微笑ましくて頬がゆるむ。

「こだわりっていうか、小さい頃からなんとなく憧れていただけなんだけど・・・・・・キリスト教の神様より神道の神様のほうが、お世話になっている気がするっていうか、馴染みがあるっていうのかしら?初詣には毎年行ってるけれど、わたし教会のミサって行ったことないし」
「ああ・・・・・・確かに、それは俺も同じ」
「せっかく誓うのなら、馴染みのある神様に誓うほうがしっくりくるような気がして・・・・・・ってここチャペルなのに失礼よね!ごめんなさい!」
あわてて、バージンロードの先にある白い十字架に向かって謝る君。いや、神様はそんな不寛容ではないだろうし、こんなに可愛らしく謝られたら神様でなくとも許してしまうと思うけれど。
「まあ、チャペルで挙げるひとたちだって、別に深い考えがあってキリスト教式を選んでいるわけでもないと思うよ?単にロマンチックだからとか、そういう理由で選んでいいんじゃないかな」
「そうよね、日本人は宗教に対して『ゆるい』人が大多数だもんね。そこまで考えることもないわよね」

なお、最近は時代劇で見るような昔のスタイルを真似た「祝言婚」という挙式もあるらしい。神様ではなく参列した方々に向かって結婚の誓いを立てるそうだが、その場合も新郎新婦の服装は和装となる。挙式について相談していた際、それも案のひとつとして挙がったが、「あまり珍しすぎるのもどうだろう」という理由で却下となった。「じゃあそっちは来世にとっておこうか」と言ったら、真っ赤になった君から「気が早すぎ・・・・・・」と言われたものだった。
ともあれ―――

「ゆるい、っていうのは言い得て妙だね。クリスマスを祝った数日後には神社に初詣に行くし、うちの実家には仏壇も神棚もあったし」
「そうやっていろんな神様を大事にしたほうが、ご利益もたくさんあるかもしれないものね」
それはまた、彼女らしいポジティブな考え方である。なるほどと頷きつつ、バージンロードの一番先、祭壇の前に到着した。
クリスチャンではないけれど、やはりこういう場所に立つとなんとなく殊勝な心持ちになるから不思議だ。傍らに立つ君の、十字架を見つめる眼差しは静謐で―――きっと君も同じ気持ちでいるのだろう。




そして、ふと思った。
誰かを好きになるということは、信仰に似ている。


苦しいときにそのひとのことを思うと、力がわいてくる。
そのひとのためなら、何でもできるし何でもしてやりたいと思う。
敬虔な祈りを捧げる信者のように、心のなかにはいつもそのひとが居る。

そのひとの―――つまり俺にとってはただひとり君なのだけど、大好きな君に、相応しい人間でありたいと思う。
君に恥じることのない、誠実で公正な人間でありたいと思う。

神の教えを信じるように、君の言葉や想いを常に尊重したいと思う。たとえ曇り空でも君が「いいお天気ね」と言えば「君がそう言うなら今日はいい天気なんだろうな」と思うだろうし・・・・・・いやいや、それはあまりに狂信的だろうか。でも、実際俺はそう思いかねないし、つまり、そのくらいどうしようもなく君のことが好きで好きでたまらないんだ。


不思議なものだ。
ほんの数年前まで、俺たちは互いの存在すら知らなかったというのに。

幸運な偶然の重なりで出逢えた、ひとまわり年下の少女に心を奪われて。
そのひとのいない人生なんて考えられないくらい、どうしようもなく大好きになって。
今はもう、君と出逢う前の自分が何を頼りに毎日を過ごしていたのか、思い出すこともできないなんて。



「・・・・・・剣心?」
怪訝そうな声に呼ばれて横を見ると、戸惑った君の顔と目が合う。どうしたのだろうと思ったが、理由はすぐに知れた。
バージンロードの先頭の、祭壇の前。俺は無意識のうちに、隣に立つ君の手をしっかりと握っていた。
それはまるで実際の結婚式のようで―――いや、結婚式だと、手を繋ぐのではなく腕を組むものだったか。

「・・・・・・薫」
「はい?」
「予行演習、してもいい?」
「・・・・・・え?」


目をみはる君の手をひいて、向かい合う形に立つ。きっと、これまで何組もの男女が愛を誓ってきたであろう、神聖なその場所で。
「え、えっと・・・・・・わたしたちは教会じゃなくて神社で挙式なんだから、ここで予行演習っておかしくない?」
「じゃあ予行演習じゃなくて、神社の神様だけじゃなく、教会の神様にも誓っておこうということで」
これは、考えようによっては神様たちにとって失礼な発言だったかもしれない。君は一瞬、ぽかんと呆気にとられたような顔になり、そして、鈴を転がすような声で笑った。

「確かに、わたしもさっき『ご利益もたくさんあるかも』って言ったけれど・・・・・・それにしても、結婚の誓いって、そんなに何度も誓っていいものなの?」
「誓ったぶん、ちゃんと守ればいいんだよ。なんだったら、来世のぶんも誓えばいいんだし」
「だから、気が早すぎるんだってば・・・・・・」
あれこれ理屈をこねてみせたが―――要するにたった今あふれてしまったこの感情を、すぐに言葉にして君に捧げたくなっただけである。


向かい合って立つ君の手をとって、黒い瞳を正面からじっと見つめる。
「神谷薫さん」
「はい」
「あなたはこれから、ずっと俺の隣にいて、俺と一緒に生きてゆくことを、誓いますか?」
「はい、誓います」

さっきまで笑っていたのに、背筋をしゃんと伸ばして真面目に誓ってくれるのが、なんとも君らしい。
普通の教会式ならこういう問いかけは神父がするものだろうけど・・・・・・まあ、気は心というやつだ。

「緋村剣心さん」
「はい」
「あなたは、ずっとわたしの隣にいて、わたしを好きでいてくれることを、誓いますか?」
「はい。むしろ・・・・・・好きはもちろんだけど、ずっと愛しているって誓えるけれど」
「じゃっ・・・・・・じゃあ、それを誓えますか?」
赤くなった君が微妙に目をそらしたので、首を倒して、こつんと額を君のそれにぶつける。
「はい、誓います」
「・・・・・・剣心も、同じこと聞いてよ」
「え?」
「ずっと愛しますかって、わたしに聞いて」
「・・・・・・俺を、ずっと好きでいて、ずっと愛することを、誓いますか?」
「はい、誓います!」

多分、実際の結婚式では厳かな雰囲気に飲まれるうえに緊張もあって、もっと粛々と返事をするものなんだと思う。
そういう意味では、こんなふうに至近距離で、元気いっぱいの満面の笑みで誓ってもらえたなんて、とてもとても幸せなことなのかもしれない。



笑顔に引き寄せられるようにして、そっと首を傾けた。
唇を重ねる直前、君の目が驚きに大きくなり―――おそらくは反射的に、睫毛の長い目蓋が閉じられた。

誓いの口づけを交わしながら、心の中で繰り返す。
君とずっと一緒にいることを、共に生きることを。ずっと好きでいることを、愛し続けることを。


天にまします神様と―――そして、ここにいる君に誓います。


誰かを好きになるということは、信仰に似ている。
だから、君に誓いをたてるのは、きっと正しい。







長いキスの後、完熟りんごみたいに真っ赤になった君から「公共の場で何するのー!」と叱られた。
確かに、フェア中のホテルは公共の場所だから君が怒るのももっともだけど、でも俺は今の予行演習で改めて、このホテルを選んで正解だったと思った。

何故なら、チャペルの入口にいたホテルスタッフは、俺たちふたりが祭壇の前で誓いを立てている間、ドアをきっちり閉じて見て見ぬふりをしてくれていたのだ。なんとなれば、扉の向こう側で他の客が入るのを押しとどめていてくれたのかもしれない。

公共の場で二人の世界に浸る困ったカップル(自覚はある、と言うか主に困った奴なのは俺)に対しても臨機応変に対応してくれるということは、きっとこのホテルのスタッフは優秀なのだろう。


「きっと、いい披露宴になるよ」
エレベーターに乗り込みつつ確信を持ってそう言うと、君はまだ赤い頬のまま「もちろんよ!最高にすてきで楽しいに決まってるわ」と力強く断言する。
花嫁になる日を目前に控える女性らしい、気概に満ちた返答が頼もしかった。




改めて、誓いを立てる本番を楽しみに、エレベーターの中で君の手を握り頬に小さく口づける。
一応ここも公共の場所だけど、今度は怒られはしなかった。
















2020.05.02





モドル。