三月吉日、晴れ。
        卒業式は、午前中に滞りなく終了した。

        ちょっとうるっときた場面もあったけれど、わんわん泣いたりすることはなかった。
        むしろ清々しさが気持ちの大半を占めるのは、それだけ全力投球して、悔いなき高校生活を過ごせたということだろう。


        部活も、学業も―――恋愛も。









      卒業式サプライズ









        クラスのみんなと別れたあとで、部活の道場へと向かった。
        なんとなくの予感を抱きながら、扉の前に立つ。
        かすかに人の気配を感じながら、扉を開ける。緋い髪と十字の傷が目に入って―――



        「薫せんぱい、卒業おめでとうございまーす!」
        そして、後輩たちの声とクラッカーの音に驚かされた。



        「やだ、みんな待っててくれたのー?!」
        「当たり前じゃないですかー!」
        「薫先輩、ぜったい道場に寄ると思いましたもん」
        ねー、と頷きあう後輩たちの輪に混じっている剣心は、なんというか・・・・・・とほほと眉毛が下がってしまった、いささか情けない顔をしている。
        「あ、緋村先生はさっき学校に来たところを見つけたんで、拉致して連行してきました」
        そう言って笑う後輩にあわせて剣心もあははと笑ったけれど―――うん、なんだろうな、彼の心情が手に取るようにわかるんだけど。


        剣道部のOBで、高校大学と輝かしい戦績を残した剣心は、顧問の先生からの頼みで、度々コーチとして稽古をつけにきてくれている。
        わたしたちが恋人同士だということは、部活の皆には勿論内緒だ。








        その後、同じように道場に立ち寄った卒業生たちもクラッカーの祝福を受け、せっかくだからみんなでご飯でもという事になり、ファミレスに向かった。
        大勢でわいわい思い出話に花を咲かせ、笑ったりしんみりしたり写真を撮ったりして、賑やかに時間は過ぎた。
        長居してたっぷりお喋りをして、お茶とジュースの飲みすぎでおなかもいっぱいになったところで、じゃあねまたね先輩たち部室に遊びにきてくださいねと
        手を振りながら、駅で解散する。
        めいめいの帰路につく皆の背中を見送って―――最後に、そこにはわたしと剣心のふたりが残った。

        わたしは彼に歩み寄って、他人行儀な距離をつめる。
        「・・・・・・えーと」
        「何か、わたしに言いたいことは?」
        「・・・・・・卒業、おめでとう」
        「他には?」
        「・・・・・・サプライズ、失敗しました」


        なんとも無念そうに大仰に眉根を寄せるのが、申し訳ないけれど可笑しくて、つい笑ってしまった。









        説明(言い訳?)によると、彼はわざわざ仕事を休んで(!)卒業式直後の学校に来たらしい。
        式が終わってすぐ、わたしの卒業を祝いたかったのだけれど、いかんせん学校に着くなり彼は速攻で後輩たちに見つかってしまった。「先輩たちに会いに
        来たんですね!」と言われて、いや正確にはそのうちのたった一人に会うために来たんだけれど―――と言いたかったんだけれど言うわけにもいかず、そ
        のまま部室に連行されてしまったらしい。


        ・・・・・・まぁ、剣心はOBで関係者だけど、校外の人間が敷地内にいたらそりゃ目立つわけだし。ましてや彼は格好良くて剣道部の後輩たちからも人気が
        あるんだから、目ざとく見つけられるのも仕方ないわけで。
        「まだまだ詰めが甘いのぅ」と、おどけて時代劇の殿様風に言ってみたら、「面目ないでござる」と情けない調子で返された。あ、なんかそれ似合う。

        「でも・・・・・・来てくれて嬉しい。ありがとう」
        それは本心だったので、素直に口にした。
        結果的に部活のみんなで賑やかに卒業を祝うことになっちゃったけれど、でも、今日こうして会えたことは嬉しい。ましてや、わざわざ仕事を休んでまでし
        て駆けつけてくれたのは、正直、ものっっっすごく嬉しいもの。


        剣心は、わたしのお礼の言葉にほっとしたように笑顔になると、「じゃあ、学校に戻ろうか」と言った。
        「え、何で?」
        「車、置きっぱなしだから」


        ・・・・・・あー。









        来客用の駐車スペースには、見慣れた彼の車があった。
        そうか、ファミレスでお酒を飲んでいなかったのは、まだお昼だからというだけじゃなくて、車で来ていたからだったのね。

        送って貰えるの嬉しいな。あ、それともちょっと遠回りしてドライブデートしてくれるのかな―――そんなことを思いつつ助手席のドアに手をのばそうとした
        ら、彼は「若き達人」の呼び名に相応しい身のこなしで、しゅばっと車とわたしとの間に割って入ってきた。剣の試合でも滅多に見せないような神速の体さ
        ばきに、何事かと呆気にとられる。


        「ごめん、乗るのはちょっと待って」
        彼はそのまま、自分の身体で車内を隠すようにしながらドアを開ける。気がつかなかったが、助手席には先客がいた。いたと言うより、置いてあった。
        それは人ではなくて―――大きな、花束。



        「改めて、卒業おめでとう」
        剣心が差し出したのは、薄紅に彩られた桜の花束だった。



        「う・・・・・・わぁ・・・・・・」
        可憐に咲き誇る桜。その枝を中心に、淡い色彩の花たちを寄せて集めて。
        優しいピンクの花たちに映える、藍色のリボンで束ねて。

        「す・・・・・・ごい・・・・・・!ありがとう剣心!すっごく素敵!」
        ああ、語彙の貧困な若者で申し訳ありませんと謝りたくなるけれど、素敵と凄いしか言葉が出てこない。そのくらい、花束は綺麗だった。


        「気に入った?」
        「うん、とっても!桜の花束なんて、わたし初めて見たわ!」
        「よかった・・・・・・薫には、桜が一番似合うと思ったから」

        ああ、きっと、どんな花束にしようか一所懸命考えたんだろうな。お花屋さんに相談して作った、特別な花束なんだろうな。そうか、これを部活の仲間たち
        に見られるわけにはいかないから、そのまま車の中に置いておいたというわけね。
        嬉しさにどきどきしながら、花束に見とれる。ねぇサプライズは失敗なんかじゃないわよちゃんと成功よ―――と言おうとして彼に視線を移したら、何故か、
        彼は地面に片膝をついてわたしを見上げていた。

        「・・・・・・剣心?」
        「喜んでもらえて、よかった。もうひとつあるんだ」


        彼の手の上には、リボンと同じ色の小さな箱があった。跪いたまま、剣心はそれを開けてみせる。
        指輪が、三月の陽射しを受けてきらきらと輝いた。




        「俺と、結婚してください」




        え。



        ええええ。



        えええええええー!!!!




        心の中で叫んでから、実際に声にも出して叫んだらあわてて立ち上がった剣心が「しーっ」と口の前に人差し指を立てた。
        「薫、声が大きい」
        「だだだだだって無理!だってびっくりしたんだもんだって結婚て、えええええー?!」
        どうにか音量を下げたものの、すぐに驚きが収まるわけはなく。わたしはただただ意味のない言葉を繰り返す。
        「いや、何も明日からすぐ一緒に住もうとか言ってるわけじゃないよ?!でももう無理だ、大学卒業するまであと四年なんてとてもじゃないけど待てない。だ
        から結婚してください」
        「だ・・・・・・だからの用法がおかしくない?!」
        嬉しい花束のプレゼントに続き、間髪いれずのプロポーズに、わたしの頭の中は飽和状態になってしまった。剣心は、パニックに見舞われるわたしの左手
        を掴んで引き寄せる。桜の花束を取り落としそうになって、慌ててバランスを取る。

        「・・・・・・返事は?」
        ・・・・・・あ。
        そうだ、そうよね。
        プロポーズされたってことは、返事をしなくちゃいけないんだわ。

        あまりに突然すぎて、めちゃくちゃびっくりしたけれど。とはいえ、わたしの気持ちなんて考えるまでもなく決まってるんだけれど。それでもちゃんと、しっか
        りはっきり答えなくちゃ。
        彼の真剣な眼差しをまっすぐに受けながら―――わたしは、当然すぎる返事を口にする。



        「・・・・・・はい!!!」



        先生に指名された子供みたいに、元気いっぱいに答えた。
        剣心の思いつめた表情が、光に照らされたような晴ればれとした表情にかわる。

        「ありがとう!!!」
        彼は、掴んでいたわたしの左手の、その薬指に指輪をはめた。そしてそのままキスをされた。


        驚きに目を見開いて固まったわたしは、それからゆっくりと目を閉じる。胸いっぱいに、幸せが満ちてくるのを感じながら。
        学校で、キスをされたのははじめてだ。
        ―――ああ、そうよね。もうわたしこの学校の生徒じゃないんだものね。だから、こんなことしても問題ないのよね。
        そこで改めて、わたし本当に卒業したんだわと実感がこみあげてくる。

        しかしながら、問題ないとはいえ人様に見られるのは恥ずかしい。わたしと剣心はしばらくうっとりと唇を重ねていたけれど、ふと駐車場に近づいてくる足
        音に気づいて、ばっと離れて車に飛び乗った。
        なんとなく、ふたりで小さく身を縮こまらせていると、数名の卒業生たちが笑いさざめきながら駐車場の横を通り過ぎていった。彼らの気配が遠ざかるのを
        確認して、わたしたちは揃って長く息を吐く。



        「・・・・・・剣心」
        「うん?」
        「サプライズ、失敗どころか大成功よ。すっごく驚かされたもの」
        「・・・・・・かたじけないでござる」
        またしても時代劇調の返事にわたしは笑い、彼も一緒になって笑う。抱きしめた花束の桜の花びらが、ふわふわ揺れる。どうしよう、夢みたいに幸せだ。

        「ねぇ、このまま区役所に行っちゃおうか」
        「え、いいの?!」
        わたしの提案に、剣心は目を輝かせた。でもすぐに「いや駄目だよ、まずは越路郎さんに許可をもらわないと」と踏みとどまる。あ、そうか、そうよねわたし
        未成年だしね。
        「じゃあ、お父さんに挨拶しに行く?」
        「う、ちょっと待ってそれは流石に心の準備が・・・・・・」
        恐れおののいて言いよどむ様子が可笑しくて、また笑う。お父さんは剣心のこと気に入っているから、なんの問題もないと思うんだけどなぁ。

        まぁ、でも別に急ぐ必要もないか。
        もうわたしたちは、コーチの緋村先生と教え子の神谷さんじゃないんだもの。
        今日からは誰からも隠れる必要もなく、堂々と恋人同士を名乗れるわけで―――ううん、それどころか、夫婦になるんだわ。



        「・・・・・・ありがとう」
        どうしよう挨拶どうしようと唸っていた剣心が、わたしを見て、不意のお礼に首を傾げる。
        「お嫁さんにしてくれて、ありがとう」
        何の礼かと訊かれる前にそう言ったら、剣心は顔を真っ赤にして「ありがとうは、こっちの台詞だよ!」と声を大にした。
        「プロポーズ、受けてくれてありがとう」と、感極まって抱きついてきた彼に、わたしは花束を潰されないよう慌ててガードする。

        頬に額にキスの雨を受けて、幸せすぎて・・・・・・やだ、ちょっと泣けてきた。
        おかしいなぁ、卒業式でも泣かなかったのに・・・・・・でも、まぁいいか、これは嬉しい涙だもんね。




        部活も学業も恋愛もがんばった。
        楽しいことも悲しいこともあったけれど、何事にも全力投球の、悔いなき三年間だった。
        特に恋愛は―――あなたに出逢えたことが、高校生活最高の宝物。






        あなたに出逢えて、一生ものの恋をした。













       
 了。









                                                                                         2017.03.25






        モドル。