ひざまくら 〜うれしい こりゃいい やわらかい〜






     

探している背中は、縁側にあった。
背中を部屋の方に向けているので、表情はわからない。でもなんとなく、もうあんまり怒ってはいないような、そんな雰囲気である―――あくまで、妻の勘ではあるが。


さて、何と声をかけたものか。
薫は人差し指の先を唇に乗せて、首を傾げた。


ケンカをしたのは約一時間前。
同じ屋根の下に居ながら、顔を合わせず口もきかずの状態がいよいよ寂しくなってきた。概して、緋村夫妻の喧嘩は長続きしない。
小さな歩幅で、剣心の背中に近づく。当然、彼は背後の気配に気づいていることだろう。真後ろに膝をついて、「ねぇ」と言いながら緋い髪をひとふさ、つん、と引っぱった。


「・・・・・・まだ、怒ってる?」


少しの間があって、「薫殿は?」と問い返された。

「怒ってないわ」
「その割には、遠いでござるな」
もう、と薫は頬を膨らませた。充分近くにいるじゃないのと口の中で呟きながら、良人の隣に移動する。

縁側に並んで腰を下ろし、剣心の顔をちらりと見た。
不機嫌な横顔。しかし、不機嫌を装っているように見えなくもない。


「ねぇ」
「うん」
「・・・・・・ごめんなさい」

先手必勝で謝った。
こちらが誠意を示せば、きっと彼もそれに応じてくれると、そう思って。


「・・・・・・しまった」
「え?」
「拙者のほうから謝るつもりだったのに、先を越されたでござる」


予想の斜め上の発言に、薫は吹き出した。
その反応に剣心は眉間の皺をますます深くしたが―――もうこれは不機嫌を「装っている」のほうで確定だろう。薫は「残念でした」と笑いながら、もう少しだけにじり寄って、彼との距離を近くする。

「剣心も、わたしに謝っていいのよ?早い者勝ちってわけじゃないんだから」
「いや・・・・・・しかし負けは負けでござるし、そうなると今から謝るのは悔しいでござるなぁ」
「もう、そんなの競うところじゃないでしょー?」
こうして軽口を叩き合っているということは、既に「和解」は成立している。そのことに心底ほっとしながら、薫は剣心に調子を合わせた。


「じゃあ・・・・・・すまなかったでござる」
「なんか、嫌々言ってない?」
「じゃあ、すまなかった」
ぱん、と拝むように手を合わせて謝られたが、なんだかふざけているようにしか見えない。いや、実際もう喧嘩は終了しているようなもので、薫としても本気で謝罪を求めているわけでもないのだが。
「気持ちがこもっているように感じられません。もっと、真面目に謝ってください」
ぴん、と背筋を伸ばして、かしこまった姿勢でそう言うと、剣心は「真面目に、でござるか」と殊更に考えこむように首を傾げる。さて、どんなふうに謝ってくれるのかしら、と。薫は期待をこめて彼の反応を待ったが―――

「それでは、失礼して」
そう言うなり、剣心は身体を倒して、ごろんと寝転がった。


薫の膝を、枕にして。


これは、薫にとっては予想外の行動である。
「け、剣心っ?!」
「うん」
「え、あの、ちょっと・・・・・・どうしたの突然?」
「いや、真面目に謝ろうと思って」
「この姿勢のどこが真面目なわけー?!」

不意打ちにおろおろ慌てる薫を、剣心は膝の上から見上げる。
そして、腕をのばして、薫の頬に少しだけ触れた。



「だって、こんな姿勢をとっていては、喧嘩など到底できないでござろう?」



その発言に―――薫は大きな目をぱちくりと瞬かせ、それから、ふわりと頬をゆるめた。


確かに、こんなくつろぎきった甘い姿勢をとりながら、いがみ合えるわけがない。
「喧嘩を終わらせよう」と真面目に考えた結果、剣心はおもむろに「喧嘩なんて出来っこない」姿勢をとった―――というわけだ。


「たしかに・・・・・・膝枕をしながらの夫婦喧嘩なんて、聞いたことないわね」
「そうでござろう?」

どこか得意気な剣心に薫はまた笑い、彼の手にそっと触れた。剣心は目を細めて、「・・・・・・すまなかったでござる」と囁くように言った。
「いいの、もう仲直りしたんだから」
「仲直り、できてるでござるか?」
「できてなかったら、膝なんか貸さずに立ち上がっています」
「おろろ、手厳しいでござるなぁ」
剣心が情けなく眉を下げ、薫は優しく彼の頭を撫でた。柔らかい感触に、剣心は心地よさげに深く息を吐き、目を閉じる。

―――ああ、なんだか子供みたいで、可愛いな。
緩く吹きこんだ風が、頬をくすぐる。午後の日差しはほどよくあたたかく、こうしているとさっきまで喧嘩をしていたことなんて忘れてしまいそうだ。
あら、でも実際なんで喧嘩していたんだったかしら―――と、薫がそんなことを考えていると、顔の横に垂らした髪を小さく引っぱられた。



「・・・・・・そろそろ、交代しようか」
「え?」
「膝、重くなってきたでござろう?」
その申し出に、薫はぱっと顔を輝かせる。






「頭、ごろごろしないでござるか?」
「ん、大丈夫。気持ちいいわ」

今度は剣心が縁側に座って、薫が横に寝そべる。彼の脚に頭を乗せて、心地よくおさまる姿勢を探す。
首を動かして、袴越しの体温に頬をすり寄せてみる。ふと、子供の頃父親の膝に乗って甘えたことを思い出し、口許が自然とほころんだ。



―――ああ、そうか。好きなひとの膝の上にいると、こうやって子供に戻ってしまうものなのね



髪を撫でてくれる、剣心の手が気持ちいい。
子供の素直さでもう一度「ごめんね」と謝ると、彼からも「拙者こそ」と返された。

甘くて、あたたかくて、居心地がよくて。大好きな相手としかできない、しあわせなひざまくら。
もともと、喧嘩が長続きしないわたしたちだけれど。もし次に、今日のように喧嘩をしちゃうようなことがあったら、その時はまたこうやって、ひざまくらで仲直りをするのはどうかしら。



こんなくつろぎきった甘い姿勢には、しかめっ面や尖った言葉は似合わない。
似合うのは笑顔と―――きっと、「大好き」とか「愛してます」とか、そんな言葉。





そう思って実際にそう口にしてみると、照れくさげに「拙者も」と返された。
こんなふうに仲直りできるのなら、たまには喧嘩も悪くないかしら―――そう思いながら、薫はもう少し彼の膝に甘えることにした。


















2018.09.15




モドル。