最寄り駅から、徒歩で十数分。
何度か歩いた君の家までの経路は、すっかり頭に入っている。
けれど君は俺の心情を察してか、あらかじめ「迎えにいく?」と尋ねてくれた。
今日ばかりはありがたく「ぜひお願いします」と、厚意に甘えた。
そういえば、はじめて君の家に行ったときも、そうだった。
あの日も今日と同じく、ぽかぽかと陽射しが優しい春の日で―――やはり今日と同じく、俺はめちゃくちゃ緊張していた。
右手には、君のてのひらのぬくもりを感じて。
左手には、手土産のお団子と桜餅が入った紙袋を下げて。
綿雲がふわふわと浮かぶ、明るい水色の空の下。
手を繋いで、君の家まで並んで歩く。
Spring has come
かわいらしい遊具が並ぶ小さな公園で、子供たちがはしゃぎ声を上げて追いかけっこに興じている。
街路樹の枝には雀が憩い、さえずる歌が風に乗って軽やかに流れる。
生垣と塀が続く、ごく普通の住宅街。
けれど、ここは君が育った街で、幼い頃の君もこの道を歩いて、この風景を眺めながら育ったのかと思うと、目に映るものすべてがいとおしく感じられて、
胸の奥がぽっとあたたかくなる。
君の住む街を訪ねるたびに、風景を眺めるたびにそんな思いがこみ上げてきて、いつも感無量になるのだが―――大事な挨拶が控えている今日に限っ
ては、むしろ背筋が伸びる思いだ。
「『人はむやみに出会うべきではない』って、有名な映画監督が言ってたんだけど」
道すがらの雑談にそんなことを口にしたら「なんで今、そんなこと言うの」と、険しい目で睨まれた。
形の良い眉にきりりと力を込めた、そんな怒り顔もまた可愛くて、一瞬見とれる。しかし、それこそ今日は喧嘩などしている場合ではないので、慌てて聞き
返す。
「え、なんでって?」
「出会うべきではないって、なんかそれ、ネガティブな話なんでしょう?」
「ああ、いや違うんだよ。むしろ完全に、その逆」
出会ったからには、その出会いを大事にするべきだ。
出会ってしまったからには、責任をもってその縁を大事にするべきだ。
それが出来ないのなら―-―いっそ軽々しく出会うべきではない、出会わないほうがいい。
それは、人との出会いを、人とのつながりのひとつひとつを大切にしていた監督が口にした、つまりは逆説的な表現だ。
「うーん、なんか生真面目というか、極端な理論ねぇ・・・・・・ね、その監督って誰?」
「ヒント、ラベンダーの香りでタイムトラベル」
「・・・・・・ああ!」
君は大きく頷くと、もはやスタンダードナンバーとなっている主題歌の、サビの部分を口ずさむ。
「正解!あれを撮った人」
「あの映画、剣心のうちで一緒に観たわよね。弓道女子って素敵だなぁって、ちょっと憧れたんだっけ」
・・・・・・そこで宗旨替えされたら俺が越路郎さんに恨まれただろうから、憧れだけにとどめておいてくれて助かった。とはいえ、君は弓を引く姿も似合うに違いない
ので、それはちょっと、いやかなり、見てみたい。
「でも、なんだか剣心みたいな考え方ね」
弓を構えた君の凜とした横顔を想像していると、そんなことを言われて、首を傾げる。
「え、そうかな」
「だって剣心、わたしと付き合いはじめた頃から、もう考えていたんじゃないの?付き合ってからの、その先のこととか」
「・・・・・・まぁ、うん、考えてた」
俺の返答に、君は「ほらね、正解」とまた笑う。
「『責任を持って』って、はじめてうちに挨拶をしに来た日の剣心、まさしくそんな感じだったし」
「そうだね。あの日ほど、勇気をふりしぼった日はなかったな」
なにせ君は未成年で俺は社会人なのだから、まずは「俺は無害な人間です責任を持って必ずお嬢さんを大切にします」と誓い、ご両親の信頼を得るところから
始めなくてはならなかった。
ご両親に直接会って娘さんとおつきあいをさせてくださいと申し込んで了承を得たうえで、ようやく俺たちは交際をスタートさせたが、当時の君は「いまどき、親から
そんな許可をもらってつきあう高校生なんていない」と呆れていた。
たしかに、高校生同士、百歩譲って高校生と大学生のカップルならば、そんな許可は必要なかっただろう。だけど俺は社会人ゆえに、ひとまわり以上ひらいた年
齢差ゆえに、きちんと誠意を示さなくてはならなかったんだ。
「そうよね、そうやって剣心が、私との出会いを大切にしてくれたから・・・・・・だから、今日みたいな日を迎えられたのよね」
君にとっても、今日は大事な節目の日になるわけで、それが感慨深くも、照れくさくもあるのだろう。くすぐったそうに浮かべた微笑みがまた愛おしくて、ああ本当に
この出逢いを手放さずにいられてよかったと、しみじみ思う。
俺たちの間にはひとまわり離れた年の差があって、もちろん世間の常識というものもある。
良識ある人間から見れば、この恋が普通じゃないことくらい、俺だってわかっている。
でも―――そんなものに、常識だとか人の目なんかに邪魔をされて諦めるだなんて、馬鹿げていると思ったから。
そんな障害を理由に君の手を離すだなんて、ありえないことだと思ったから。
そのくらいどうしようもなく、君との出逢いは特別で―――
そのくらいどうしようもなく、俺は君を、好きになってしまったのだから。
「わたしは、剣心に告白した日かしら」
「え?」
「今まで生きてきて、一番勇気をふりしぼった日」
それは―――それはものすごく光栄で、ものすごく嬉しい事だけれど。でも、
「俺だって、告白する気でいたんだよ?薫が卒業してから」
「ん、わかってる。それまで我慢してくれるつもりだったのよね」
うふふと笑みをこぼしながら、君は子供がはしゃぐように、つないだ手をぶんっと大きく振ってみせる。
「でも、剣心と恋人同士になれたおかげで、そこから先の高校生活、すっっっごく楽しかったわ」
・・・・・・そう言ってくれるなら、俺も蛮勇をふるった甲斐があるというものだ。
そして今日、ふたたびその勇気が試されるわけで―――
「大丈夫よ」
繋いだ手から、伝わったわけでもないだろうに。
君は俺の心を見透かしたように、握った指にきゅっと力をこめた。
「お父さんもお母さんも、剣心が家族になるの、楽しみにしてるから」
本来ならば、ずっと年下の君のことを、守らねばならないのは俺の方だ。そして勿論、生涯かけて君のことを守っていこうと決意している。
でも、たびたび思う。
折に触れ、励まされて勇気づけられて守られているのは、俺のほうなんだと。
たった今も―――君は最高に嬉しくて優しい言葉で、縮こまった背中を押してくれた。
かなわないなぁとも思うけれど、それでいいのかもしれない。
そうやって、守って守られて、支えて支えられて。ふたりで一緒の未来を見つめて手をつないで笑いあって。
そうやって生きていくのが、きっと、夫婦になるということなんだ。
「あのね、今日のお昼はちらし寿司だから。お母さんが作ったんだけど、わたしも手伝ったのよ」
うちのちらし寿司は美味しいのよ、と胸を張ってみせる君に、俺は「わかった、楽しみにしてる」と心からの言葉で答えた。
右手には、君のてのひらのぬくもりを感じて。
左手には、手土産のお団子と桜餅が入った紙袋を下げて。
胸には「薫さんと、夫婦になります」という言葉をあたためて。
綿雲がふわふわと浮かぶ、明るい水色の空の下。
手を繋いで、君の家まで並んで歩く。
頬を撫でる風もやさしい、うららかな春の日。
俺と君の新しい季節が、これから始まる。
了。
2024.05.18
モドル