7









        「素敵な祝言だったわねぇ」



        帰宅して、一息ついてのお茶を淹れながら、薫はしみじみとそう言った。
        まだ心は半分コリンズ邸に残してきたのだろう、うっとりと遠くを見るような瞳をしている。引き出物に渡されたケーキを切ってきた剣心は、皿を置くと薫の
        傍らに腰をおろす。妻の肩を両腕でくるんで抱いて、子供をあやすようにゆっくりと揺らしてやる。

        「新郎新婦も、周りの皆も、幸せそうでござったな」
        「幸さんの花嫁姿、とっても綺麗だったわね」
        「薫殿だって、似合っていたでござるよ」
        剣心の言葉に、薫は照れくさげにえへへと笑うと、「ありがとう」と言って彼に髪をすり寄せた。コリンズ邸の一室で、ふたりで挙げた小さな祝言。これも今
        日の大切な思い出となるだろう。

        「お花も、ちゃんんと希さんに届けられたそうだし・・・・・・身代わりなんてちょっとどきどきしたけれど、引き受けて大正解だったわ」
        「拙者は、違う意味でどきどきしたが」
        どきどきというよりは、むしろ肝が冷えたと言うべきか。何はともあれ、バルコニーの一件では薫が無事でよかった、と。そう思いつつ彼女の髪を撫でてい
        た剣心は、あることを思い出した。



        「花嫁から花束を贈られると、幸せになれるのでござったな」
        「そうよ、西洋にもいろんな縁起かつぎやおまじないがあるなんて、面白いわよね」
        「うん、それが気になったのだが・・・・・・薫殿、リボンを貸したでござろう」

        テイラー夫人と幸が、話していた。新しいものと古いもの、借りたものと青いものを身につけると、花嫁は幸せになれるというおまじない。
        幸はそれに倣って、新しいドレスに古いベール、薫から借りたリボンを身につけていたわけだが―――


        「でも、それでは三つでござろう?あとひとつ、『青いもの』は何だったのだろうかと・・・・・・薫殿?」
        どうしたわけか、彼女の頬がぽーっと赤くなったのに気づいて、剣心は首をかしげる。

        言おうか言うまいか、少しの間もじもじと躊躇してから、薫は「あのね」と切り出した。
        「幸さん、『青いもの』は身につけていたの。身につけてはいたんだけれど・・・・・・ひとからは、見えないところにつけていたの」
        そう言いながら、薫は膝を崩した。そして、着物の上から自分の腿のあたりをつついてみせる。


        「・・・・・・ここ、わかるかしら?」
        上目遣いで恥じらいながら示したそこに、剣心は手を伸ばす。触れてみると―――滑らかな絹の質感と、その下に、なにか引っ掛かるような感触。
        足に―――何かを着けているようだ。

        「・・・・・・これが?」
        「そう、これ」
        「見てもいいでござるか?」
        「あ・・・・・・やっ、ちょっとちょっと剣心!」
        慌てる薫を制して、剣心は彼女の着物の裾を割る。絹地と襦袢を押し開いて、白い脚を露わにさせる。




        その、肌のうえに、一輪の青い花が咲いていた。




        「・・・・・・これが?」
        「・・・・・・そう、これ」
        裾を乱された薫は、真っ赤になった顔を手で隠すようにしながら、頷いた。

        腿に巻かれているのは、小さなベルトだった。
        腰に着けるそれよりはずっと細く、色は朝方の空にたなびく淡い雲のような、青みがかった明るい紫。
        リボンと、青い八重の花弁がほころぶ花飾りをあしらった、可愛らしい意匠のベルトである。


        「・・・・・・洋服って、足袋じゃなくて靴下を履くでしょ?その靴下がずり落ちないように留めるのが、このベルトなんですって」


        ウェディングドレスの、長いスカートの下にあるガーターベルト。
        幸せな花嫁になるための青い色は、そこに隠されていた。


        「これ・・・・・・もらってきたんでござるか?」
        「うん、片方だけなんだけど・・・・・・なんていうか、記念、に?」

        慌ただしく着せてもらった、身代わり役のウェディングドレス。下着をつけて靴下を履いて―――その際、腿に巻かれた花飾りつきのベルトに、薫は思わず
        「可愛い!」と声をあげた。そして幸はそれを聞き逃さなかった。
        無事、妹に届け物をしてから、幸と薫はそれぞれ着替えをしたが―――幸は「今日の記念に、よかったら貰ってください」と悪戯っぽく笑って、薫の素足に
        再びベルトを戻したのだった。



        花嫁からの、そんな稚気のある「記念の品」に、剣心は頬をほころばせる。
        「伊達締めや腰紐と、おんなじでござるな」

        どんなに綺麗であろうと、それは身につけてしまうと誰の目にも触れない。
        いや―――君自身と、俺の目にしか触れないと言うべきか。


        「ちょ、ちょっと剣心、やだ・・・・・・」
        「だって、何故隠すんでござる?似合っているのに」
        さりげなく、裾を戻そうとした薫の手を、剣心はしっかりと押さえて阻む。
        「何故って・・・・・・確かめたんだから、もういいでしょう?」
        そもそもは剣心の、「青い色はどこに着けていたのだろう」という疑問から、こんな事態になってしまった。薫としては、まだ陽も落ちきらないうちに肌を露わ
        にさせられたのは大変に恥ずかしい状況なわけで、早く脚を隠してお茶の時間にしたいところで―――

        「いや、もうひとつ確かめたいことが」
        「って、何を・・・・・・っ!」
        疑問は口づけで遮られ、薫は反射的にぎゅっと目を閉じた。不意の接吻は思いがけず長く熱っぽく、身体から力が抜けてゆく。
        「あ・・・・・・」
        体重をかけられて、薫はあっけなく畳に倒れこむ。覆い被さった剣心は、きっちり結ばれた帯締めに手をのばした。
        「・・・・・・ねぇ、お茶が冷めちゃうわ」
        「あとで拙者が淹れ直すから」
        「もう・・・・・・」
        帯が緩められ、胸元がふわりと楽になる。薫は仕方ないと諦めたように、ため息をついた。

        「ああ、やっぱり、よく似ているでござるよ」
        「え?」
        仰向けになったまま視線を動かすと、剣心が解けかけた伊達締めを示してみせる。
        今朝方薫に着付けをした彼は、その色を覚えていた。


        襦袢を押さえている伊達締めは、青みを帯びた藤色。
        花飾りの下にある、脚に巻きつくガーターベルトと、そっくりな色だ。


        「面白い偶然でござるなぁ、まるでお揃いにしたみたいだ」
        「ほんと・・・・・・やっぱり、ご縁があってこうなったのかしら」
        今日の身代わりは、やはり薫が務めるべくして務めたのではないかと。そんな引き合わせを感じて、ふたりはくすくす笑った。そして笑みの形をとった唇の
        まま、剣心は薫の頬に首筋にと口づけを繰り返し落とす。

        「・・・・・・やっぱり、離してくれないのね」
        「婚礼の後は床入りでござろう?」
        「まだ、明るいじゃないの」
        「仕方ない、薫殿の所為でござるよ」
        伊達締めをほどいて襦袢の袷を開いた剣心は、胸元に唇を寄せながらうそぶく。


        靴下は脱いで返してしまったので、肌の上に直接巻いたガーターベルト。
        青い花と細いリボンをあしらったそれは、花嫁が身につけるのに相応しい清楚な意匠だ。

        しかし、乱れた絹の裾からのぞく白い太腿が、その青色で飾られている有様は、清らかさと色気とが絶妙にないまぜになって―――
        正直言って、俺にしてみればそそられることこの上ない。


        ベルトがついたままの太腿の、うちがわに手のひらを這わせる。くすぐるように指を動かすと、薫の喉の奥からため息とともに、細い声が漏れた。枝垂れ桜
        の着物に丸紋の帯、藤色の伊達締めにその下の襦袢と、花びらをむしりとるように順々に、身にまとうものを取り去ってゆく。けれども、花嫁からの贈り物
        は脚から外さずに、そのままにして。

        「・・・・・・よく、似合っている」
        白い裸身を飾る、細いベルトと青い花。
        組み敷いた身体を見下ろしながらうっとりと言うと、薫は目許を赤く染めて「馬鹿・・・・・・」と身を捩った。その反動で、青い花弁がかすかに揺れる。



        明日も、俺が着付けてやろう。そしてそのベルトを脚に締めてやろう。
        着物の下がどうなっているのかは、着た本人と着せた人間にしかわからない。
        見えないところを着飾るのは、君にとっての密やかなお洒落で、そして俺にとっては、独占欲を満たす優越感。






        自分も着物を脱いで、剣心は薫と身体を重ねる。
        俺しか見たことのない顔と聞いたことのない声で、君を甘く甘く泣かせるために。








        ★








        汽車と馬車との旅を終えて、新居に到着したのは真夜中だった。



        窓を開けて、新しい土地の新しい空気を胸に満たす。
        ひんやりとした夜気は少し湿っていて、清しい緑の香りがした。

        頭上に広がる星空が、明日もよい天気であろうことを教えてくれる。
        朝になったら、どんな風景が見られるのだろうか。



        新しい地での新しい暮らし。もちろん、不安も寂しさもたっぷりある。
        けれど、期待と希望もそれ以上にたっぷりある。

        だってわたしはひとりじゃない。これからは、大好きなひとと一緒の人生が始まる。
        その事が、前向きに進むための力をわたしに与えてくれる。

        恋人から良人となった、彼の声が聞こえた。
        呼ばれた声に返事をしながら、わたしは彼のもとにむかう。



        ドアを閉めるその前に、花瓶に生けた花が揺れた。
        「花嫁からブーケを贈られた者には、幸せが訪れるのよ」と姉は言っていた。
        祝言を抜け出してきたという姉の得意気な笑顔が脳裏によみがえり、つられて頬がほころぶ。




        東京からここまで、一緒に旅してくれた花たちに、感謝の意をこめて一礼し、わたしは部屋を出た。






        今日は、わたしと姉の旅立ちの日。














        something blue 了。




                                                                                          2017.02.11


        おまけ へ続く。