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        翌日、剣心と薫が連れ立って診療所に行くと、丁度恵が門からひょいと顔を出したところだった。



        「あら、剣さんおはようございます」
        「恵さん、わたしもいるんだけど・・・・・・」
        「ちゃんと目に入ってるわよ、優先順位っていうのがあるの」
        恵は憎まれ口を叩きながらも、切れ長の目を柔らかく細めて微笑む。そして、門のところに貼っていた「迷い猫」の貼り紙をぴりぴりと剥がしだす。
        「おろ?それを剥がしたということは、つまり・・・・・・」
        「ええ、ついさっき飼い主が訪ねて来たんです」

        恵に促されて中に入ると、猫は診療所の一室で、畳んだ毛布の上に寝かされていた。胴体は包帯でぐるぐる巻きにされていたが、無事だった尻尾が機嫌
        よさそうに揺れている。そして、猫の傍らには薫と同じ年頃の少女が付き添っていた。


        彼女は猫の飼い主で、昨日から家に戻らない猫を捜して街を歩いていたら、あの貼り紙を目にしたらしい。
        少女は「うちの子を助けてくれて、ありがとうございます!」と、薫に何度も礼を言った。神様は猫を見捨てなかったらしい。峠を越えることができた猫は、
        薫の顔を見て「にゃあ」と鳴いた。
        「ほら、拙者の言ったとおりでござろう?」
        少し得意気に、剣心にそう言われて。薫は彼に笑顔を向けて、大きく頷いた。







        ★







        その後、ふたりは薫の竹刀を「回収」しに行った。昨日、薫は怪我をした猫を抱いて走るため、道端に竹刀や道具袋を置きっぱなしにして診療所に向かっ
        たのだ。竹刀は昨日と変わらずその場所にあって、薫は安堵の息をつく。
        剣心が「寄り道して帰ろうか」と提案し、ふたりは帰り道の途中にある茶店に立ち寄ることにした。
        程なく、その店が見える場所に差し掛かったのだが―――



        「あら?」
        見覚えのある背中が三人分ばかり目に入り、薫は首を傾げる。
        「あれは・・・・・・前川道場の門下生たちでござるな」
        剣心も彼らに気づき、同様に怪訝そうにまばたきをした。
        どういう訳か―――彼らは物陰に身を潜めるようにして、茶店の様子を窺っているようだった。


        「あの・・・・・・何をしているの?」
        薫は、なんとなく音量を絞りつつ声をかける。彼らは驚いた顔で振り向いたが、すぐに「しーっ」と口の前に人差し指を立てた。
        「すみません、今に斥候部隊が帰ってくるんで、ちょっと音をたてずにいてください」
        剣心と薫は顔を見合わせて、わけのわからないまま彼らに倣い、屈んで身を小さくする。と、茶店の中から更に二人、門下生たちが飛び出してきた。

        「やったやった!大成功!」
        声を潜めつつも、彼らは喜色をあらわに仲間のもとに飛んでくる。そして剣心たちの姿に気づいて「あれっ、薫さんたちも見に来たんですか?」と、目を丸く
        する。
        「ううん、わたしたちはたまたま通りかかっただけなんだけど・・・・・・あの店で、何かあったの?」
        「榊がいるんですよ」
        その名を耳にして、剣心はあからさまに顔をしかめた。
        「正確には、榊と奴が粉をかけていた三人の女の子です」
        剣心と薫はますます首を傾げる。更に説明を求めると、彼らは「いや・・・・・・昨日のあいつがあんまり頭に来たもんで、ちょっと懲らしめてやろうと思いまし
        て・・・・・・」と、少々ばつが悪そうに話し出した。



        榊は、取り巻きである複数の娘たちに、二股ならぬ数股をかけていたらしい。
        それぞれの相手を「好きなのは君だけだよ」などと甘い言葉で口説いていたのだが、門下生たちはそのうちの三人の娘にそれとなく真相を伝え―――そ
        れから彼らは、何も知らない榊を呼び出した。彼女たちが鬼の形相で待ち受ける茶店へと。

        「・・・・・・で、今いい感じに修羅場になってるところですよ。あの女の子たちを利用したようで気がひけるけれど・・・・・・」
        「なに、彼女たちの為にもなるって。あんな性根の腐った奴と付き合っていたって、この先碌なことにはならないよ」
        「そうだそうだ、あいつ薫さんにあんな酷いことを言いやがって・・・・・・」
        そこまで聞いて、薫は目を見開いた。「ひょっとして、あなたたち・・・・・・」と呟くように言うと、門下生たちは一斉に肩を縮こまらせる。
        「すみません。俺たち、昨日の一部始終を見ていたんです」


        昨日、榊が薫を追って道場を出たのを見て、彼らも後を追いかけたらしい。「奴が俺たちの剣術小町に妙な真似でもしたら只じゃおかない」というつもりで。
        しかし、榊が薫にしたことは言葉の暴力だった。何も言い返さずに帰路についた薫を遠目に眺めながら―――門下生たちが思ったことは当然「仕返し」だ
        った。それも、どうせなら、「女性を馬鹿にすると酷い目に遭う」という形の仕返しをできないか、と。

        「そんなわけで、今榊が茶店で吊るし上げになってるわけなんですけれど・・・・・・」
        「薫さんに黙って、勝手に仕組んでしまってすみません、でも俺たち本当に頭にきたし、あの場で何もできなかったのも申し訳なかったし・・・・・・」
        咄嗟に声も出せない薫の肩に、剣心が、ぽんと優しく手を置いた。薫はそれに押されるように「・・・・・・ありがとう、みんな」と、潤んでしまいそうな声で礼を
        言う。


        門下生たちが照れくさげに頭をかいたところで―――茶店のほうで騒がしい気配がした。
        見ると、がらがらがっしゃんという派手な音とともに、転がるようにして榊が飛び出してきた。茶でもぶっかけられたのか、普段は隙がなく整えられている髪
        がぐっしょり濡れている。茶店の中から「待ちなさいよー!」という娘たちの声がした。榊は素直に待つわけもなく、三十六計逃げるに如かずと走り出した
        のだが―――


        すっ、と。剣心が自然な動きで身を起こし、道の真ん中に歩を進める。
        榊がその横を走りぬけようとした瞬間、剣心はこれまた自然にそして素早く、片足を横に動かした。

        「う、わっ?!」
        剣心の足に自分のそれをひっかけた榊の身体が、前のめりに崩れる。
        更に剣心は絶妙なタイミングで腰をひねって―――逆刃刀の鞘を、倒れこもうとする榊の顎に見事に命中させた。


        「おろ、これは失礼いたした」


        涼しい声でそう言って、剣心は軽く頭を下げる。
        地面に倒れて悶絶する榊に、娘たちが追いついてぎゃあぎゃあ喚きながら彼をぽかぽかと拳で打つ。
        しれっとした顔で戻ってきた剣心を、門下生たちはやんやの喝采で迎えた。

        「拙者も、いっそ殴ってやりたいところだったのだが・・・・・・」
        あの程度で済ませてしまって申し訳ない、と詫びる剣心に、薫はぶんぶんと首を横に振る。恥ずかしさも何もかもかなぐり捨てて、彼の首に抱きついてし
        まいたかったが、いかんせんここは往来で人目もある。だから、せめて―――



        「・・・・・・ありがとう!」



        ありったけの感謝をこめて、薫は笑顔でそう言った。












        前川道場の門下生たちに繰り返し礼を言って、改めて剣心と薫は茶店に入る。
        昨日は嫌なことが続いてしまったけれど、総体的に見ると「いいこと」の割合のほうがずいぶんと多かったようだ。
        それも―――ひとの優しさに触れるような、いいことが。


        団子を注文する剣心の顔を眺めながら、薫はそう思って唇をほころばせた。

















        Saddy Happy Day 了。







                                                                                       2015.02.08







        モドル。