「強くなりたかった理由と、告白」
「しかし、弥彦はなかなかいい筋をしているでござるな」
ごろんと草の上に寝転がりながら、剣心が言う。
てのひらで弄んでいた竹刀を脇に置いて、薫も彼に倣って隣に横になる。
「ね? わたしの見込み通りだったでしょう?」
自分のことのように誇らしげにそう言う薫に、剣心は頬をほころばせた。
実際、わずかの時間ではあったが、稽古をつけていたこの二日間、剣心は弥彦が今伸び盛りであることを実感した。素直な気性でもあるのだろう、剣心
と蒼紫の教えをきちんと飲み込み、まるで乾いた砂が水を吸い込むように吸収してゆく。正直に言って、この少年は先が楽しみだと感じた。
「弥彦は、これからどんどん強くなるでござろうな」
「今回のはちょっと、動機が不純だったけれどね」
「いや、誰かを守りたいがために強くなろうと思うのは、正しいことでござるよ」
「・・・・・・そうなの?」
「拙者は誰かというより、『みんな』でござったが―――目に映る人々を助けられるような剣の腕が欲しくて、その一心で強くなろうとした。弥彦と根底は
同じでござろう?」
薫は一瞬無言になって、答えなかった。
不思議に思って剣心は、仰向けになっていた首を横にめぐらせて、隣の薫の顔を窺う。薫の視線ははるか高い空を捉えているようであり、もしくはもっと
遠い何かを見つめているようでもあった。形のよい横顔の、喉と唇がふるりと震え、彼女がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「じゃあ、わたしはかなり不純だわ」
そのまま、剣心のほうに顔を向けずに、薫は続けた。
「ねえ剣心。わたしね、ずーっと昔に一度だけ、あなたに会っているのよ」
予想もしていなかった告白に、剣心は戸惑った表情を浮かべる。
「ずっと、昔・・・・・・?」
「昔、でもないのかなぁ。十年前よ。でもわたしはそのときまだほんの子供だったから、ずいぶん昔に感じるわ」
十年前、といったら流浪を始めた頃だ。剣心は必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
「わたし、追い剥ぎみたいな落人たちに襲われそうになってたところを、あなたに助けられたの」
「・・・・・・それは、ええと、拙者は・・・・・・」
「いいのよ、思い出せなくて当然だわ」
困った様子の剣心に、薫はくすくすと笑う。この十年の剣心は、全国各地で人助けをしながら旅をしていたのだ。戦が終わって間もない、まだ国中が荒
れていた時期に子供の命を救ったことなど、きっと何度もあるのだろう。
「あなたはとても強くて、気がついたらわたし、戦っているあなたに見とれていた。そのまま、あなたは名前も言わず去ってしまったけれど、わたしはその
時あなたのことを・・・・・・どうしようもなく、好きになっていた」
剣心は、がばりと起き上がり、薫の顔を見ようとした。が、それを制するように薫の声が飛ぶ。
「だめ! お願い、もうちょっと・・・・・・そのままで聞いていて・・・・・・」
いつもよりはるかに頼りない声に従い、剣心は再び身体を倒す。彼女にしたら、とても正面から顔を見ていられない気分なのだろう。
「どうやったらあなたにまた会えるのかを必死で考えて、思いついたのは『強くなること』だった。あなたと同じ剣の道に励んで強くなれば、いつか何処か
であなたに繋がれるんじゃないかって」
不純よね、子供のくせに、と薫はそこでちょっと笑った。
「もちろん、剣術は大好きだったし、人を活かす剣をふるえるようになりなさい、っていう父さんからの教えはわたしの理想になったわ。でも、いつでもわ
たしの剣の根底にあるのは、あなただった」
剣心は口をはさむこともできず、ただ薫の告白に耳を傾けた。
自分の面影を追って、今の薫は並の男よりも腕が立つまでになった。
女の身でここまで来るのに、彼女はどれほどの努力を重ねてきたのだろう。
「周りからどんなに女らしくないとか、女が強くなっても意味がないとか言われても、ずーっと剣術を続けてきて・・・・・・そして、ねぇ、三月前よ。喧嘩興行
であなたを見つけたのは」
その時のことを思い出したのか、薫の声が僅かに震える。
「わたし、一瞬であなただってわかった。あの時ほど、剣を続けていてよかったと思ったことはなかった。思い切って手を挙げて、剣心がわたしを見たと
き、心臓がとまるかと思った・・・・・・」
薫は仰向けになったまま、自分の頬に手をあてた。案の定、熱でもあるのではというくらい、熱い。
「だから、今ね、夢みたいなのよ。十年間、ずーっと好きだった人と・・・・・・ずっと会いたくてたまらなかった人と毎日のように顔をあわせているの。今で
も、信じられないくらいなの・・・・・・」
剣心は、薫と出会ってから―――「再会」してからの三月のことを改めて思い返してみる。
初めて会ったとき、泣かせてしまったとき、過去をすんなりと受け入れてくれたとき―――彼女は既に十年分の想いを抱えて、自分に接してくれていた
のか。
「薫殿、あの・・・・・・」
いいかげん起き上がって、ちゃんと顔が見たいと思って話しかけたのだが―――
何を思ったのか、薫は弾かれるように身体を起こして、傍らにあった竹刀を掴んで剣心にむかって振り下ろした。
「う、ぉわっ!」
当然というか、剣心は半ば反射で横に転がっていた竹刀を掴み、寝転がったままの格好でばしんと薫の竹刀を受けた。
「・・・・・・えーと、薫殿、これは一体?」
下から見上げる薫の顔は可哀相なくらい真っ赤で、目も泣きそうに潤んでいる。
「あ・・・・・・ごめんね・・・・・・なんか、恥ずかしくていたたまれなくなっちゃって。えっと、それで、なんか、つい・・・・・・」
おろおろと脈絡の無いことを口走る。どうやら、照れ隠しというか――――思い切って告白したものの、その後どうしたらよいのかわからず、反射的に
とった行動がこれだったのだろう。
まるで子供のような振る舞いが可笑しくて、剣心は笑いがこみ上げてきた。しかしここで声を出して笑っては失礼かと思い、それではと腕に力をこめた。
「きゃ!」
下から跳ね上げられ、薫は剣心の上から跳びすさる。すかさず剣心は敏捷に立ち上がり、反撃を開始した。
正面から打ち込んでくる竹刀を、薫は素直に受け止める。ぐいぐいと力をこめて押されて、じりりと草履が地面に擦れる。打ちかかった剣心が覆いかぶさ
ってくるような姿勢になって、薫の上体が僅かに反った。
すぐ近くに、剣心の顔があった。
笑っている。
今まで見てきたなかで、一番、優しい顔で。
どうしよう、泣いてしまいそうだ。
苦しいほどに、そう思った。
ふっと、竹刀にかかる力が緩んだのを感じた。
え、と思いつつも、薫も力を抜く。
どちらともなく、竹刀から手を離した。
二本の竹刀が殆ど同時に、地面に落ちる。
剣心は自由になった両手で、薫を抱きしめた。
とても、熱い。
その細い身体も。
そして、重ねた唇も、熱かった。
・・・・・・剣心が、しっかりと抱いていてくれてよかった。
そうじゃないと、倒れてしまっていたかもしれない。薫はぼんやりとした頭でそう思う。
そして、長い口づけの後。
十年間、人生の半分以上ずっと好きだった人の腕に抱かれながら。
「だいすき・・・・・・」
十年ぶんの想いを、言葉にのせた。
剣心は彼女を抱く腕に、更に力をこめた。
モドル。