庭に七輪を持ち出して、炭を起こす。頃合いになるのを待ちながら、剣心は縁側で横に座った薫に「すまなかった」と謝った。
「謝るのは食べてみてからでいいわよ。びっくりするわよ?ほんとに美味しいんだから」
「いや、柿の話ではなく・・・・・・晶殿のことでござるよ」
「晶さん?」
きょとんとする薫に、剣心は一から告白を始める。
薫から、「楠晶」の話を聞いて、嫉妬をしたこと。
早とちりをして、その人物を男性だと思いこんでいたこと。
薫がいつか言った言葉は嘘で、本当の初恋の相手は晶なのではと、疑っていたこと。
俺と出逢う前に、君が俺以外の誰かを想っていた。
そのことがとてもとても嫌で、悋気の炎を燃やして、駄々っ子のように君に酷いことをしたこと。
そんな、この数日のあれやこれやを謝った。
薫は、時折相槌を打ちながら、剣心の話に耳を傾けていた。
「・・・・・・みっともないでござるよな・・・・・・本当に、すまなかった」
薫が実質的に受けた被害は「縛られた」事ではあるが―――彼女の心を疑ったことが申し訳なくて、自己嫌悪に陥りつつ剣心は謝罪する。薫は、剣心の
告白が一段落したところで、皮のついたまま八つに切った柿を、七輪の上に乗せた。
「・・・・・・ありがと、打ち明けてくれて」
ちょこん、と剣心の横に座り直すと、薫はことりと彼の肩に頭を乗せた。
「でも、せっかく謝ってもらったのになんだけれど・・・・・・嬉しいな、そうやって剣心が、嫉妬してくれるのって」
剣心は、首を動かして彼女の顔を覗きこむ。薫はうふふと笑うと、きゅっと剣心の腕に抱きついた。
「人間って、欲張りよね。好きになったひとの、今や未来だけじゃなくて、過去まで欲しくなって・・・・・・どうしようもない事に嫉妬したりしちゃうんだから」
剣心は、何も言えなかった。きっと、彼女は自分自身のことも言っている。
きっと、彼女も同じ思いをしてきたのだろう。俺が突きつけた過去を、君は気丈にも受け止めて受け入れてくれたけれど―――あのとき、君はたしかに傷
ついたのだから。
このたび俺が感じた、あの胸の奥を容赦なく灼かれる、じりじりとした痛さ、苦しさ。あの感覚を、君も味わったんだろう。
君の痛みを傷を葛藤を、わかっているつもりだった。
でも、実際はほんのひとかけらくらいしか、俺は理解していなかったんだ。
今回自分が同じ思いをして、ようやく理解した。君がどれほど辛かったのかを。俺が君に負わせた―――傷の、深さを。
「・・・・・・でもね、そこまで欲張りになるほど誰かを好きになったり、好かれたりするのって、凄いことよね?そんな相手とめぐり逢えて、夫婦になれるのっ
て、きっと奇跡的な確率だと思うわ」
そう言った薫の声は明るかった。彼女はぱらりと腕をほどくと、庭に下りて七輪の様子を窺う。もうちょっとかしらと呟きながら、網の上の柿を箸でつつく。
「ねぇ、嫉妬するのって、好きだからでしょう?だから、わたしは剣心がやきもち焼いてくれるのは嬉しいし・・・・・・むしろどんどん焼いちゃって大丈夫よ、だ
って」
薫は顔を上げ、縁側の剣心を見上げた。
「やきもちを焼かれようと、今回の楠さんみたいに誰かとの仲を疑われようと、そんなのぜーんぶ誤解か勘違いだから、平気だわ。だって」
そう言って―――いっそ誇らしげに、宣言する。
「だってそうでしょう?わたしが好きなひとは・・・・・・これまでもこれからも、剣心ただひとりなんだもの」
曇りのない瞳が、剣心を見つめている。剣心は無言で縁側から降りて、七輪の傍にしゃがんでいる薫の横で腰をかがめ―――がばっと、抱きついた。
「ちょ・・・・・・ちょっとちょっと剣心!危ないわよ火のそばでー!」
彼を受け止めきれずぺたんと尻餅をついてしまった薫が、慌てた声をあげる。しかし剣心は構わずに、腕の力を強くする。
いとおしかった。
君がいとおしくてたまらなかった。
君の存在も、君が注いでくれる限りない想いも、君に負わせてしまった心の傷も、なにもかも。
君に出逢って、恋をして、もうこれ以上好きにはなれないくらい君のことを大好きだと思っていたけれど―――違っていた。
この想いに果てはないんだ。だってこの瞬間も、俺はまた君のことを好きになっている。
君の言うとおりだ。
ここまで欲張りに、すべてを手に入れたいくらい好きになれる相手にめぐり逢えるなんて。
こんなにも尽きない想いを注げる相手と夫婦になれたなんて、これはもう、奇跡だ。
「薫」
「はい?」
「好きだ」
どれだけ言葉を重ねても、この想いを伝えるのには足りやしないから、いっそ簡潔にそう言った。
ぱち、と。柿の皮が焼けてはぜる小さな音がして、それに薫の「わたしも・・・・・・」というやわらかな声が重なった。
★
「熱いから、気をつけてね」
薫は、皮にこんがりと焼き色のついた柿を小皿にとって、剣心に渡した。
「皮ごと食べるんでござるか?」
「そうよ、ぱりっぱりになってるから、このままで大丈夫よ」
焼きあがった柿を鼻先に近づけると、生の実よりも濃く甘い香りが立った。まだ熱いのに噛みつくと、焼かれたことで柔らかくなった実から、じゅわっと汁が
溢れ出る。
「・・・・・・旨い」
目を大きくして、驚きの声を漏らした剣心に、薫は「でしょう?」と得意気に胸をはってみせる。生のままでは食べ頃にはまだ早い実だったが、火を入れるこ
とで甘さがぎゅっと凝縮されたのか。焼き目のついた皮の部分も食感も楽しく、剣心は素直に「驚いたでござる」と頷いた。
薫は自分も熱々のを一切れ口に入れたが、頬張ったまま「あつぅっ!」と悲鳴を上げる。自分で注意していたくせに、と。剣心は可笑しいのと可愛らしいの
とで笑ってしまった。
「・・・・・・薫殿、さっきの」
ふたりは縁側に並んで、しばらく焼き柿に舌鼓を打っていたが―――ふいに、剣心は薫に尋ねた。
「え、なぁに?」
「さっき楠殿が言っていた、『約束』とは、結局なんだったのでござるか?」
そう、先程楠は帰り際に、「約束を、ちゃんと守ってくれて嬉しい」と言っていた。
以前、薫は「二年で帰ると約束をした」と言っていた。しかし、それは楠が薫に対して守った約束なわけで―――先程の楠の言葉から察するに、薫が彼女
に対して守った約束も、別にあるはずだ。
剣心がそう訊いてくることを予想していたのだろう。薫は「やっぱり、お見通しなのね」と言って、くすぐったそうに笑った。
「黙っていてごめんね。でも、剣心に話すのは、楠さんに『約束を守れたこと』を、実際に見てもらってからにしたかったの」
意味がわからず剣心が首を傾げると、薫はそっと身を傾けて彼に寄り添った。
「楠さんが旅に出た二年前、わたしは父さんを亡くしたばかりで、まだ落ち込んでいたの」
父ひとり子ひとりで生きてきたのに、突然ひとりぼっちになって。当然のことながら、悲しくて辛くて寂しくて。だけど、父が遺した道場を守るため、しっかり
しなくちゃ頑張らなくちゃという思いもあって―――
「悲しいのと強がるのとに忙しくて、あの頃はずっと気を張って過ごしていたわ。そんなだから・・・・・・あの頃のわたしは、あんまり笑えなくなっていたのね」
元気で明るくて賑やかで、よく笑う娘だったのに、あの頃は泣かないで背筋を伸ばして振る舞うことが精一杯だった。そんな様子を見て、年上の友人であ
る晶は当然心配していた。
だから―――晶は薫に「約束」を求めた。
「『次に会うときまでに、笑顔になっていてくれ』って・・・・・・そう、言われたの」
次に会うときには、東京に帰ってくるときには、君に笑顔が戻っているように。
強がって、無理に浮かべた笑みではなく、心から笑えているように。
いつも笑顔でいられるよう、ちゃんと―――幸せになっていてくれ、と。
晶は、薫にそう約束させたのだった。
「だから・・・・・・わたしが約束を守れたのは、剣心のおかげよ」
剣心と出逢って、恋をして、ひとりではなくなって。
辛いことも悲しいこともあったけれど、その度に想いは深くなって、絆は強くなって。
夫婦になって、家族になって、ふたりが出逢ってから更に人の輪が広がって、笑顔でつながって―――
「剣心がいてくれたから、わたしはまた笑えるようになったわ。剣心に出逢う前より、今のほうが沢山たくさん笑っているくらいよ。だから・・・・・・」
薫は顔を上げて、近い距離から剣心の目をじっと覗きこむ。
「あなたのおかげよ。ありがとう、剣心」
そう言って、笑う。剣心の愛してやまない、いつもの笑顔で。
剣心は、ひととき魅入られたように、その笑顔に見とれた。そして、おもむろに薫を抱きしめた。
違うのに。
君は、その笑顔にたどり着くまで、沢山辛い思いをして、何度も泣いたのに。
俺の「お陰」どころか俺の所為で、何度も泣かせてしまったのに。
さよならの一言で、君との絆を断ち切ろうとしたこともあった。
酷すぎる過去を、突然につきつけたこともあった。
そして、この度の晶の一件で、身に染みてわかった。
「俺と出逢う前に、君に好きなひとがいた」というただそれだけで、焼けた火箸でも押しつけられたように、心の奥がじりじりと痛んで苛まれた。
俺の知らない時間の君が、ほかの男を想い慕っていたことが、凄く、凄く凄く、嫌だった。ただただ、嫉妬した。
それはすべて早とちりの誤解だったけれど―――俺から過去を聞かされたとき、君は今回の俺よりもっと苦しい思いをしたんだろう。真っ直ぐに想いを注い
でくれる君だからこそ、笑顔を見せながらも心では血を流していたんだろう。
でも―――ああ、ごめん。
俺は、君のその傷さえ、すべて愛しい。
俺は、愚かしいほどに嫉妬深いから。みっともないくらい、君を独占したいと望んでいるから。
だから、君の心に傷を刻んだ男が、ただひとり俺だけだということが、あろうことか―――震えるほどに、嬉しい。
そして君は、そんな男の隣にいてくれる。
傷を痛みを涙を葛藤をすべて受け入れて乗り越えて。いつも笑顔で、ずっと隣に。
「・・・・・・拙者にも、約束させてくれ」
剣心は、薫の耳に唇を押しあてながら、囁くように、祈るように言った。
「もう決して、薫殿の笑顔が曇るような、消えるようなことはしないから―――拙者に、ずっと守らせてくれ」
何度も、傷つけてしまった。だからこそ、これからは絶対に、君に傷を負わせたりはしない。
誰にも君を傷つけさせない。もちろん―――俺自身も、決して傷つけるものか。
君の笑顔を、心を、君の過去も今も未来も―――君の、すべてを護ると。
「・・・・・・じゃあ、わたしにも約束させて」
細い腕を彼の背中に回しながら、薫も言った。
「わたしはずっーと、あなたの隣で、笑顔でいます―――約束するわ」
剣心が身じろぎをするのを感じて、薫は頭を起こした。睫毛が触れそうな近さで一瞬互いの瞳を見て、そして誓いのしるしのように唇を重ねた。
優しい口づけは甘い柿の実の味がして、ふたりは唇を離すとどちらともなく笑った。
「ねぇ、でもこれ、お互い改めて約束するまでもないことなんじゃない?」
それはとても幸せなことと理解しつつ、薫はからかうような口調で言った。
「いいんでござるよ。奴ばかり約束をするのはずるいから、拙者もしたかったんでござる」
「ちょっと!それ楠さんのこと?!やだ、奴だなんて言わないでよ!」
「仕方ないでござろう、あまりに仲がよかったから、妬けるんでござるよ」
「妬けるって・・・・・・楠さんは女でしょう」
「女性相手でも、妬けるものは妬けるんでござる」
ああ、そうだ。
きっとこれからも俺たちは、互いを想っているが故に、こんなことを繰り返すんだろう。
妬いたりねたんだり心配したり悩んだり、けれどそんな感情の動きこそが、想いが深い証拠なんだ。
そして、どんなに妬いてもねたんでも心配しても悩んでも、最終的にはそれはすべて杞憂だったり早とちりだったり、勘違いだったり誤解だったりで、笑い
話に行き着くのだろう。
だって―――結局はこのひとことがすべてに勝る真実なんだと、俺たちはちゃんと知っている。
「・・・・・・大好き」
ちゅっ、と小さく口づけながら、薫が言った。
「・・・・・・愛してる」
だって、それが事実なんだから。他に表す言葉がないのだから仕方ない。
薫の頬がぼっと赤くなったのを確認してから、剣心は彼女をきつくきつく抱きしめた。
「last promise」 了。
2016.05.13
モドル。